地下鉄サリン事件の実行犯5人のうちで唯一、無期懲役判決となった林郁夫受刑者。1998年5月、その判決を言い渡したのが当時の東京地裁裁判長、山室惠氏。後の実行犯の裁判でも、極刑が不当である理由として、自身が言い渡した判決を引き合いに出されることがあったという。地下鉄サリンから20年。あの時、なぜ死刑を言い渡さなかったのか。その問いを山室氏にぶつけた。(iRONNA編集部 川畑希望)

 林郁夫の1審の裁判長を引き受けた時は、当然死刑だと思っていました。地下鉄千代田線にサリンを散布した実行犯でしたから。1997年の12月10日、林被告が証言台の下に身を潜り込ませて大泣きした有名な「慟哭の法廷」の時も、泣いたってしょうがないだろうと思いました。泣こうが騒ごうがわめこうが、彼がやったことを考えたら死刑だと、冷めた目で見ていましたね。

 地下鉄サリン事件など6事件で殺人などの罪に問われたオウム真理教元幹部、林郁夫受刑者。

 慶大医学部を卒業後、米国の名門病院などで勤務し、国立病院の医長を務めた経歴を持つ元心臓外科医。誠実さと手術の技量の高さが評判だったという。昭和の大スター、石原裕次郎さんの治療に当たったこともあった。

 麻原死刑囚の著書を読んで平成元年に教団に入信し、翌年に家族4人で出家。優秀な医師としての手腕を買われて「治療省」大臣を務めた。脱会や戒律違反を摘発するため、麻酔薬で半覚醒状態にした信者に尋問する「ナルコ」という方法を考案。頭部に電流を流し、教団に都合の悪い記憶を消す「ニューナルコ」も考え出した。

 地下鉄サリン事件では実行犯グループの一人として、地下鉄千代田線内でサリン入りのビニール袋を傘の先端部分で刺し、サリンを発散させた。


 私は、林に同情したから無期懲役の判決を下したのではありません。そもそも同情はしていません。基本的に裁判は「理」のもの。感情というのは反対に属するものだから。感情的にどんなに許せなくたって法律的に許さなきゃいけないこともあるし、その逆もある。私は、許さないと思っていたし、許したから無期、というわけではありません。
林郁夫被告の判決傍聴券の抽選結果を見る希望者たち=1998年5月26日
 ただ、法廷を通じて、林被告の反省の色はあらゆるところから感じました。演技だという人はいるが、演技だと思わせるような材料はなかった。泣き方といい、泣くタイミングといい、使っている言葉といい、反省は本物だと思いました。

 検察の求刑が無期懲役だったことはやはり重かった。それをひっくり返して、死刑というのはなかなかできるものではない。それは勇気があるかないかの問題で済む話ではありません。検察側とすると、司法取引を認めるような、先取りするような形で事案解明に貢献したと。しかし、それを裁判所として正面から理由づけにするわけにはいかない。そこで、被告が非常に強く反省しているということ、そして地下鉄サリン事件の遺族である高橋シズヱさんと、菱沼美智子さんが必ずしも死刑を望んでいないことを強調しました。

 無期懲役の判決理由は下記の通りです。

 「本件はあまりにも重大であり、被告の行った犯罪自体に着目するならば、極刑以外の結論はあろうはずがないが、他方、被告の真しな反省の態度、地下鉄サリン事件に関する自首、その後の供述態度、供述内容、教団の行った犯罪の解明に対する貢献、教団による将来の犯罪の防止に対する貢献その他叙上の諸事情が存在し、これらの事情に鑑みると、死刑だけが本件における正当な結論とはいい難く、無期懲役刑をもって臨むことも刑事司法の一つのあり方として許されないわけではないと考えられる」

元東京地裁裁判長の山室惠氏
 私は、林受刑者は一生出てはいけないと思っています。判決からまだ17年です。いまは有期刑は最長で30年ですから。ずっと入っていなければという気持ちは強い。林受刑者がほかのサリン事件の実行犯だった死刑因と比べて罪が軽いものであるとは思っていません。

 今後も、しっかり事件を検証する作業は怠ってはいけない。簡単ではないけど、二度と起こさないようにするにはどうすればいいかというのは考えつづけなければならない。

 いまになっても、若干の疑念というのはずっと引きずってはいますが、いま、あの当時に戻ることができても、あの判決しかないと思っています。リクルート事件をはじめ、さまざまな裁判を担当してきて、林被告の裁判もあくまでその中の一つです。しかし、自分の下した判決が正しかったのか、正しくなかったのか、これほど自問自答し続けた裁判はほかにありません。

 林受刑者は逮捕後、完全黙秘の姿勢をみせたが、取調官から「人の命を救うのが医師ではないか」と言われ、泣き崩れた。その後、「私が地下鉄でサリンをまきました」と供述し、サリン事件の全容解明の突破口となった。

 平成10年3月、東京地裁での論告求刑公判で検察側は「被告人の自首によって真相の究明がなされ、その全容解明等に果たした被告人の役割は大きい」と判断、死刑でなく無期懲役を求刑。5月26日の判決で山室裁判長も自首を考慮し、求刑通り無期懲役を言い渡した。

 林受刑者も控訴せず、判決通り無期懲役が確定し、現在は千葉刑務所で服役中だ。地下鉄事件の散布実行犯として唯一極刑を免れている。

山室 惠(やまむろ めぐみ)
日本の元裁判官、弁護士(弁護士法人 瓜生・糸賀法律事務所顧問)。男性。裁判官としては、主に刑事事件を担当した。警察庁「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」委員。