「吉本興業研究」第一部「黒い影」編より

産経新聞連載再録(平成23年12月7、8日)※肩書、年齢等は当時のまま

 1枚の写真がある。

 ゴルフクラブを手にした吉本興業社長、大崎洋(58)と落語家、笑福亭仁鶴(74)、ベテラン漫才師、中田カウス(62)の3人が並ぶ横で、満面の笑みを浮かべるもう一人の男。4人が収まった構図の中で、大崎は一人浮かない顔をしていた。

 滋賀県内のゴルフ場で平成17年6月に撮影された写真の人物は、大阪市に本社を置くリゾート開発会社の会長(67)。国内有数の観光地に会員制ホテルやゴルフ場を経営し、昨年3月期で60億円以上の売上高を計上する優良企業のトップである。

 ただ、彼には実業家とは別にもう一つ、「元暴力団幹部」という肩書もついて回る。カウスによれば、会長とは10年来の知り合いで、大阪・北新地で食事をしたり、会長の息子の結婚式に出席したりするなど、家族ぐるみの付き合いだったという。

 取材で入手した写真は、カウスが相方の中田ボタンと3度目の上方漫才大賞を受賞した際に開かれた祝賀コンペで撮影されたものだったが、カウスに説明を求めると、にわかに表情が険しくなった。

 「まさかあの後、会長や創業家との全面戦争になるとは思ってもみませんでしたわ…」

 コンペから2年後。カウスの言う全面戦争は「お家騒動」として世間をにぎわすことになるが、写真の中の大崎は、そんな吉本の不穏な未来を暗示していたかのようにも見える。

62歳の早すぎる死


故林裕章・吉本興業会長の「お別れの会」=2005年1月26日
 17年1月、お家騒動の前兆とも言える出来事が起きた。吉本の「中興の祖」の林正之助の娘婿、林裕章が会長就任からわずか5カ月で急死した。62歳の早すぎる死。それは吉本全体のパワーバランスに大きな影響を与えた。

 死後、吉本の経営権は現会長の吉野伊佐男(69)や大崎らに移ったが、これに猛反発したのが正之助の愛娘(まなむすめ)で裕章の妻、マサだった。マサの狙いは「林家」に経営権を取り戻すことだったが、その後、リゾート開発会社会長らに急接近し、創業家と現経営陣の対立は決定的となる。

 この会長の腹心のリゾート開発会社社長(66)は、カウスと裕章の特別な関係が「確執」の元凶になったと指摘する。

 「生前の裕章さんの女性トラブルを、カウスが暴力団の名前を使って解決したそうだが、これ以後裕章さんはカウスに頭が上がらなくなり、カウスは『特別顧問』の肩書まで手に入れた。だが、裕章さんの死後すぐに豹変(ひょうへん)し、創業家をないがしろにするようになった」

 この件について、カウス本人に尋ねてみると「僕が先代のことでヤクザを使って女のことを解決したり、会社の経営に口出ししたことは一度もありません」ときっぱり否定している。

最期まで引かなかった正之助の愛娘


 双方の言い分は、お家騒動が収まった今でも食い違いをみせるが、そもそもマサとカウスの関係は良好だったという。確執の原因をカウスが振り返る。

 「吉本株をホリエモン(元ライブドア社長、堀江貴文受刑者)が大量に買いに入ったとき、マサさんから慌てて『吉本には株のプロがおらん』と相談を受けました。たまたま僕の親戚にプロ中のプロがおりまして、マサさんにもお伝えして納得してもらったんですが、マサさんはその後、『あんな乗っ取り屋に会うもんじゃない』って吉野さんに告げ口ですわ。キレますやん、だれでも」

 むろん、このエピソードはカウスの一方的な見方にすぎない。もう一人の当事者であるマサは2年前に他界しており、どっちの言い分が正しいのか、今となっては知るよしもない。

 ただ、マサはその後も「創業家当主」を名乗り、カウスや経営陣と対立を深めていく。マサはなぜ最期まで引かなかったのか。その答えは、正之助が生前公言していたという、この言葉にあるのかもしれない。

 「社員は虫けら、芸人は乞食(こじき)」

 正之助のDNAを受け継ぐマサにとって、「社員」が吉本を牛耳り、「芸人」に自身のプライドを傷つけられたことがどうしても許せなかった。だからこそ、裏社会と接触を図ってでも、彼らを追い出そうとしたのではないか。

 カリスマだった父をも上回りかねない創業家としてのプライド。それは吉野や大崎ら“外様”による創業以来最大の「決断」に少なからず影響を与えることになる。

*   *   *

上場廃止「興行とヤクザ」にピリオド


 「非上場化で新しい吉本が生まれる」

 平成21年9月11日、東京、大阪両証券取引所1部上場の吉本興業が計画する株式の非上場化をめぐり、元ソニー会長、出井(いでい)伸之(74)が代表を務める投資会社「クオンタム・エンターテイメント」による株式公開買い付け(TOB)の実施が発表された。

クオンタム・エンターテイメントによる吉本興業株のTOP発表で握手する(左から)クオンタムリープの出井伸之代表取締役、吉本興業の大崎洋社長、大株主である大成土地の吉本公一社長=2009年9月11日(撮影・早坂洋祐)
 クオンタムは、吉本の友好的買収を目的に設立され、在京キー局や広告代理店、ソフトバンクなどが190億円を出資。銀行からの融資などにより最大350億円を調達し、全株買い付けの必要資金に充てた。

 財界の「大物」が旗振り役となったTOBに応じた吉本。株式上場からちょうど60年という節目の年に、上場廃止を前提にしたTOBに賛同した狙いは何だったのか。

 吉本興業取締役、中多広志(50)は「上場している限り、株主に迷惑がかからないように振る舞うのが最も大事なことになり、大胆なチャレンジができない。もし上場を維持していれば、ハゲタカファンドに買いたたかれて、ボロボロになっていたでしょうね」

 もっとも、「笑い」というソフトを売る吉本にとって、市場から資金調達するメリットはほとんどない。むしろ、経営側の視点からみれば、上場を維持するデメリットの方が大きかったのかもしれない。

 ただ、TOBへの賛同という重大な決断に、経営陣と対立が続く創業家の「排除」という思惑はなかったのか。中多に尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

 「創業家排除のためだけに、天下の出井さんが動くと思いますか? でも、TOBを進めた結果、一部の株主の影響から逃れることができたのは確かです」

創業家の“影響力”


 創業家の一人である林マサの告発に端を発した「お家騒動」から2年。当時、マサ個人が保有する吉本株は全体の3・3%。長男、正樹(40)名義の株を合わせると、全体の約4%に達しており、これを背景にマサが吉本の経営に隠然たる“影響力”を行使しようとしていたことは否定できない。

 「株主本人の意思とは関係なく、強制的に保有株を買い上げる『スクイーズアウト』と呼ばれる手法を使うためにも、吉本側は何が何でもTOBを成立させる必要があったのではないか」。事情に詳しい関係者が振り返る。

 ただ、ようやく買収資金調達のめどがついた21年7月、事態は急変する。クオンタム側に150億円の融資を約束した日本最大のメガバンク、三菱東京UFJ銀行が土壇場で撤回したのである。

土壇場で裏切ったUFJ


 TOB開始直前でのUFJの撤退は裏切り行為に等しかったが、関係者は「撤退を決めた理由に、お家騒動と暴力団のつながりがあった」と証言する。

 それはマサの背後にいた元暴力団幹部のリゾート開発会社会長(67)と大阪市の財団法人「飛鳥会」をめぐる関係にあったという。

 関係者の証言によれば、この会長は平成15年までの6年間、同和団体である飛鳥会の理事を務めており、理事長の小西邦彦とも近い関係にあったとされる。

 同和団体の「首領」として君臨した小西。18年、業務上横領容疑で大阪府警に逮捕され、翌年病死したが、飛鳥会事件に絡む不正融資をめぐり、19年にUFJは金融庁の業務停止命令処分を受けている。

 関係者の一人は「事件後、旧三和銀グループは追いやられ、社内の勢力図も一気に変わった。だから、融資の一件も慎重にならざるを得なかったことは否定できない」と話す。

 TOBは21年10月、吉本の自社保有分を除く発行済み株式の約9割の応募で成立、上場廃止が決まった。

 吉本興業社長、大崎洋(58)は言う。「何かにつけてよかったな。興行会社って、時代の空気を吸いながらやる会社やから」

 創業一族である林家に公然と反旗を翻した大崎らが、上場廃止前に掲げたフレーズは「吉本の近代化」。その意味は、創業以来脈々と続く「興行とヤクザ」の関係にも、ピリオドを打つという意思表示だったのかもしれない。(敬称略)