阿比留瑠比 (産経新聞政治部編集委員)


 東京・九段北の靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインド代表のパール判事の顕彰碑がある。そこには、パール判決文(意見書)を引用した次の有名な言葉が碑文として刻まれている。

 「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡(へいこう)に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう」
東京裁判で全被告の無罪を主張したインド代表、パール判事の偉業をたたえる顕彰碑が靖国神社境内に建立され、インド大使館関係者らを招き除幕式が行われた=2005年6月25日(撮影・小松洋)
 戦後、すでに70年近くがたった。本来ならば熱狂と偏見の時代はとっくに過ぎ去り、先の大戦をめぐるさまざまな経緯は、もう「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)」となっていいはずだ。

 そうであれば、日本のこれまでの平和の歩みはもっと正当に評価されていただろう。集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しも、理性的で落ち着いた雰囲気の中で議論されていたのは間違いない。

 ところが現実は違う。中国や韓国は歴史問題を既得権益のように振りかざし、謝罪と反省を強要し続けている。「戦勝国」として優位な立場を維持したい一部の欧米諸国も、それに安易に同調する傾向がある。

 戦勝国や、日本の敗戦で利益を受けた国々は、彼らの歴史観に沿った河野談話や村山談話の順守を求め、それに疑問をはさむことも許さない。日本が歴史問題のささやかな検証を試みると、「危険な歴史修正主義者」のレッテルを貼って非難してくる。

 戦争に負けるとは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押し付けられることだ。日々のニュースを追いかけつつ、今さらのようにそう痛感させられている。

 「歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは『公平ではない』と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない」

 平成18年2月、インタビューで栗山尚一元駐米大使がこう語るのを聞いたときには、「いつまで日本は頭を下げ続ければいいのか」と少々反発も覚えた。とはいえ、これは一面の真実ではあるだろう。

 「戦後の世界秩序」と美名で言い換えようとどうしようと、「戦勝国と敗戦国の枠組み」が今も強固に世界を支配しているのは否定できない。

 ただ、いかに戦後の枠組みが堅牢(けんろう)だろうと、日本はそれに甘んじるのではなく、少しずつでも突き崩していく努力をしていくべきだと思う。作家の江藤淳氏が、月刊誌「文芸春秋」(9年6月号)で問いかけた次の言葉に深く共感する。

 「敗戦国とその国民を、蔑視し、差別し、その心を不当に傷つける『正義』を、勝者はどこから得たのでしょうか?」

 パール判事もまた、判決文にこう記している。

 「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫(れんびん)から復讐(ふくしゅう)まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」

 安倍晋三首相が周囲に「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と語るように、この問題は長期戦を覚悟する必要があろう。

 問題はむしろ、自ら敗戦国の枠組みに閉じこもりたがる国内メディアにあるのかもしれない。A級戦犯容疑者とされた岸信介元首相は昭和21年11月、パール判事の判決文を日本タイムスの記事で知り、同紙以外が一部しかこの事実を報じなかったことについて「獄中日記」にこう記した。

 「之は各新聞社の卑屈か非国民的意図に出づるものである。之等の腰抜け共は宜しくパール判事の前に愧死(きし)すべきである」

 後世の歴史家に腰抜けと呼ばれたり、恥ずかしさのあまり死んだりすることのないよう、肝に銘じたい。