大学は悩んでいる。020年大会組織委員会と連携協定を結んだものの、オリンピック教育として何を、どのように教えていくのか、誰が教えるのか…。思案投げ首状態の大学も少なくないと聞く。

 「選手の強化に力を入れていく」と言い切る大学はいい。「平和教育とのつながり」を求める広島の大学は目標が明確だ。東北の大学は「大震災からの復興」を絡めることができる。地方大学は、地域の拠点としての動きと軌を一にしていくだろう。しかし…。

 「連携推進には教材づくりと教え方のモデル、指導マニュアルの充実が不可欠です」。組織委参与として大学連携を指導する筑波大学体育専門学群長、真田久はバックアップ体制強化の必要性を説く。「何よりも教える人の養成です。先生たちを対象にした講習会などを定期的に開いていくべきでしょう」

 1955年東京生まれの真田は、小学3年生で「1964東京」に遭遇した。街が変化し暮らしが変わるなかで、「ゴミを拾いましょう」という全校あげた呼びかけを記憶している。当時、東京美化運動は教材のひとつとして実践された。

 中国南京で開催中のユースオリンピックの日本選手団団長を務める、藤原庸介は53年東京生まれ。美化運動よりも、「学校から動員されて見に行った」サッカーが強烈な思い出だ。

 私は2人の間の54年、北陸の小都市出身。授業として、教室に設置されたテレビの前で「アベベや円谷」に懸命に声をからした。

 指導者や教師たちに、今ほどオリンピックへの知識があったとは思われない。運動提唱や実践の場への引率、テレビ授業などは苦労の末の工夫であったように思う。それは東京だけではなく全国規模で行われた。

 ところで「東京」を共有する世代に、スポーツとくに社会・人文系のスポーツ研究者が数多い。因果関係があるだろうか。

 「あの時代の強烈な社会の変化がオリンピックによってもたらされたことは、子供たちのその後に影響を与えたと言ってもいいでしょう」。神戸大学大学院教授の山口泰雄は当時、小学6年生。アスリートと同様、教育・研究の道に進む人材の輩出も開催のレガシーだと話す。「次の世代にも同じような経験をさせてあげたいと思います」

 「東京」世代はいま、各分野における先頭走者。悩める大学に解決策を提示することは、レガシーの継承に他ならない。
(特別記者 佐野慎輔)