小林正(教育評論家・元神奈川県教組委員長)

 第2次安倍内閣は、「日本を取り戻す」重要施策として教育再生を掲げ、首相直属の「教育再生実行会議」(実行会議)を発足させ、戦後体制を色濃く残している教育諸制度について「百年に一度」の意気込みで改革提言を行っている。いじめ・体罰問題とともに道徳教育の充実を掲げ、いじめ防止対策推進法を施行し、「心のノート」を全面改訂し「私たちの道徳」として教育現場で使用されるようにした。これは大きな成果と言えよう。

 しかし、重大な問題もある。それは、「政治的中立性」の名の下に設置された教育委員会制度と日本教職員組合(日教組)について、不十分な認識のまま改革が進められようとしていることである。

 実行会議にも、文部科学省の中央教育審議会(中教審)にも、教育委員会の「政治的中立性」が、いかに日教組に利用され、歪められてきたか、その経緯について議論を深めた形跡が、私の知る限り全く無いのである。

 各自治体の首長から独立した合議制の執行機関として設置される教育委員会は、聖域化・治外法権化した結果、教育行政に無責任になる一方で、職員団体、外部圧力団体に弱い体質を内包し続けてきた。大阪市の多数の市立中学校で、校長が権限を持つべき校内人事が教員選挙で決められていた問題は、教育委員会が現場への指導力を発揮できていなかったことの証拠といえるだろう。

 教育委員会は、外形的には対立関係にあるかに見える日教組と各都道府県教組にとっては格好の隠れ蓑、組織培養の温床となってきたのである。

大津市立中学での家宅捜索を終えた滋賀県警の捜査員ら=2012年7月12日(安元雄太撮影)
 平成23年、大津市立中学校で起きたいじめ自殺事件では、市教委が学校と一緒になって、原因をいじめ自殺とは認めず、生徒の家庭環境の所為にしたり、教育的配慮の名のもとに調査を怠るなど事件の隠蔽に走ったり、無責任体質を露呈し社会的関心を集めた。このため市長は自浄能力を発揮できない市教委に見切りをつけ、第三者機関を設置して検証を進め、一方、警察も「事件」の解明のため市教委と学校を強制捜査するという事態に発展した。

 この間、いじめ、教師の体罰等の問題が全国的に多発し、その都度、学校・教育委員会に対する隠蔽体質「教育ムラ」批判が広がった。

 その教育委員会とさまざまな「協定」を結ぶなどして、実質的に学校の「不当な支配」を行ってきたのが、日教組を構成する各地の教組である。「政治的中立性」の名の下に聖域化・治外法権化する教育委員会の傘の下で、日教組が放縦を極める。その最も分かり易い例が、教員の組織率九割超の大分県で起こった教員採用をめぐる汚職事件だった。

 平成20年に発覚したこの事件では、県教委ナンバー2の教育審議監だった幹部らが、教員の不正採用をめぐって賄賂を受けた容疑などで逮捕されたが、彼らは県教組幹部の経験者であった。大分県では、県教組が県教委とさまざまな「協定」を結んで協力態勢を築いていたのである。教育委員会が決めるべき教職員人事、各種通知の内容、研究指定校の選定、果ては卒業式の日程までも、組合側との「事前協議」を経て決定するようになっていたのだ。

 こうしたシステムを改めようにも現行法では、自治体の首長も文部科学省も教育委員会に対して権限がない。つまり、その下に隠れた教組に対しても手の出しようがないのである。今後の改革は、この現状を改めることに主眼を置かなければならないのだが、そのことについて政府として議論が深まっているとはいえない。私が指摘する大きな問題とは、このことなのである。

「政治的中立性」のウソ


 平成25年4月に実行会議が公表した第二次提言「教育委員会制度等の在り方について」は次のように述べていた。

 「教育委員会制度は、戦後一貫して、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保する機能を果たしてきました。新たな地方教育行政の体制においても、教育内容や教職員人事における政治的中立性等の確保は引き続き重要です」(傍線部分は筆者)

 教育委員会制度が教育の政治的中立性を守ってきたというのである。これは戦後教育史、中でも占領期間におけるGHQ/CIE及び米国教育使節団による我が国の教学体制の破壊について無知であるか、意図的に見過ごそうとしているとしか思えない認識である。

 教育委員会制度の起源は戦後のGHQの占領政策にさかのぼる。昭和23年、米国教育使節団が「我々は、各市町村に人民の投票により選出された『専門家に非ざる教育機関』(レイマンコントロール)を設置することを勧告する」という報告書を出したのを受け、国は教育委員会法を制定したのである。

 委員を選挙で選ぶ教育委員会が設置されることになったとき、その選挙に全国的に取り組んだのが、その前年に結成されたばかりの日教組だった。その結果、日教組の支援する委員は各教育委員会の多数を占めるに至り、日教組の教育委員会支配の基礎が出来上がった。

 学校の利害関係者による特定の教職員団体が教育委員会を支配するという構造は、児童生徒よりも組合員としての教職員の利益を優先するという傾向を生むことになり、教育現場は混乱。昭和27年4月、我が国は独立を回復したが、この年の10月には、再び全国の教育委員会委員の選挙が実施された。独立回復してもなお、占領政策に追従したのである。

 この時期、財政力が疲弊した全国町村会は教育委員会制度廃止を求めて激しい運動を展開していた。昭和31年に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が成立し、現行の任命制に改められ、日教組等の反対闘争で大混乱の中、公選制はなくなった。このとき、一般行政との調和を図るため教育委員会による予算案・条例案の議会提案権も廃止された。

 しかし、教育委員会という制度自体は残り、その下に一度根を張った日教組の力も消えることなく、その後も教育行政に大きな影響を与え続けた。日教組は公選制の復活を掲げつつ、政府が行う教育行政について教基法第10条の「不当な支配」を楯に、国の政策に対して反対運動を展開した。学習指導要領の法的拘束性否定、全国学力調査反対、勤務評定反対、第三の教育改革といわれた中教審四六答申反対、主任制度導入反対、臨時教育審議会設置法案反対…。挙げればきりがない。

 地教行法制定以降58年にして今、ようやく教育委員会制度が改められる機会が来たというのに、教育再生実行会議の第二次提言がこともなげに「戦後一貫して、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保する機能を果たしてきた」という認識に立ったことに、私は大いなる驚きと同時に憤りを覚える。

教育委員会改革を巡って


教育委員会制度改革を協議する自民党の文部科学部会=2014年2月19日午前、東京・自民党本部
 中教審が平成25年12月に出した制度改革についての答申は、明らかに、実行会議の第二次提言が、教育委員会の「政治的中立性」という機能を認めたことに影響を受けていた。

 内容は、教育行政の最終責任者(執行機関)を首長とし、事務執行の責任者を首長が議会の同意を得て任免する教育長にする案と教育委員会に残す案の両論併記だった。つまり教育委員会制度改革を軸にしながら、教育委員会そのものは残す余地も認めるという答申だったのである。この答申を受けて行われた与党協議の結果、地教行法の改正案も教育委員会自体を存続させる方向で骨格がまとまった。

 重要なことは、平成18年に公布・施行された教育基本法の理念に沿って、教育行政について国と地方の役割を明確にし、責任と権限の見直しを進めることである。これは、先に述べた大津の事件をきっかけに、かねてから指摘されてきたことでもある。

 教育行政の執行機関であり、責任を負うべき教育委員会は、実質的には、実権を握る教育長と事務局の承認機関となってきた。地元名士がなることが多い教育委員は、委員長も含めて非常勤で「顔の無い名誉職」と揶揄され、教育委員会という組織の形骸化は度重なる改革を経ても改めることはできなかった。

 実行会議の第二次提言も「現行の教育委員会制度には、合議制の執行機関である教育委員会、その代表者である委員長、事務の統括者である教育長の間での責任の所在の不明確さ、教育委員会の審議等の形骸化、危機管理能力の不足といった課題が依然としてあります」と厳しく指摘している。政府与党もその重要性は十分に分かっているはずである。

 与党協議で合意した地教行法の改正案の骨格は四つの柱からなっている。

 一、教育行政の責任の明確化―これまで教育委員会内の責任の所在が不明確とされてきた「教育長」(常勤)と「教育委員長」(非常勤)を「教育長」に一本化し、教育長は議会の同意を得て首長が任免する。任期は三年とし、教育委員会(執行機関)の会務を総理し、教育委員会を代表する。
 二、総合教育会議の設置、教育施策の大綱を決定する―会議は首長が招集し、首長と教育委員会が教育に関する基本的な施策の大綱を定める協議機関として設置される。これによって「教育振興基本計画」の策定、地域の教育について協議する場が法的に整備されることになる。
 三、国の地方公共団体への関与の見直し。
 四、その他、議事録の作成、現職教育長の在職期間に関する経過措置など。

 これに対して、民主党と日本維新の会は教育委員会を廃止して、首長権限に一本化する改正案を共同提出することで大筋合意している。ただ、廃止の文言で一致したとはいうものの、両党の考え方は根本的に異なり、実際には共同提出はあり得ないのではないかと想う。

 民主党案は政権掌握時提起した教育のガバナンスの問題として、首長の教育行政執行について、規模の大きな「教育監査委員会」の設置とセットであるうえに、学校については「学校理事会」が教育内容、人事など学校を管理する体制となっており、教育の「人民管理方式」との印象を受ける。

 他方、維新の会の方針は大阪都構想に基づく首長への権限の一元化である。教育行政の透明化、教委に代わって民意を反映し得る諮問機関の創設など、「教育委員会」という占領政策の名残りを留めない点で、私は評価したいと思う。

猛反発する日教組


 実行会議の第二次提言及び中教審答申に対しては、様々な分野から意見表明や解説がなされている。私から見れば不十分な認識で進められる改革ですら、日教組は強く反発している。このことからも、日教組がどんなに現行の教育委員会制度を必要としているかが分かる。

 日教組は今年1月24日から3日間、大津市を主会場に全国教育研究集会を3000名の参加を得て開催した。冒頭の委員長挨拶で日本の教育の現状について「一定の価値観や大人の論理を教え込む、そんな考え方が広まってはいないか。子どもの権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしているのではないか」と強い危機感を表明した。

 いまもなお25パーセントの組織率を維持する日教組は、第二次安倍内閣が進める教育再生の取り組みを「教育の国家統制」と見ているのである。

 基調報告を行った書記長は道徳教育の教科化や教育委員会制度の改革などに対して「教育への政治介入が強まっている」と懸念を表明した。自民党の教育再生実行本部による「教育再生推進法」制定の動きなどについても「学校現場の現状や子どもたちの実態に寄り添ったものなのか。教育における現場の主体性・創造性が奪われないか注視していく必要がある」と警戒感を露わにした。

 これより先、日教組は中教審答申についても談話を出している。

 教育は、政治的党派性のある独任の首長から独立して、一個人の価値判断で決定するのではなく多様な意見や立場を集約した合議制によって方針を決定することが重要である。答申は、首長と教育長の権限を強化するものであり、教育の継続性、安定性、政治的中立性の確保から極めて問題である。さらに、地方教育行政への国の関与に係って、『国がしっかりと公教育の最終責任を果せるようにすることが必要であり、その権限を明確にするための方策を検討する必要がある』としており、この機に乗じて国の権限強化を図るとすれば許されるものではない。教育委員会制度の在り方については、教育の本質につながる大きな問題である。首長から独立した、合議制執行機関によって方針などが決定される教育委員会制度を存置し、その機能が発揮され活性化するための方策を採ることの方が必要である。


 この談話は、日教組にとって、形骸化し破綻寸前の教育委員会の現状を維持することが組織としてのメリットだということを端的に示しているといえる。その証拠に、日教組以外の教職員団体は反応が異なる。

 組織綱領で「日本の歴史と伝統、文化を尊重し、我が国と郷土を愛する心を養う教育を実践する」と掲げる福岡教育連盟の研修大会では、委員長が「昨今の教育再生への動きを見ると、戦後教育においてイデオロギーが支配していた時代に賛否が分かれた問題にも次々と道筋がつけられているが、個々の施策のみにとらわれず、根っこにあるものを読み取り、社会全体でベクトルを揃えるべきだと考える。これこそが教育正常化である」と述べている。

 教職員団体においても組織結成の原点が違うと現状認識と問題意識がこれほど違うのかということを痛感させられる。

 教育委員会制度改革についても「現場に響く制度構築を」として「そもそも首長は教育に関しても政策を掲げて選挙により選ばれるわけだから、教育施策の方針について首長の意見が反映されるのは当然であり、特に児童生徒の生命に関わる問題や、学力保障の問題や、地域の喫緊の課題解決に首長と教育長、教育委員会が一体となって取り組む姿勢が必要ではないか。そういう意味では新設される『総合教育会議』の意義は大きい」と積極的に受け止めている。こうした動きは隣の大分県にも波及し、教育正常化を目指す教職員団体は全日本教職員連盟(全日教連)を筆頭に増加しているといえる。

足並みそろえるNHK


 多くのマスコミは、こうした問題を正面から報じないどころか、日教組と同じような主張すら繰り返している。例えば、公共放送NHK「時論公論」の「どうなる教育委員会」の解説を要約すると、以下のような内容だった。

 一、教育委員会制度改革を求める背景に、占領期にアメリカから押し付けられた制度だから、という強い声がある。
 二、この制度は戦前の国家主義教育の反省に立ち制定された。
 三、中教審分科会で多くの委員は現行制度で問題なしとしたが、義家弘介前文部科学大臣政務官の「教育委員会は欠陥のある無責任な制度」との意向を受けて、自治体の長に権限を移す方向性が示された。
 四、大津のような希なケースを制度全体のせいにしてしまってよいのか。当初構想された理念が実現されていないことこそ問題。
 五、強引な制度改革は、教育現場に常に学び続ける子どもたちがいる中で、禍根を残すことになりかねない。

 この番組は、教育委員会の問題点について、「当初構想された理念が実現されていない」ことだという。地教行法制定までの間は、我が国の風土になじまないために、教育行政は混乱の極みであった。教職員組合による委員会乗っ取り、財政力の弱い市町村の疲弊、予算編成権、条例提案権を有していたための議会の混乱等。綺麗ごとの解説で理念が実現されないことを嘆いて見せ、そのうえで、大津の事件は希なケースとしているのである。

 しかし、果たしてそうだろうか。いじめ問題で文科省が通達を出すとその後の調査で「いじめ認知」件数が跳ね上がる。それも各県アンバランスがある。これはまさに取り組む地教委・学校の姿勢の問題なのである。希なケースだから制度全体の問題ではないというより、制度上の問題だが大津のように顕在化することは希だというべきである。

 そもそも、教育委員会制度は戦前の国家主義教育の反省に立ち制定されたのだろうか。戦前の教学体制を国家主義教育で括って良いのか。米国がわが国の戦前の教育について軍国主義・超国家主義のレッテルを貼って教職員を追放したが、これは懲罰的な占領行政そのものだった。

 番組では、中教審分科会で義家前政務官が「教育委員会は欠陥のある無責任な制度」と発言し議論に方向性を与えたとしていたが、義家氏は横浜市の教育委員、第一次安倍内閣で教育再生事務局長も務め、地方の教委・学校も精力的に訪問している。現場を熟知する立場からの発言であり、中教審委員の認識こそが、浅かったのではないだろうか。

 番組は、強引な制度改革は禍根を残すともいっているが、これは、まさに日教組の書記長談話そのものである。NHKの「時論公論」氏は結局制度改革より運営の改善で活性化を図れ、と主張しているに過ぎない。私は、これが「教育再生」に対するNHKの基本姿勢と見る。

戦後イデオロギーから脱却を


 地教行法改正案が今国会の会期内に成立すれば、平成27年4月1日から施行されることになる。国会審議に望むことは戦後イデオロギーに基づく不毛な論議は無用に願いたいということである。「特定秘密保護法案」審議の際に、マスメディアでは暗黒時代が再来するかのような報道が行われたが、国民を愚弄するキャンペーン報道は逆に批判される時代である。「戦前暗黒史観」は最早通用しない。平成18年末に公布・施行された教育基本法こそが、教育における新たな共有すべき価値観である。

 明年は戦後70年の節目の年である。未来志向でこの国の進路を切り拓いていかなければならない。この度の地教行法改正は「戦後教育」に区切りをつけるものなのである。

 教育再生実行会議は第三次提言として「これからの大学教育の在り方について」を提起し、この中でグローバル化に対応した教育環境づくりを進め、世界大学トップ100に10校以上のランクインを目指すとしている。第四次提言では、「高等学校教育と大学教育との接続、大学入試選抜のあり方について」の検討の中で、大学入試センター試験の廃止と達成度テストの導入についての検討が進められている。第五次提言では「学制改革―六・三制の改革」も検討段階を迎えている。

 これらはいずれも「戦後教育」体制に起因する諸課題である。学制発布から140年余、我が国は敗戦の試練に耐えて、貫く棒の如く歴史、伝統、文化を守り抜いてきた。これを次代に受け継ぐのが我々の使命である。

こばやし・ただし 昭和8年、旧東京府生まれ。横浜国立大学学芸学部哲学科を卒業し、川崎市立中学校教諭に。日教組の神奈川県教組委員長などを経て、平成元年、社会党から参議院議員に立候補して当選。1期務める(社会党は5年に離党届を提出し、後に除名)。政界引退後は、教育評論家に。著書に『「日教組」という名の十字架』(善本社)、『教育制度の再生』(学事出版)など。