佐伯啓思(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)


 時々、ふってわいたようにかなり高度の専門書がベストセラーになる。近いところでは数年前に政治哲学者サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』が話題を呼んだ。同時にハーバード大学での学生参加型の講義が「サンデル教授の白熱教室」として放映され、議論の内容というより、この講義スタイルが火をつけたといってよい。

 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の今回のブームは、特にそういうパフォーマンスがあるわけではない。また日本だけの現象でもなく、欧米も含めたもので、いや、もとはといえば米国で大評判となった。

 こうなると、万事米国の後追いをする日本で評判になるのも時間の問題だったが、案の定、600ページもある翻訳書『21世紀の資本』が出版されるや否や、一気に異例のべストセラーとなった。来日した同氏は、ほとんど分刻みで講演やインタビューやテレビ出演に駆り出され、ほとんど同じ話をし続け、その産物として各テレビ局や新聞などは、ほぼ同様のインタビューを放映、掲載した。雑誌はどれもこれもピケティ特集を組み、解説本までがベストセラーとなる、という何とも不思議な光景が出現した。(もっとも、私もここでピケティについて書いているのだが)

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 この集団的現象に一番驚いたのはピケティ自身だったかもしれない。なにせ、格差が開いて貧富の差が固定される一種の階級社会が到来しつつある、と主張した、かなり高価な本に誰も彼もが飛びついたのだから。

 この本の主張はわかりやすいもので、おおよそ次のようなものである。19世紀から20世紀の初頭までは、先進国はいずれも経済格差の大きな階級型の社会であった。しかし、二つの大戦によって階級が崩れ、さらに戦後の福祉重視の政策で先進国は平等社会に近づいた。ところが1980年代から先進国ではふたたび経済格差が拡大し、この格差は固定化される傾向がある。

 では、格差をもたらしたものは何かといえば、保有する資産の多寡である、というのがピケティの主張である。不動産や金融資産を保有する金持ちは、その資産を投資してさらに資産を増やす。一方、かつかつの生活費をなんとか稼ぎ出している賃金生活者は、資産を増やすことができない。だから、賃金があまり上昇しない状態にあれば、資産の多寡によって格差がいっそう拡大する。

 きわめて分かりやすい理屈である。ピケティはフランス人なので、欧州を分析の中心にしており、これをそのまま日本に当てはめるわけにはいかないが、しかし、多くの者が、今日の日本でも経済格差が開いている、という印象をもっていることは間違いない。さらに、日々報道される株価のバブル的な動向を眼前にすれば、うまく金融投資をやることが資産増加の鍵になっている、という気分がつくり出されても不思議はない。

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 ピケティ本がそこへきわめて分かりやすい説明を提供した。そこでこの本は、もっぱら格差拡大に焦点を合わせて取り上げられるのだが、もうひとつ重要なことを述べている。それは、先進国がかなりの勢いで成長できた期間は、実はきわめて短く、戦後の30年程度だった、というのだ。これは戦後の復興によるところが大きく、むしろ例外的な期間だったのである。80年代以降のグローバル化や市場競争化は決して経済を成長させてはいないし、この低成長を逆転することは難しい、と彼は見ている。

 これは大事な点である。もしも成長が困難となれば、市場競争を強化しても勝者と敗者の差が開くだけで社会はうまくゆかない。そこで、累進課税や相続税をあげて所得を再分配せよということになるが、それではますます生産性を落としかねない。

 われわれはこういう社会に入りかけている。先進国はもはや成長を求め、物的富を追求し、さらにはカネをばらまくことで無理に富を生み出そうというような社会ではなくなっている。経済成長の追求を中軸においたわれわれの価値観を転換しなければならない。ピケティが述べているわけではないが、この本が暗示することは経済観の転換なのである。 

 さえき・けいし 京都大学大学院人間・環境学研究科教授。昭和24年、奈良市生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。専門は大衆社会、市場経済論。平成19年、正論大賞受賞。著書に『新「帝国」アメリカを解剖する』(ちくま新書)、『倫理としてのナショナリズム』(NTT出版)、『日本の愛国心』(同)、『自由と民主主義をもうやめる』(幻冬舎新書)など。

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