名越健郎(拓殖大学海外事情研究所教授)

北方領土は人口増


 筆者は2年前、北方領土のビザなし交流に参加して国後、択捉両島を訪れた際、両島で発行されている地元紙の記者と接触し、新聞を添付ファイルのメールで送付するよう依頼した。その後、両紙編集部から有料で毎号届けてもらっている。

 国後島で発行されている地元紙は「ナ・ルベジェー(国境で)」、択捉島の地元紙は「クラスヌイ・マヤーク(赤い灯台)」といい、発行部数は国後紙が715部、択捉紙が562部。いずれも週2回発行のタブロイド版4ページ。北方領土に住むロシア人は約1万6000人強で小さな社会ながら、両紙は地元行政府や議会の決定から島で起きたニュースや話題、住民の一口広告まで掲載し、島の生活に寄り添うコミュニティーペーパーだ。

 北方四島の面積は千葉県に匹敵し、竹島の2万倍、尖閣諸島の2000倍である。今年で旧ソ連軍による不法占拠から70年となるが、そこでは経済活動や社会生活が営まれ、犯罪もあれば汚職・腐敗も多発する、ロシア社会の縮図だ。近年は、ロシア政府のクリル(千島)社会経済発展計画(2007─15年)に沿ってインフラ整備が進んでいる。

 ロシア人がサハリンやウラジオストクでどう生活しようと勝手だが、わが国固有の領土である北方四島に居座る島民の生活は注視せざるを得ない。自宅の庭の一角が武器を持った隣人に不当に奪われて居座り続ける状況では、奪われた庭がいまどうなっているのか、誰もが関心を持つだろう。島の状況を知ることは、将来の返還後の対応を検討するうえで不可欠となる。

 ビザなし渡航も近年はロシア側の規制が強く、毎回、同じ場所を案内されて同じ人と交流するだけで、情報収集に限界がある。2つの地元紙を読むことが、北方領土の現状を知る最も有効な手段だろう。本稿では過去2年の紙面から、印象的な記事を紹介しながら四島の実態に迫った。

 両紙の刊行は古く、いずれも1947年に創刊された。47年といえば、対日参戦したソ連軍が千島全島を武力制圧してまだ2年。国後の新聞「国境で」は12年11月、創刊65周年記念号を出し、同紙の歴史を紹介した。

 それによれば、「遠隔地で地区の新聞を発行することが急務だ」とのスターリンの指示に沿って、国後、色丹、歯舞三島からなるサハリン州南クリル地区の共産党委員会・行政府の機関紙として発行が決定された。国後島の中心地、古釜布(ロシア名・ユジノクリリスク)に小さな新聞社が設置され、輪転機が持ち込まれた。択捉島の「赤い灯台」も、クリル地区機関紙としてスタートした。

ロシア国旗がたなびく択捉島・内岡(なよか)港。ロシア国境警備隊が拿捕した日本の漁船(右端から4隻)が、まるで“戦利品”のように並べられていた=2008年8月3日(酒井充撮影)
 「国境で」は当初、週3回発行で編集部が15人、印刷部門は10人を擁したという。70年代の発行部数は3500部で、国後、色丹で配布された。過去65年の歴代編集長は15人、取材に携わった記者は300人に上るという。

 ソ連時代は「親方赤旗」として安住できたが、ソ連崩壊で市場経済が始まるとスポンサーを失い、経済苦境のなかで必死の経営努力を強いられた。記者を3人に減らして週2回発行とし、発行部数も縮小した。商店や島民の広告も掲載して広告費も稼ぐようになった。択捉島の「赤い灯台」も状況は同様らしい。

 90年代のロシア民主化時代、「赤い灯台」は択捉島幹部の汚職・腐敗を追及するキャンペーンを展開するなど過激な論調を掲げ、島民の北方領土返還論も載せたという。しかしプーチン体制による情報統制下、両紙には政府や地元行政府の批判はほとんど載らない。論評自体が少なく、紙面がつまらなくなった点ではロシア本土の新聞と共通する。

 それでも、両紙は島の現状を知る貴重な情報源だ。両紙が伝えた行政府の統計によれば、13年末時点の人口は、国後が7355人、色丹が2913人。歯舞諸島には居住者はいないが、南クリル地区への入植者は13年1551人、退去者が988人で563人の純増となった。

 13年、誕生した新生児が109人に対して死亡者は68人で、人口増が顕著だ。択捉島でもやはり出生数が死亡者数を上回った。ロシア極東やサハリン州は人口減や少子化が顕著なのに、北方領土は人口増という意外な現象がみられる。

 ただし、択捉島の人口は6006人で離島者が多く、前年比で452人減少したという。択捉にはサハリン州最大規模の水産加工企業ギドロストロイの工場があり、産業基盤は国後、色丹より充実しているが、離島者が多い理由は新聞には載っていない。

 国後・択捉では13年、結婚が87組に対して離婚は52組で、ロシア本土と同様に離婚率が高い。「国境で」は、「国後、色丹には30の民族が住む」と伝えている。終戦直後、ウクライナなど他の旧ソ連構成共和国の住民が入植した名残だが、島の人口分布は多民族国家・ソ連の雰囲気を残している。

 12年の統計では、国後・色丹両島の労働者の平均所得は3万3700ルーブル(約10万円)で、ロシア全体の平均所得2万3000ルーブル(約7万円)よりかなり高い。公務員らに遠隔地手当が加算されるのに加え、高級魚の宝庫という漁業資源の恩恵とみられる。島民にとって、給与が高くなければ辺境の地に暮らす意味がない。

 島の経済の生命線は漁業、特にサケ・マス漁だが、昨年は記録的な不作という。「赤い灯台」は9月、「これは漁ではなく破局だ」との見出しで、択捉でのカラフトマスの漁穫はまだ当初予想(2万7000トン)の10%程度にすぎないと伝えた。

 「マスが故郷の川に戻ってこなくなった。気候変動などで帰るべき川を間違えているようだ」

 「71年から択捉で漁をしているが、こんな不漁は初めて」

 との談話も紹介した。択捉経済は苦境に追い込まれている。