本郷和人(東大史料編纂所教授)

みな天下を欲しがった?


「天下布武」の印。岐阜城の攻略後、
信長はこの印章を用い、「天下」平定を
高らかに宣言した
 ぼくも大好きなのですが、戦国時代を舞台にしたゲームをしていると、どんな戦国大名も天下の統一を目標としている。天下人になるために隣国を侵略しよう、他の大名をうち倒そうと、もう毎日、がんばって努力している。あれ、本当なんでしょうか?

 小田原城の後北条氏(ごほうじょうし)が欲しかったのは、一貫して関東です。上方(かみがた)への対応を怠って、豊臣秀吉のすごさがわからず、滅ぼされちゃった。毛利元就(もとなり)も一生、吉田郡山城(広島県安芸高田市)というさほど大きくない山城に住み、中国地方に覇を唱えることを目標としている。それ以上は望んでいない。

 一国を支配することで満足している大名もいます。越後の上杉謙信、越前の朝倉義景(よしかげ)、美濃の斎藤道三などはそのタイプでしょう。だいたい、けわしい山や大きな川など、地理的な条件によってひとまとまりになっている地域が「国」として区画されていたわけですから、その国を支配の単位とする、というのはリーズナブルだったわけです。

戦国大名は地域の「王さま」


 駿河(するが)の今川義元は桶狭間で織田信長に討ち取られてしまったために、京都の文化にかぶれた暗愚な人物としてテレビやゲームに登場しますが、実際には「海道一の弓取り(戦上手)」と謳(うた)われた有能な大名でした。彼は今川領国の法律というべき「今川仮名目録」を制定し、その中で力強く宣言します。

 「いま、大名は自身の力量でもって法律をかかげ、領国内を穏やかに保っている。だから、わが今川家の権勢の及ばぬことが、国内にあってはならない」

 天皇や将軍の権威をあてにせず、領国を自らの実力で支配する戦国大名。彼らはその地域の「王さま」と呼ぶべき存在です。彼らの興味の対象がもっぱら自国に限定され、天下だとか、国家だとかが意識されなかったのは、むしろ当然ではなかったでしょうか。

「日本」を作っていった信長


信長の花押(かおう)(サイン)で平和な世に出現する霊獣、麒麟(きりん)の「麟」の図形化。戦乱のない世を意識していたのだろう。
 諸大名が牽制(けんせい)しあう中でいち早く上洛(じょうらく)を果たしたのが織田信長で、彼は室町将軍を奉じて天下に号令し、やがて天下人へと成長していく。ぼくたちは何となくそう理解していますが、よく考えてみると、これは全くおかしい。一つには、信長が上洛する以前にも京都周辺には三好長慶(ちょうけい)や松永久秀など権力者は常にいたわけですが、彼らが天下人を志向していたようには見えません。

 もう一つ、根本的な問題として、実力が重んじられていた戦国の世に、将軍を奉じるという大義名分が有効に機能した、というのがヘンテコリンです。このあたりは研究者によって意見が分かれるところですが、先に見たように「自らの力量」で領地を治めていた大名たちが、伝統的な権威をかつぐ信長にひれ伏した、とするのは矛盾というほかはない。

 じゃあ、どう考えるか。この列島は統一されるべきだ。そう発想を転換したところに、信長の何よりの「新しさ」があった。ぼくはそう解釈したいのです。信長は実力を蓄えるために、経済的にもっとも豊かな畿内の制圧を進めた。他の大名を圧倒する生産力に依拠しながら、信長は「日本」を作っていったのではないでしょうか。