山口昌子(前産経新聞パリ支局長)

 司馬遼太郎氏は、「この国のかたち」という表現で日本国のありかたについて鋭い洞察を行ったが、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」テロ事件と事件に対するフランス人の反応はまさしく、フランスという国の《かたち》を浮かび上がらせたといえる。つまり、フランスがフランス革命に端を発する《共和国》であり、その理念が《自由、平等、博愛》と《非宗教》であることを強く印象付けたからだ。

死守した理念


 シャルリー・エブドがイスラム過激派をきわどい風刺や挑発の対象にし始めたのは約10年前だ。犠牲者の中の警官2人のうちの1人がステファン・シャルボニエ編集長の護衛官だったように、編集長は絶えず「死の脅迫」にさらされてきた。そして、この「死の脅迫」に屈せずに、文字通り死守したのが、《フランス共和国》の理念の一つである《自由》、つまり《表現の自由》だった。

テロ事件発生当日の1月7日、犠牲者らに連帯を示すため首都パリのレピュブリック広場に集まった人々=2015年、フランス(共同)
 だからこそ、事件数時間後にはデモの名所レピュブリック広場に約10万人が自発的に結集し、事件4日後の「共和国デモ」には仏全土で約370万人が党派の相違などを乗り越えて結集した。この事件は一部で誤解されているように、決して“イスラム教(宗教)対西欧文明”の対決や価値観の対立ではなく、《テロ対民主主義》の「戦い」(バルス仏首相)だ。少なくとも、フランス人はそう考えている。大規模デモの名称が「共和国行進」と命名されたのも偶然ではない。「私はシャルリー」の「シャルリー」は「自由」の代名詞だ。下品でどぎつい風刺を必ずしも支持していない人たちも参加したゆえんだ。

 いわゆる「1968年5月革命世代」が中心になって生まれたシャルリー・エブド(当初の名称は「ハラキリ」)の風刺、挑発の対象は当初、当時影響力を誇っていたカトリックだった。政治家も軍人も人気スターも大富豪も例外ではない。風刺が文化であり伝統であるフランスでさえもシャルリー・エブドが抱える係争事件は名誉毀損(きそん)など実に「約80件」と伝えられる。ただ、法律に訴えても、テロという極めて野蛮で卑怯(ひきょう)な手段に訴えたのは今回が初めてだ。

 一方で事件直後、ニコラ・サルコジ前大統領らが「混同(アマルガム)するな」と訴えたのは、イスラム過激派とイスラム教徒とを混同するな、という意味だ。フランスにはアラブ系(多くはイスラム教徒)が国民の約8%を占める。イスラム教徒イコール、テロリストでないことを明確に訴えたわけだ。フランソワ・オランド大統領の招待にベンヤミン・ネタニヤフ・イスラエル首相とマハムード・アッバス・パレスチナ自治政府議長ら各国首脳が参加し、バラク・オバマ米大統領の欠席をホワイトハウスが声明を出して「誤り」と認めたのも、このデモが「反テロ」だからだ。

「非宗教」が国是


 フランスはまた、「非宗教」が国是である。公共の場でのイスラム教徒の女性のスカーフやブルカ(全身を覆った衣服)を禁止した通称「スカーフ禁止令」は決して「信教の自由」には抵触しない。この法律ではユダヤ教のキッパ(男性がかぶる小さな皿状の帽子)もキリスト教の大型の十字架も禁止されている。服装などによる宗教的規律から解放されるがゆえに《自由》であり、宗教的外見から無縁であるがゆえに《平等》であり、信仰とは無関係な市民的空間を構築できるがゆえに《博愛》だからだ。

 「非宗教」で「共和国」なので冒涜(ぼうとく)罪(不敬罪)は存在しないが、テロ賛美は刑法で禁止されている。極右系のタレントが「私はシャルリー・クリバリ(テロ犯の一人)」と発言して拘束されたのは、「テロ賛美」だからだ。デカルトの国フランスの論理やフランス人の唯我独尊的態度は誤解や反発を招きやすく、イスラム教徒の多いアフリカや中東諸国などで激しい反仏デモが展開されているが、今回の事件は冷戦終了後の世界が「テロ対民主主義」の対決であることを示唆した事件ともいえそうだ。