トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)は、本人の来日もあり、現在そのブームはピークを迎えている。国会でもピケティの議論を援用した討論が行われ、書店にいけば関連書籍や雑誌の特集はまさに山積み状態だ。ピケティの主張自体は極めて簡潔であり、それは以下の三点にほぼ集約できる。

 1)世界中で所得と富の分配の不平等化が進んでいる。2)その原因は(税引き後の)資本収益率(r)>経済成長率(g)にある。つまり経済の大きさが拡大するよりも資本の取り分が大きくなる。例外はふたつの世界大戦とそれに挟まれた期間だけである。3)この世界的所得格差を是正するためにグローバル資産課税やまた累進課税を促進すべき、というものだ。

 注意すべきは、ピケティのいう「資本」とは、主に個人や企業が有する民間の実物資産(不動産など)や金融資産(株など)のことである。また人的資本は考慮に入れられていない(ピケティの解説としては、高橋洋一『図解ピケティ入門』(あさ出版)がベストなのでぜひ参照されたい)。

 ピケティの議論については、誤読や批判的読解が行われてきた。代表的な誤読としては、ピケティの議論を「反成長」やアベノミクス批判、消費税賛成などに利用するものである。ピケティ自身は、将来的に経済成長ができないともそれが否定すべきものだとも一切いっていない。単に経済成長率よりも資本収益率が上回るとだけ言っているにすぎない。またアベノミクスの積極的な金融緩和には肯定的であり、他方で消費増税については格差を悪化させるものとして否定している。

 ピケティ「財政面で歴史の教訓を言えば、1945年の仏独はGDP比200%の公的債務を抱えていたが、50年には大幅に減った。もちろん債務を返済したわけではなく、物価上昇が要因だ。安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。物価上昇なしに公的債務を減らすのは難しい。2~4%程度の物価上昇を恐れるべきではない。4月の消費増税はいい決断とはいえず、景気後退につながった」(日本経済新聞、2014年12月22日)。

 例えば民主党の岡田克也代表は、ピケティの議論を同党の経済政策と親和的なものとみなしているという報道を目にした。「時間を置かずに10%にきちんと上げていくことが次の世代のためにも必要だ」と消費増税を積極的に進める発言をし、または積極的な金融緩和論者(原田泰)の日銀審議委員への選出を反対討論まで展開して防ごうとした同党とピケティの議論が協調する余地はないだろう。

トマ・ピケティ氏(左)と握手を交わす民主党の岡田代表=1月30日夜、東京都港区のフランス大使公邸
 海外の専門家によるピケティ批判には鋭いものが多く、その主要点は、1)ピケティの前提とする経済モデルの特異な仮定への批判、2)r>gがそのまま所得格差につながる可能性が低いこと、などである。前者については、専門的すぎるので割愛する。後者については、冒頭でも解説したが、人的資本(教育や訓練の経済的貢献)を無視していることにも大きく関わっている。また3)グローバル資産課税など処方箋が非現実的だとする反論も多い。

 特に重要なのはピケティの議論を日本に適用した場合だろう。この点については、『Voice』4月号に掲載された拙稿「アベノミクス2.0でデフレ脱却へ」や、『電気と工事』3月号「『21世紀の資本』と日本の経済学」、そして原田泰氏との対談(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41814)などで私自身の見解を開陳してきた。

 ひとことで言うと、日本の経済格差の問題点は、「貧しい人が多すぎる」ということだ。

 デフレによる長期停滞は、失業者の増加、非正規雇用の増加などで低所得者層を生み出しつづけてきた。いま日本の生活保護世帯に属する人たちは約216万人いる。さらに今回の消費税増税(5%から8%増へ)の際に、政府は低所得者層に地方自治体を経由して1万円を補助する政策を打ち出した。その対象となる人たちの総数が約2400万人に上っていた(軽部謙介「消費増税でわかった二四〇〇万人の貧困」『文藝春秋』2014年4月号)。日本の人口の約20%が「低所得者層」に属する。その一方で、富の集中は深刻ではない。つまりピケティの問題視する経済格差は社会のわずかな人たちに富や所得が集中することで出現するのだが、日本ではその種の経済格差は深刻ではない。むしろ日本では「貧しい人が多すぎる」ことが経済格差を深刻化している。

 この多数の貧困化現象は、経済停滞の長期化と大きく関連している。そのため対策は、ピケティの富裕税よりも経済成長を促す政策であり、現状ではアベノミクスの積極的な金融緩和政策である。そのほかに日本の高齢化の進展にともなう老人格差も問題ではある。この論点については、(対談以外)の私の上記論説を参照してほしい。

 ともあれピケティによる経済格差問題への注目は当分続くだろう。このことは私にはとてもいいことだと思う。経済問題という理解するのに取っ付きにくいが、それでも日々の生活の上で重要な問題に人々の関心がいくからである。

 もちろんこのピケティブームはさまざまな派生的な論争を提起するだろう。例えば、最近、伊東光晴(京都大学名誉教授)のピケティ批判「誤読・誤謬・エトセトラ」(『世界』2015年3月号)を読んだ。そこで伊東はピケティの議論は日本の実情をみていないとする。ここまでは私と同じだ。しかし日本の経済格差は、ジニ係数をみると1981年の0.3491から最新調査(2011年)の0.5536まで「異常な値」をとっていると伊東は見ている。ジニ係数は所得の不平等度を測る指標のひとつで、値が1に近いほど所得の不平等度は高まる。このジニ係数の「異常な値」の主因は、伊東によれば、80年代からの「規制緩和をはじめ、市場優位の新自由主義的経済政策」だという。この延長で、現状のアベノミクスも伊東によれば「新自由主義的経済政策」の弊害を象徴したものになるのだろう(伊東光晴『アベノミクス批判』岩波書店、参照)。

 しかし伊東の主張には疑問がある。まず問題にすべきは、税や社会保険などによる再分配後所得のジニ係数であるはずだ。再分配前のジニ係数は、高齢化の進行とともに上昇しているが、再分配後のジニ係数はこの20年、0.3前半から後半で安定している。ただ問題は、1997年以降、若い世代中心にほぼ全世代でジニ係数が0.3前半から後半にシフトしたことだ。この原因は、当時の消費増税を起点とする経済の極端な落ち込みと、それに対処しそこなった日本銀行の金融政策の失敗だった(詳細は拙著『経済政策を歴史に学ぶ』ソフトバンク新書参照)。

 日本の経済格差論争というのは、先の民主党の政策スタンスやこの伊東論説のように、消費増税の悪影響を軽視し、また金融政策の改善効果に批判的な人たちと、それに抗する人たち(ピケティも日本については抗する側だろう)との論争でもあるのかもしれない。

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