舞の海秀平(元小結、スポーツキャスター)

 大相撲の世界には、ここ何年間でいろいろな不祥事がありました。本場所が中止になったこともあり、天皇陛下をお迎えする天覧相撲も平成23年1月を最後に、もう3年以上も行われていません(編集部注:その後、天皇、皇后両陛下は4年ぶりに平成27年初場所をご観戦)。大相撲界の不祥事が原因であり、やむをえないことなのかもしれませんが、これは本当に残念なことです。

 私自身、現役時代に何度も天覧相撲を経験し、現役引退後にもNHKなどで大相撲の解説もしていますが、天覧相撲というのは、力士に不思議な力を生み出すものなのです。また、国技館のお客様が、自然と立ち上がって拍手を送る。こういう光景を見ると、なんと素晴らしい国に生まれたのだろうと思います。私たちは、天皇という大きくて深い、懐の中で、生きているのであろうと感じられるのです。

 それはなぜか。単に、陛下がご覧になっていることを意識している一人一人の感覚によるものともいえるでしょうが、私は、それだけではないと考えています。それは日本の伝統文化の一つである大相撲が、実は天皇、皇室のご存在によって、1500年近く守られてきたという歴史的事実と無関係ではないのではないかと思うわけです。そのことを、いま私たちは改めて思い出し、襟を正す必要があるのではないか。私はそう考えています。相撲界に携わる者として、一日も早く、晴れて陛下にご覧いただける大相撲を取り戻さなければならない、そう考えるわけです。

大相撲 住吉大社で奉納土俵入りを披露する横綱、白鵬ら=2月28日、大阪市住吉区

単なるスポーツではない


 まず初めに大相撲が、単なるスポーツではなく、日本の伝統文化、伝統芸能であり、そして何より相撲は神事であるということを確認しておく必要があるでしょう。

 神事だということは、日本の伝統的な信仰で、皇室と深くつながる神道に関わるものでもあるということです。大相撲の不祥事報道では、スポーツとしての公平さ公正さの重要性ばかりが強調されますが、これはあまりに一面的な見方なのです。

 大相撲本場所のテレビ放送を見ると、誰でも相撲が伝統芸能であり、神事であるという証拠を目にすることが出来ます。例えば、呼出が扇子を持って「東~」「西~」と、力士を呼び上げます。ただのスポーツならば、観客のためにマイクで場内アナウンスをすれば済むことですが、大相撲は伝統芸能であるが故に、あの独特の所作が生むムードを必要とするわけです。歌舞伎役者がどんなに見得を切っても、音を響かせるツケ打ちさんの高い技術がなければ見栄えしないのと同じです。

 相撲の取組には、神事であるからこそ、さまざまな作法があります。

 土俵の力士は蹲踞をして、大きく手を広げて、ぱちっと手を叩きますが、あれは、私は武器を持っていません、正々堂々と闘います、ということを示すと同時に、柏手の意味があるそうです。丁寧な力士は叩いた手を揉んでいますが、実はこれが正式な所作であり、神社にお参りするとき、手を洗って口をすすぐ行為の代わりなのです。昔はどこにでも水がなかったから、力士は手を下に伸ばして、草をむしり、その草で手を揉んで、手を洗ったことにしたのですが、その名残なのだそうです。

 土俵の中央で向かい合った後、わざわざそこで四股を踏むのもまた神事からきているそうです。大昔の人は、土の中に魔物がいると考えたそうで、力持ちの力士が大地を踏みしめて魔物を退治し、五穀豊穣を祈る意味があるそうなのです。

 塩をまくのもそうです。塩は、いろいろな神事に使われますが、大相撲でも土俵を清め、邪気を払う役割もあるのです。

宮中儀式にならなければ…


 ここで大相撲が、いかに天皇、皇室と関わりが深いものであったかということに触れておきたいと思います。

 『力士漂泊』を書いた宮本徳蔵は、力士の起源を2、3世紀のモンゴル辺りとみていますが、日本では、西暦642年(皇極天皇元年)に、古代朝鮮半島の百済から来た使者を饗応するため、飛鳥の宮廷の庭で相撲を見せたという史実が、文献で確認されているそうです。

 734年、聖武天皇の代には、初めて天覧相撲が行われたといわれています。聖武天皇は諸国の郡司に対して、強い力士を選んで貢進するように勅令も出しており、国家儀礼として宮中で行われる相撲「相撲節会」が正式に形作られていったのです。「すもうせちえ」と読みますが、相撲は「すまい」と読まれていたことから、「すまいのせちえ」とも読みます。

 平安時代に入った頃から、天覧相撲は毎年恒例となり、833年、仁明天皇の頃になると、「相撲節会というのはただ単に娯楽遊戯のためではなく、武力を鍛錬するのが、中心の目的である」と勅令を出し、諸国のすぐれた相撲人を探し求めるようになりました。

 このようにして、相撲は、天皇に認められ、宮中儀式となり、そして国家的な文化として隆盛を極めるようになったといえるでしょう。

 平安時代、相撲は民間各地でも豊作祈願の農耕の儀式として行われていましたが、宮中で相撲節会として扱ってもらっていなければ、やがて廃れてしまい、続いていなかったかもしれません。実際に、その後、相撲は危機に瀕することもあったのです。