「センゴク」宮下英樹が語る真実の信長

『iRONNA編集部』

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 戦国乱世の革命児とのイメージが定着した織田信長だが、最新の研究ではこうした「破壊者」としての人物像を否定する学説に注目が集まっている。信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えた戦国武将、仙石秀久の生涯を描いた人気漫画「センゴク」シリーズの著者、宮下英樹氏に自身が思う「真実」の信長像を大いに語ってもらった。


 若手研究者として注目を集める金子(拓・東大史料編纂所准教授)先生の、「革新的なイメージの強い信長が、実は保守的だった」とする説は説得力があると思います。ちょっとニュアンスが難しいんですけど、例えば、スティーブ・ジョブズってあれだけ有名なのに、でも特に新しい発明してないじゃんみたいな。実は彼の凄さはもっと違うところにあって、信長についても同じことが言えるのかなと思う。そういう意味で凄さや新しさのニュアンスっていうのが難しくなってきたと思ってます。

 昔は誰かが何かを為せば、全部が全部、新しいことをしてきたような受け止め方になっていたけど、最近はそんな新しいことしてないって否定的な見方も当たり前になってきた。でも、本当の新しさって、そこでもないっていうか、信長に関して言えば、彼がやりたかったことは、領土を拡大することだから、それ以外は政治的に何か新しいことをしないといけないわけでもなかったはずなんです。それを無視して、信長は大したことないっていうのはやっぱり違うと思う。

宮下英樹氏=東京都文京区の講談社(瀧誠四郎撮影)
 僕が描きたいのは、とにかく彼の苦労人の一面っていうか、もっと端的に言えば失敗がむちゃくちゃ多くて、失敗の連続の中で生き抜いた事実なんです。「信長公記」に書かれている信長の姿は、野営の中で鎧とか兜を枕にして寝るとか、ハンニバルのアルプス越えの苦労じゃないけど、部下のみんなに苦労しているところを見せてるところ。ルイス・フロイスも書いているように、誰よりも遅く寝て早く起きるみたいな。人一倍苦労しているからこそ、強権的なところも許されているってイメージが強いですね。

 でも僕の漫画で描く信長は、苦労人というよりは破壊者っぽいですよね。実情として考えているのは、彼が分かった上で壊してるのか、木曽義仲みたいにただ闇雲に壊してるのかということです。足利義昭(室町幕府15代将軍)の追放のやり方一つをみても、田舎者が暴れて壊すというより、かなり慎重にやっているな、という感じがします。当時の書状や記録などを読んだんですが、実際はかなり慎重に宣伝しながら、時期を見計らってまさにこの瞬間というタイミングで義昭を追放している。信長という人物を考えたとき、壊すものと残すものの取捨選択が特にうまいっていう印象もありますね。


いきなりメジャーを目指さなかった慎重さ


 金子先生が最近提唱した学説では、信長が足利義昭を奉じた目的は、京都を中心とした畿内の秩序維持であり、将軍をサポートして自分が政を執り行うという意味だったそうです。言い換えれば、信長の目指した天下とは日の本の統一ではなく、畿内制圧だったという見方ですよね。これは難しい解釈なんですけど、やっぱり僕も金子先生の言う通り、信長が義昭を奉じた時点では、全国の大名に向けて日の本を統一する宣言をしようなんて考えてなかったと思います。当時の状況を考えれば、信長がそれを宣言した瞬間、全国の大名を敵に回してしまうことになる。信長はそんなつもりではなく、やっぱり「将軍家をサポートしますよ」という宣伝が大きな目的だったのかなと思う。義昭を奉じて以降は、少しずつ周囲を観察しながら「あっ、こいつも大したことないな」「京って言ってもまあ大したことないな」って肌で感じるようになり、少しずつ野心が大きくなっていったのだと思う。

 東大史料編纂所の金子拓准教授は著書「織田信長 <天下人>の実像」で信長が早くから天下統一を意識していたという見方を否定。愛用していた「天下布武」印も天下取りの宣言ではなく、室町幕府・足利将軍家を助けて京を中心とした畿内統治への意志を示したものだという新たな信長像を提示している。


宮下英樹氏=東京都文京区の講談社
 当時は、京都で数年間過ごして、それを維持できただけでも、過去にあまりないことだった。その時点で自分の能力にある程度の確信はできたのかなって感じですね。ちょっと単純かもしれないけど、僕はこの時代に生きた人をプロ野球選手みたいに考えているんです。例えば、高校で通用したら、次はプロでもやれて、さらにその上のメジャーへ行くみたいな。信長も最初からメジャーを目指すぐらいの気概がうっすらあったとは思うんですけど、それは自分の成長とともに段階を踏まないといけないし、誰だっていきなりは通用しないことも知っていた。

 ましてや、京都のしきたりだって分かんないと壊しようもない。だからまずは京都のスタッフというか、松永弾正(久秀)とか、ああいう畿内の事情に精通した人物を集めて使ったというのは、信長が慎重にやっている表れでもある。比叡山の焼き討ちの時だって、ちゃんと周囲に相談して意見を聞いたりとか、一応念入りに下調べした上で実行した。彼の内面にはその慎重さと、いつかぶっ壊してやるという破壊的な部分がいつも同居している。すごく曖昧な見方になっちゃいますけど、自分が描いているよりはもっと理知的にやってる気がしますね。

 ところが、ある時点までは慎重にやっていながら、突然急にキレてしまうことがあるんですよね。しかも感情的に。その時には、いろんな事が一気に進んでしまう。でも、彼は下調べした上でキレるから、一気に物事が進んでもそこまで大きな問題にはならない。何かを壊したときの反発が、いつも想像の範囲内で済むっていう感じなんです。もちろん、キレすぎて、「あっ、ちょっとやりすぎかも」っていう時も、たぶんあったと思いますけどね(笑)。

裏切りの耐性が強権につながった



裏切りの耐性が強権につながった


 信長という人物像を考えるとき、まず思うのは、彼が「裏切り」に関する耐性が強いってところです。尾張の時代から裏切りにいっぱい遭ってきているし、その経験から事前察知というか、裏切りに対してあまり怖がらなくなったのは大きいですよね。ふつう1、2回裏切りに遭えば、次は慎重になっていくものなんですが、信長ってこの部分だけは全然慎重じゃない。裏切りにはさらに大きな裏切りで返すっていう耐性がある。

 佐久間(信盛)に出した折檻状を読むと、信長はかなり起業家的な考え方があって、とにかくお金回り優先の家臣遣いだった。例えば、佐久間を責めた理由の一つは、褒美とかを貯め込んで家臣に分け与えないことだった。つまり家臣が内部留保を貯め込むみたいなことをとにかく嫌う。褒美を与えられたら与えられた分、すぐに部下に分け与えることを好む。あと寄騎って、企業にとっての派遣社員みたいなものなんですが、寄騎の武将を酷使するなとか、本当は使い勝手がいいはずなんだけど、それを酷使することも嫌う。ちゃんと自分の育てた家臣を前線に立たせて、そのサブとして寄騎を使えとか。それと、失敗した家臣もすぐに首にするんじゃなくて、ちゃんと挽回しろっていう、すごい合理的な起業家精神を持っている。

『佐久間折檻状』

 天正8(1580)年、信長が古参重臣の佐久間信盛に送った書状。19箇条からなる書状には、他の重臣に比べての武功不足や保守的な戦略など無為をあげつらわれ、信盛は高野山に追放された。


織田・徳川討伐に動き始める武田信玄
=「センゴク」8巻(C)宮下英樹/講談社
 これも謎なんですが、当時の一般的な考え方として「家を残す」という思想があったはずなんですけど、信長はこの思想から部下を切り離すことに成功した。本来、大名というのは、いかに家中の感情をなだめていくのかが非常に重要な仕事でもある。(武田)信玄とかも、ちゃんと法律をつくって徹底的に順守させた。他にも、結城家っていうところも、やっぱり家臣が自分の家を守るためには裁判で黒を白にしちゃうぐらい極端なことをやっている。家臣の非を責めてすぐに切腹されたら困るし、だからこそ多くの大名が独自の法律をつくって、ちゃんと家臣をなだめたりしてたんですけど、信長は最期までそれやらずに済んだ。やっぱり家の思想から切り離したことが大きいんだと思うんですけど、それができたのは金銭力、つまり経済力があったからなんでしょうね。でも、根本的にはちょっと謎ですね。なんで信長だけ家臣の感情を無視しながら、あれだけ領土を拡げることができたのか。

 それと当時は、武士がお金を扱うことを忌み嫌う風潮があった。だから銭勘定は商人にやらせたし、しかも経済学なんて学問もないからリテラシーだってほとんどない。でも信長は違った。他の大名と比べても、お金の扱い方は圧倒的に優れていた。歴史をひもとけば、鎌倉時代とかの荘官でも凄い羽振りのいい人って、その金回りが謎だったらしくて、結局は周りの人に妬まれて潰されるんですけど、荘官程度でもお金の扱い方次第で大名クラスの生活ができたというから、信長の時代もお金の扱い方一つでものすごい差がついたのだと思う。お金を使えるか使えないか、単に得意っていうだけで、信長は他の大名よりもすごく優位に立っていたはずです。

 織田家は代々、荘官の家柄だった。商業地である尾張の津島で、しかも民間人と付き合っていたというのが大きかった。家老の子なのに庶民と付き合って、卑しいと思われていたお金の扱いを学んでいたなんて、当時の感覚では有り得ない。これは想像なんですけど、信長は荘官の時代からお金のリテラシーをどんどん学んでいったんだと思う。

信長は室町オタクだった


 関西の研究者の先生と話したりすると、もうちょっと関西の事情を考慮すべきだって教わることがあります。考えてみれば、尾張から来た信長が当時の都である京の秩序をいきなりは壊せない。ちょっとニュアンスが難しいですけど「自明性」というやつですよね。世の中はこんな風に成り立ってるという、あれです。この社会がどのように運営されているのか、というシステム。実はこのシステムを壊すのが一番難しい。

安土に伺候する徳川家康への饗応に関して
相談する織田信長(上段左)と明智光秀(同右)
=センゴク一統記1巻(C)宮下英樹/講談社
 さっきも言いましたが、信長は極めて慎重にやっていて、信長以前の歴史上の権力者がいずれも朝廷に取り込まれてきたということもよく知っていた。信長は朝廷に対し暦の改訂を求めていますが、これも自明性の一番大きなものですよね。日付を決めるというのは日常を支配することですから。ちょっとずつちょっとずつ朝廷ありきの社会の自明性を、取り込まれないように、あんまり入り込まないように変えていこうとした。

 僕は、信長が京都に住まなかったのもその一つだと思うんです。信長はむしろ怖いぐらいに朝廷を見ていたと思うんです。将軍を追放しても何とか成り立つというか、京都の秩序を維持することができたけど、朝廷を壊したらもっと大きな問題が起きるんじゃないかって恐れを感じながら、でもどこかで壊そうとしてるっていうのはすごく感じますよね。だけどちょっとずつ、何を壊したいとか、朝廷権力というより、秩序の中心に成り立ってる社会の自明性を壊すことを極度に恐れていた気がします。

 ただ、それでいて単なる欲望と言うか、損得によって邪魔なものを壊すのが信長の考え方だったから、朝廷が表立って邪魔しない限りはそんなに急いで壊そうとも思っていなかった。それが、いつの頃からか朝廷に対して感情的にキレてしまう。信長にしてみれば、「もう、こいつは要らねえな」と思った時は、いつでもすぐに壊せるだけの準備はしていたと思います。

 もう一つ、僕のイメージなんですけど、信長は「室町オタク」だったと思うんです。これは以前、黒嶋(敏・東大史料編纂所助教)先生に聞いた話なんですが、信長が南蛮船を見に行った時に、細川京兆家の人と一色家の人を連れていっています。実は、かつて足利義満(室町幕府3代将軍)が外国船を見に行った時も、同じく細川京兆家と一色家の人を連れて出かけている。おそらく信長は義満にあやかって、同じようなメンバーで南蛮船を見に行ったんではないかと。

 あと、安土城の絵画とかも、義満の趣味にあやかったりしています。信長は懐古主義だからこそ、ちゃんと理解した上で古いものを壊そうとしていた。僕にとってはむしろ、そっちの方がよっぽど超人的に見えちゃったりするんですよね。何も考えなしに壊す方がよっぽど馬鹿っぽくて、分かって壊すって方が悪魔的な感じがして、ちょっと過大評価かもしれないですけど(笑)。

光秀の内面から読み解く本能寺の変


光秀の内面から読み解く本能寺の変


 信長を語る上で避けて通れない出来事といえば、やっぱり本能寺の変だと思います。日本史最大のミステリーといわれるだけあって、光秀の動機は研究者の間でも諸説分かれるぐらい謎に包まれています。僕はまず前提として「黒幕説」っていうのは、あまり信じていない。誰かがちょっとそそのかしたとか、その程度を黒幕とは思いたくない。本当に黒幕がいるのなら、信長がいなくてもよっぽど後ろ盾になるぐらいの力がないと。ちょっと秀吉とか義昭とかがそそのかしたぐらいで黒幕って言うのはどうなのかなと。
(C)宮下英樹/講談社
 仮にそそのかした事実があったとしても黒幕というのは、信長がいない後の権力をつかむほどの力がなければ現実的ではない。むしろ、光秀が嫌っている人物を殺させるぐらいの力がないと黒幕にはなりえないと思う。

 もう一つ、歴史科学をどう使おうか、というのもありました。本来『センゴク』は文献に当たったりして歴史科学を重要視してますけど、歴史科学はどんどん更新されるじゃないですか。最近もね、本能寺の黒幕について斎藤利三説というものが出てますけど。僕の中ではあれもけっこう納得できる説ではあるんですが、もっと普遍的なものにできないかと思って、まず光秀の内面に迫ることを前提で描きました。

 光秀は長い放浪の中でかなり「自明性」から外れた人になった設定にしたんです。「武士ってかくあるべし」という常識とは違う目線というか、そういう人ってのは「世の中がすべて作りごと」に見えてくるんですよね。例えば戦国時代は場合によっては、人を殺しても許されるじゃないですか。なんか曖昧なルールの中で生きているわけですよね。こういう挨拶をしなければならないとか、こういうしきたりがあるとか、こういう序列でとか。そこから外れて、当時の一般社会のルールから外れた目線を持ってるという意味でも、ある種の異能者なんです。もう一つの目を持ってるという描写はそういった意味で表現しました。

 いま僕たちもこうやって会話を交わしているけど、でも社会のルールには則っているわけじゃないですか。どこか心の奥底では「馬鹿馬鹿しいやりとりしてるな」って思うことも、時にはある。腹が立ったら殴り合えばいいし、ここでお互いに唾を吐きかけてもいいはずなのに、それをせずになんか一定のルールを守っている自分と、どっかで「このくだらないやりとりは何?」って冷めた目を持っている自分がいる。
織田信長(右)と明智光秀=「センゴク一統記」3巻
(C)宮下英樹/講談社

 それを光秀に当てはめてみると、信長に仕える前は幕府に仕えていましたが、意味があるのかないのかよく分かんないしきたりの中で生きてるんですよね。その最中に信長と出会ってなんとなく絶対的なものを見るというか、拠りどころとしてというか、「この人はなんか曖昧なルールの世の中で絶対的な頼るべきものを持ってる」という風に信奉していく。自分の中で「神」のような存在にしていくわけですよね。キリストの下にいた伝道師みたいなものですよね。何を置いてもまずはキリストを絶対と立てて、その中の善悪の中で生きていくというか。光秀にとっては信長ってそういう存在で、善悪の規範だったり、世の中にある曖昧なことをかっちり変えてくれる人なんです。

 でも、自分の中で絶対神であったのが、時間の経過とともにちょっとずつそれが崩れていく。人は神様がいないって思った瞬間、パニックになるんですよね。神様がいないとしたら、じゃあ我々はどういう善悪基準で生きていけばいいんだって。誰もがうろたえるはずなんですけど、光秀もそういう状態に陥っていくっていう感じなのかな。

 信長にしても、さっき言った拡大路線の中で限界が出てくる。領土拡大の限界とか、経済的限界とか、統治の限界とか。拡大したところでこれは終わらないし、いずれ自転車操業になる。光秀にしてみれば、自分の肉体的限界も迫り、近い将来、絶対的な信長がいなくなったら、自分はどう生きていけばいいのか。彼の中でパニックを起こす心理状態になる。

 そして、その先に見たのはキリストと一緒で、死ぬことで絶対になるという発想です。きっと光秀もそういう答えにたどり着いたんだと思う。信長は死してこそ絶対神になるみたいな。よく言われますけど、ゲバラも死ぬことで神格化されちゃうから、実はなるべく殺害したくなかったとか。うまい例えが見つからないけど、光秀の中で本当は一番恐れていたはずの信長の死を、ある時を境にそこから急に死によって絶対視しようって考えるようになった。もちろん、信長を絶対視した政権をつくろうという光秀の内面は僕の勝手な妄想ですけど、漫画的な流れでみてもそういう流れの方がおもしろいですしね。

センゴクに込めた想い


センゴクに込めた想い


 本能寺の変で信長が横死し、政権が改変しました。これは言い換えれば、前政権に問題があったという意味でもある。前政権のやり方に問題があったのだから、それを改変するのが次の政権の役割ですよね。だからこそ、信長の次の政権を担当した秀吉は、何よりもまず信長の経済政策は危なかっしいと思ったはずなんです。後に政権交代した徳川家康も、秀吉のやり方とは違うことをやりました。これは山本七平さんの受け売りなんですけど、秀吉と家康の違いって、実は家康の方が官僚機構をちゃんとつくっていて、秀吉は「五大老五奉行」っていうのをつくったのに結果的にうまくいかなった。

織田家の新たな政略を信長に上申すべく、帷幄で謀る羽柴秀吉、石田三成、黒田官兵衛ら=「センゴク一統記」2巻(C)宮下英樹/講談社
 本来であれば、政治的には五奉行の権力を大きくすべきなのに、実際は五大老の権力の方が大きかった。でも、それをやったのが家康じゃないですか。自分が中心となり五奉行を抑えつけたのに、政権を担うことになった途端、家康は武断派を外してむしろ官僚機構を制度化した。その一方で藩ごとに政治を任せたり、ある程度は藩の中で自由に統制できる余地も残した。

 そうやって考えると、秀吉の統治のやり方は家康とは真逆で、各藩を統制しすぎたことに加え、武断派を外せなかったっていうのが禍根として残ったんだと思う。政治的にはそういう部分で秀吉の限界がきっとあったんです。

 それと、やっぱり百姓から天下統一まで成し遂げた人だから、どこか虚無的になっちゃうんだろうなあと。これは単純な見方なのかもしれないけど、プロ野球選手が日本でトップになってしまうと、「もうメジャーに行くしかない」みたいな。もちろん、秀吉には信長への憧れもあったでしょうし、信長が日の本統一後に夢見た征明も多少なりとは影響を与えていたと思います。

 武士というのはすごく不器用な生き方しかできないから、一度戦いを始めたら、すぐには止められないなんてこともよくあったそうです。信長にしろ、秀吉にしろ、どこかにそんな生き急ぐみたいな気持ちがあったと思う。僕の漫画の主人公である仙石秀久にはむしろ、そんな感じを出していきたいんですよね。
「センゴク」シリーズの主人公、仙石秀久(C)宮下英樹/講談社

 彼は一般的にはあまり知られていない存在でしたが、すごく描き甲斐があるんです。善悪の尺度がよく分かんない時代でしたから、敵には嫌われていても、味方には慕われているということがよくあります。仙石自身にしても長宗我部家とか、島津家に嫌われて、信長になぜか好かれていたとか。まあ秀吉にも好かれていたし、徳川秀忠(江戸幕府2代将軍)にも好かれていましたしね。

 半面、(ルイス・)フロイスには、ぼろくそ書かれてますよね。だけど、仙石が「悪」でフロイスが「善」であるかって一概には言えませんよね。フロイスだって、当時は日本の占領計画を密かに進めていたり、布教のために寺社をぶっ壊したりとかしてるんで。見方を変えれば、すぐに善悪が正反対になる仙石秀久というキャラは、どっちの顔も描くことができるから、描き甲斐があるんですよね。

 もちろん、彼の人生そのものもおもしろいですよね。連載を始めた動機で言うと、それが一番大きいですね。復活劇というか、彼の場合は他の復活劇とはちょっと違う。大失敗してから呼ばれてないのに自分から戦場に行って、自分で武功を挙げて復活するんです。それは他の武将にないんですよね。立花宗茂みたいに自分から浪人になってその才能がもったいないって大名に召し抱えられる人もいますけど、仙石の場合はそういうのではなくて、呼ばれてもないのに自分で機会を求めていく。まあ、昔の仲間とかが集まっては来るんですけど、美濃時代の仲間が集まって復活するっていう、そういう人柄もちょっと好きですね。


自分にも重なる部分


 実を言うと、連載当初の僕はほんとにゲームぐらいの歴史の知識しかなくて。知識がないところから始めているから、より分かりやすく描こうってことだけ気を付けています。自分が面白いと思っていた人物はどんどん分かりやすく描くっていう風に。いまさらですけど「独眼竜政宗」って、こんなに面白いのがあるんだってぐらい疎いっちゃ疎くて。歴史の知識がない分、現代にある問題と照らし合わせたりして、人間の感情とか、知性のもつれみたいなものを想像するしかないんです。でも今となれば、それが逆に武器になっているのかなとも思っています。

 歴史というのは、当事者性というか、どうしても結果だけをみて後知恵で語ることがあるじゃないですか。信長について言えば、後世の人は信長がすべて見通してやったっていうふうに見るけど、実はそうじゃない。その当時の葛藤とか苦悩とか、人知れず苦労してようやく解決策を見つけ出してきたはずなんです。

 なぜこんな戦が起こり、この戦に勝つために大将はどう悩んでどう対処したか。もっと別の視点で言えば、戦を未然に防ぐ策はなかったのかとか。現代にもつながる教訓にしたいんですよね。できれば読者には一つのイベントごとに、どうやればこの戦を未然に防ぐことができたのか、まで想像を膨らませてほしいですよね。

 仙石秀久っていう人物は、特別な才能に恵まれた人物じゃありません。自分の才能を発揮する場所を選べるような立場にはなかったと思うんです。当時、才能のない国人たちはもうどっちが生存の可能性が高いかで選ぶしかなくって、でも選んだ先によっては滅びてしまうことが当たり前だった。もちろん、武士の美学みたいな発想で奉公先を選んだ人もいたでしょうけど、仙石の場合は選んだからにはそこで突っ走るっていう考え方だったと思うんです。
宮下英樹氏=東京都文京区の講談社
 自分がここと決めたからには、ここで突っ走る。才能がなくて失敗してもいつか必ず取り返してみせる。そんな精神の持ち主というか、境遇というか、なんとなく自分にも重なるところがあるんですよね。(聞き手 iRONNA編集部、白岩賢太/川畑希望/溝川好男)

宮下英樹(みやした・ひでき) 昭和51年、石川県七尾市生まれ。富山大工学部中退後、3年間のアシスタント生活を経て、平成13年にちばてつや大賞を受賞した「春の手紙」でデビュー。センゴクシリーズのほか、今川義元が主人公の「センゴク外伝 桶狭間戦記」などの作品がある。

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