八木秀次(麗澤大学教授)

慰安婦という反日国際謀略に利用されてきた教育


 慰安婦問題とは何か。簡単に言えば、共産主義勢力が仕組んだ現在進行形の国際的謀略である。これは日本を犯罪国家に仕立てる冤罪であるばかりか、被害者を加害者に、加害者を被害者に入れ替える謀略である。

 共産主義の落日が明らかになりつつあった1980年代後半、現にソ連が解体した90年代、共産主義勢力は未来を語れなくなっていた。そこで目を着けたのが日本の過去だった。彼らは既に日本の朝鮮半島統治について「帝国主義」の文脈で語り、事実無根の「強制連行」をジャーナリズムや教育の世界で定着させていた。共産主義者は、未来は語れなくても、帝国主義論を展開することで自らの歴史観を正当化することができた。「強制連行」は日本帝国主義の蛮行を示すシンボルとされた。そこに次第に力を得つつあった、これまたマルクス主義の亜流であるフェミニズム、ジェンダー論の要素が付け加えられた。女性は男性社会で虐げられているという言説である。「強制連行」+「ジェンダー」、これが朝鮮半島の女性が強制連行されて軍人の性の相手をさせられたという「従軍慰安婦」のストーリーである。

 このストーリーが日韓両国にまたがる問題として浮上し始めたのは、ちょうど北朝鮮による日本人拉致を日本政府が認定しつつあるときでもあった。梶山静六国家公安委員長が参議院予算委員会で「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と述べたのは昭和63(1988)年3月のことである。翌平成元年には、在日朝鮮人らのグループが日本政府相手の戦後補償裁判の原告となる元慰安婦らを韓国で募っている(提訴は平成3=1991年)。

 また、13歳で北朝鮮に連れ去られた横田めぐみさん拉致事件をまるで打ち消すかのように、朝鮮半島で12歳の少女が日本軍に強制連行されて慰安婦にされたという話が喧伝された。挺身隊と慰安婦の混同による誤解だったが、現在、アメリカをはじめ世界で建てられている慰安婦像のモチーフになるストーリーである。

 ジャーナリズムでも教育界でも、拉致問題は長くタブーだった。教科書に掲載するにも抵抗があった。多くの教科書に掲載されるようになったのは、平成14(2002)年、小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記が拉致を認めた後のことであった。

高校の授業で使われる社会科関連(日本史・世界史・政治経済・倫理)の検定用の、いわゆる「白教科書」
 他方、慰安婦の教科書掲載には抵抗がなかった。河野洋平官房長官談話が出された平成5(1993)年8月より前の同年6月と翌(平成6=1994)年6月に検定合格した高校の歴史教科書(日本史A/B)9種と14種の計23種のうち、明成社を除く22種で記述されている。文部省(当時)への検定申請は合格の1年前のことであるから、22種の高校教科書の多くは河野談話発表前に慰安婦を記述した内容を検定申請し、残る教科書も発表直後に記述を追加したのだろう。

 平成9(1997)年4月に検定合格した中学の歴史教科書では7種の全てで記述されている。なお、韓国の教科書で慰安婦が取り上げられるのは日本より遅れ、高校が1996年、中学が97年である。記述が増加するのは2002年からであり、慰安婦問題の火付け役が韓国ではなく日本であることの証左の一つだろう。

 河野談話は「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と書いている。慰安婦問題を教科書に書かせ、「われわれ」特に日本の子供たちの「記憶」に永くとどめること、すなわち日本人自身が日本民族を呪詛したくなるような贖罪意識を植え付けること、これが河野談話の一つの目的であると言ってもよい。その先にあるのは日本という国家の弱体化と解体である。

 河野談話は日韓の間の問題を解決しようとしたものである。そこになぜ教育の話が盛り込まれているのか。そもそも談話は日本統治時代の朝鮮半島での問題がテーマである。それなのに、個人レベルの戦争犯罪として処罰されたインドネシアでの事件を隠れた根拠とすることで、朝鮮半島で官憲等が組織的に強制連行して慰安婦にしたと読めるようになっていることは繰り返し指摘されている。現に河野官房長官は談話を発表した際の記者会見で強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、「そういう事実があったと。結構です」と答えている。当の官房長官自体がそのような認識であったことがこの談話の性格を決定づけた。

 この河野談話に限らず、慰安婦問題で日本の責任を言い立てる国内外の勢力は「教育」の場で取り上げることを執拗に要求する。不当介入にほかならないが、教育の場は彼らにとって反日謀略戦における一大「戦場」なのである。

 河野談話発出の経緯が政府の検証で明らかになって談話の正当性が崩れ、朝日新聞も強制連行説の根拠であった吉田清治証言に関する記事を取り消した今、慰安婦に関する教科書記述も根本的に見直さなければならないことは言うまでもない。しかし、課題はそれにとどまらない。

「朝鮮人強制連行」が慰安婦問題の土台


 慰安婦強制連行説は、朝鮮人強制連行説の上にジェンダー論を加えたものであると指摘した。例えば、平成9年4月に検定合格した中学校の歴史教科書の記述を見てみよう。最大手の東京書籍には、先ず「朝鮮人強制連行」と題した1ページのコラムが掲載されている。

 朝鮮人の強制連行は1939(昭和14)年から始まりました。最初は「募集」という形式でしたが、それは決して自由意思によるものではありませんでした。1942年からは、朝鮮総督府による「官斡旋」になりました。日本の公的機関が直接関与するようになったのです。総督府の割り当てに応じるために、警察官や役人が土足で家に上がり、寝ている男を家から連れ出すこともありました。抵抗する者は木刀でなぐりつけ、泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけたといわれます。(中略)1939~45年までの間で、約70万人もの朝鮮の人々がこうした強制連行によって日本に連れてこられたと推定されています。


 こう書いた後、「もし自分が強制連行のような目にあったとしたら、どう考えるだろうか。想像してみよう」と生徒に問いかけている。

 また、北海道などで多く採択されている教育出版の歴史教科書にも「地域から歴史を考える」「朝鮮・中国から強制連行された人々」と題する見開き2ページのコラムが掲載されている。

■筑豊(福岡県)の炭鉱の金さん■

 金大植さんは、1943年2月、家で寝ているところを警察官と役場の職員による徴用令状をつきつけられ、集結地まで手錠をかけられたまま、125名の朝鮮人同胞とともに日本に連行されてきました。日本へ送られる途中の監視は厳しく、便所へ行く時にも7人の監視係の目が光っていた。一行が福岡県の田川後藤寺駅に着くと、彼らの逃亡を防ぐために、数百名の人々が待ち受けていた。(中略)全国の強制労働の現場では、日本人による暴行事件も多く起こった。こうした暴行や、事故・栄養失調などによって、強制連行された約70万人の朝鮮人のうち、実に約6万人もの人々が死亡したといわれている。


 どうだろう。東京書籍も教育出版も、日本統治時代には朝鮮の男性たちがまるで奴隷狩りのように連行されて強制労働させられたと記述している。男を女に入れ替えれば、従軍慰安婦の強制連行説は容易に成立する。要するに慰安婦問題とは、朝鮮人強制連行説を土台に、スキャンダラスな性の問題を加えたものだということである。

 実際、以上のような強制連行説が詳細に記述された後、別のページで強制連行と同じ文脈で慰安婦について記述されるのである。

 また、国内の労働力不足を補うために、多数の朝鮮人や中国人が強制的に日本に連れてこられ、工場などで過酷な労働に従事させられた。従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた。


 労働力不足を補うため、強制的に日本に連行された約70万人の朝鮮人や、約4万人の中国人は、炭鉱などで重労働に従事させられた。さらに徴兵制のもとで、台湾や朝鮮の多くの男性が兵士として戦場に送られた。また、多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦地に送り出された。


 他の教科書会社も同様である。

 植民地の台湾や朝鮮でも、徴兵が実施された。慰安婦として戦場の軍に随行させられた女性もいた。国内の労働力が不足していたため、朝鮮から約70万、中国から約4万の人々が強制連行され、炭鉱などでの労働をしいられた。


 朝鮮から多くの人々を強制的に日本へ連行しました…。これらの地域の出身者のなかには、従軍慰安婦だった人々、……などがいます。


 表現の濃淡はあれ、慰安婦の強制連行説に立った記述をしている。慰安婦の場合の強制連行の主体は明らかにしていないが、朝鮮人強制連行の場合は、警察官や朝鮮総督府の職員であるとしている。ここでは「官憲等」が「直接加担」した強制連行を記述している。

 慰安婦強制連行説の根拠であった吉田清治証言を、メディアとして最も積極的に持ち上げていた朝日新聞が正式にその関連記事を取り消した今、強制連行説に立つ慰安婦記述は教科書には掲載できない。中学校段階では平成17年(2005)4月検定合格の教科書で慰安婦記述そのものが全ての教科書から消え、今日に至っている。その背景には、平成9(1997)年辺りから、民間や政界で「従軍慰安婦」の記述を中心に歴史教科書のいわゆる自虐的な記述が問題視され、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の活動が始まり、その中で強制連行説の根拠が崩れたり、教科書採択の際に慰安婦記述が社会的に大きな争点になり、慰安婦を記述した教科書の採択を避ける動きがあったりしたことが考えられる。

 しかし、高校段階はそうはなっていない。明成社の教科書はあるが、他の教科書の採択を脅かすほどにはまだなっていない。そういう事情もあっていわば書き放題である。現在使用されている平成24(2012)年4月、文部科学省検定合格教科書の記述を紹介しよう。

 朝鮮の人々のうち、約70万人が朝鮮総督府の行政機関や警察の圧迫などによって日本本土に強制連行され、過酷な条件で危険な作業に従事させられた。戦争末期には徴兵制もしかれ、また、多くの女性が挺身隊に集められた。…日本の植民地や占領地では、朝鮮人や中国人・フィリピン人・ベトナム人・オランダ人など、多数の女性が『慰安婦』にかりだされた。慰安所は、中国・香港・シンガポール・オランダ領東インドから、日本の沖縄諸島・北海道・樺太などにまでおよんだ。

 植民地や占領地では、日本軍も設置や管理に関与した慰安所に、朝鮮人を中心に、中国人・インドネシア人・フィリピン人・オランダ人などの多数の女性を、日本軍兵士の性の相手である慰安婦として動員した


 また、日本の植民地だった朝鮮・台湾の人びとや、日本の占領下にあった中国の人びとが日本本土に強制連行されて、工場・鉱山などで労働させられた。 … また、慰安婦として現地の慰安施設で働かされた女性たちもいた。


 日本国内の労働力が不足すると、これをおぎなうために多数の朝鮮人を強制連行した。また、朝鮮人を中心とした多くの女性が慰安婦として戦地に送られた。


 また、数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせた」「戦地に設置された『慰安施設』には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)。


 朝鮮人強制連行を記述し、その文脈の中で「慰安婦」「従軍慰安婦」を記述する。「かりだされた」「動員した」「送られた」とし、主体は明らかにしていないが、軍や朝鮮総督府の行政機関、警察などによる「強制連行」を示唆している。なお、これらの記述について文部科学省は検定意見を付けていない。

 ここでの課題は二つある。一つは、強制連行説の根拠である吉田証言に関する記事を朝日新聞が正式に取り消した今となっては、軍や官憲等による強制連行を示唆するような慰安婦の記述は高校段階でも止めることである。慰安婦は戦地での公娼の一つであり、慰安婦の記述をするなら、内地と外地にあった公娼についても触れなければなるまい。それに触れないなら中学校のように慰安婦の記述自体を掲載しないようにするべきである。

 二つ目は、慰安婦強制連行説の土台になっている朝鮮人強制連行の記述の妥当性について検討することである。朝鮮人強制連行については、今夏、全国で採択されている小学校の歴史教科書(6年上)でも4社全てで記述されている。

 戦争が長引き、日本に働き手が少なくなってくると、多数の朝鮮人や中国人が強制的に連れてこられて、工場や鉱山などでひどい条件下で、厳しい労働をさせられました。/また、朝鮮人は、姓名を日本式に変えさせられたり、神社に参拝させられたりしました。さらに、男性は日本軍の兵士として徴兵され、若い女性も工場などで働かされ、戦争に協力させられました。


 日本の労働力不足を補うために、朝鮮や中国から多くの人々を日本に連れてきて、鉱山などで厳しい労働にあたらせた。


 朝鮮や台湾では、徴兵をおこなって日本の軍人として戦場に送りました。また、戦争が長引いて日本国内の労働力が不足すると、多くの朝鮮や中国の人々を、日本各地の鉱山や工場などで働かせました。


 植民地だった朝鮮で、日本は、朝鮮の人々の姓名を日本式の氏名に変えさせたり、徴兵を行って、日本軍の兵士として戦場に送ったりしました。また、朝鮮や占領した中国の人々を強制的に日本に連れてきて、各地の鉱山などで、厳しい条件のもとで働かせました。


北朝鮮の拉致の罪を相殺する強制連行


 小学校、中学校、高校を通じて教科書に「朝鮮人強制連行」が記述されていることが確認できよう。

 しかし、この「朝鮮人強制連行」からして、史実ではないことが現在では確認されている。朝鮮人の内地への渡航はそのほとんどが職を求めての自由渡航であった。わずかに「徴用」はあったが、「強制連行」は朝鮮大学校の講師を務めた朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)という著作が作り出した「神話」だったことが、首都大学東京特任教授の鄭大均氏の『在日・強制連行の神話』(文春新書、2004年)で明らかになっている。鄭氏は同著でこう記している。

 『朝鮮人強制連行の記録』の影響力は、60年代から70年代にかけては、限定的なものであり、その影響力は左派サークルの域を出るものではなかった。だが、やがて80年代に入り、日韓の歴史や在日の問題がマス・メディアで語られるようになると、『強制連行』のテーマは一気に大衆化する。この時期は社会主義国家が軒並み崩壊する時期であるとともに、人権主義に基調を置く『カタカナ左翼』が社会に浸透した時期であり、また韓国についてのテーマが大衆化した時期であるが、その道案内の役割を担ったのが、左派系の人々であり、『強制連行』という言葉を広めたのは彼らであった。この言葉は、今や『キョーセーレンコー』という程度の響きで、しかしそれは朝鮮人の被害者性と日本人の加害者性を表象するという本来の意思を継承しつつ大衆語化していくのである。


 大衆語化のみならず、教科書の記述となって、日本人の「加害者性」の意識が再生産されているのであるが、朴慶植が「強制連行」を強調したのは、それを日本の「帝国主義」的支配を象徴するものと位置づけたかったからである。朴の著書の「まえがき」には「日本帝国主義が朝鮮を植民地として支配した期間、どのように朝鮮人民を搾取し、圧迫を加えたかは、日本ではいまだにほんの一部分しか明らかにされていない」という記述がある。また、同書が別格の資料として添付している平壌発の「朝鮮民主法律家協会の声明」(1964年3月20日)という文書には「日本帝国主義が朝鮮にたいする植民地支配の時期に朝鮮人民にたいしておこなったいまひとつの大きな罪悪は、かれらが朝鮮人を大量に日本に強制連行して残忍に抑圧、搾取し、虐殺した事実である。(中略)とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期にいたって、日本帝国主義は戦時労働力の不足を打開するために、朝鮮人民を強制的に大量徴用した。日本帝国主義は当時朝鮮人を連行するにあたり、夜中に農家を襲撃し、白昼にトラックを横付けして畑で働いている朝鮮の青壮年たちを手当たりしだいに拉致していくなど、文字どおりの『朝鮮人狩り』をおこなった」という記述がある。これまで見た一連の教科書記述や吉田清治の慰安婦強制連行説の原型と思われるものである。

提訴のため札幌地裁に向かう植村隆氏(中央)と弁護士ら=2月10日午後
 朴は北朝鮮当局の指示を受けたのであろうが、日本帝国主義の象徴として「朝鮮人強制連行」を作り出した。当時は支持されなかったが、80年代に入り、共産主義の落日が明らかになると、日本の国内外の共産主義勢力は、未来を語れなくなったがゆえに余計に、自らの信奉する唯物史観・発展段階説の正しさを確認するために「日本帝国主義」の蛮行のシンボルとして「朝鮮人強制連行」を強調したのだろう。そしてそこにフェミニズム・ジェンダー論が加わって慰安婦の強制連行説が作り上げられた。左派が容易に吉田証言に乗ったのもそのような背景があってのことだろうし、早稲田大学の学生時代に極左暴力集団「第四インター」の活動歴もあるとされる朝日新聞の植村隆・元記者(『日本を嵌める人々』PHP研究所、2013年)の心理もそんなところではないかと推測する。

 そして、そこに共産主義の蛮行を語って余りある、北朝鮮の日本人拉致事件が発覚しそうになった。慰安婦問題を殊更に取り上げる勢力は、北朝鮮の拉致事件を否定し、冷淡に扱ってきた勢力と重なる。朝日新聞もそうである。

 拉致事件という補助線を与えると、慰安婦問題の構造がよく見える。慰安婦問題は日本の冤罪であるばかりか、拉致の被害者である日本人を加害者に入れ替え、拉致の加害者である北朝鮮を含む朝鮮人を被害者に入れ替える作用を持つ。韓国内で慰安婦の支援運動をしている勢力は北朝鮮のシンパであるとも指摘されている。日本の慰安婦問題の責任を裁くとして、昭和天皇に死刑判決を出した「女性国際戦犯法廷」(2000年)にも北朝鮮の工作員が関わっていた。慰安婦問題は、拉致という北朝鮮の国家犯罪を矮小化し、慰安婦を強制連行した日本に拉致を問題視する資格があるのかと主張するための仕掛けだったのではないか。80年代以降の出来事を俯瞰して私にはそのように思える。

朝日の記事撤回を歴史教育見直しの契機に


 東京大学名誉教授の和田春樹氏は、『世界』9月号の「慰安婦問題 現在の争点と打開への道」と題する論文で自らが関わったこととして、民主党政権末期に慰安婦問題について驚くべき動きがあったことを紹介している。

 平成24(2012)年2月、日本の慰安婦問題全国組織、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」の機関紙に、共同代表、花房俊雄氏の呼びかけが発表された。「野田政権に具体的解決を求めましょう」として「解決の内容に言及するとき、・日本政府の責任を認め、被害者の心に届く謝罪をすること、・国庫からの償い金を被害者に届けること、・『人道的な立場』とは加害者側の日本が使う言葉ではありません。責任を回避する言葉として被害者を傷つけます、等をポイントに、みなさまの思いを伝えてほしいと思います」と書かれたものだ。和田氏は「これは運動団体の側から出された重要な新提言であると私は受けとった。私はただちにこの花房提案を齋藤勁官房副長官に伝え、韓国の同憂の友人たちにも知らせた」という。齋藤勁官房副長官(当時)は政務の官房副長官で、社会党、社民党を経て民主党に入党している。横浜市役所出身とのことであるから、自治労の関係者ということだろう。そして、同年10月28日、その齋藤官房副長官と韓国の李明博大統領の特使、李東官氏が東京で会談し、以下のような解決案で合意したとのことである。「・日韓首脳会談で協議し、合意内容を首脳会談コミュニケで発表する。・日本首相が新しい謝罪文を読み上げる。従来は『道義的責任を痛感』すると述べていたが、『道義的』をのぞき、国、政府の責任を認める文言にする。・大使が被害者を訪問して、首相の謝罪文と謝罪金をお渡しする。・第三次日韓歴史共同研究委員会を立ち上げ、その中に慰安婦問題小委員会を設けて、日韓共同で研究を行うよう委嘱する」――。韓国側に全面屈服した内容だが、これについて「韓国大統領はこの案を受け入れていたが、野田首相は最後の瞬間にこの案の受け入れに踏み切ることができなかったようだ」と和田氏は書いている。この年の9月26日に自民党総裁選で安倍晋三氏が新総裁に選出され、野田佳彦首相が安倍総裁との党首討論で11月16日に衆議院を解散すると名言したのは同月14日のことだった。そして12月16日の総選挙では民主党が大敗して野田政権は崩壊し、第二次安倍政権が誕生したのは同月26日のことだった。野田首相が最終段階で「解決案」の受け入れに踏み切れなかったこともあるが、解散総選挙、そして政権交代がなければ、この「解決案」が実現した可能性は十分ある。危ういところだったと言わざるを得ない。

 和田氏はまた、新たな解決策として、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が1992年8月以来、「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」を継続開催しているが、本年5月末に東京で第12回会議を開催した。その際に採択された決議(6月2日付)に記されている必要措置を紹介している。「・明確な公式的な方法での謝罪、・謝罪の証としての被害者への賠償、・真相究明(資料全面公開、さらなる資料調査、さらなる聞き取り)、・再発防止措置(学校教育、社会教育、追悼事業、誤った公人の発言禁止)」――。

 和田氏は「これは実に注目すべき提言である」とするが、ここにも「再発防止措置」として「学校教育」が入っていることに注意したい。これは「『河野談話』を継承・発展」させた措置であるとのことである。

 朝日新聞の吉田清治証言記事取り消しを、単に一メディアの話にとどめてはいけない。学校教育を通じて日本人が贖罪意識を永久に持ち続けるようにし、日本の弱体化・解体を目論む国際謀略は、朝日新聞の慰安婦キャンペーンによって後押しされてきたのだ。

 教科書の慰安婦記述に限っても、慰安婦強制連行説とその前提となっている朝鮮人強制連行の記述の根本的な見直しが急務であることは言うまでもない。さらには、自虐史観に囚われ、左派の運動団体や外国勢力の介入を許してきたわが国の歴史教育全体の見直しの契機とすることが求められているのだ。

八木秀次氏(やぎ・ひでつぐ) 昭和37(1962)年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院政治学研究科博士課程中退。専攻は憲法学、思想史。「日本教育再生機構」理事長。著書に『反「人権」宣言』(ちくま新書)、『明治憲法の思想』『日本国憲法とは何か』(PHP研究所)など多数。平成14年、正論新風賞を受賞。