坂村健(東京大学教授)

 1995年というと、コンピューターの世界ではWindows95が発売されたエポックな年だ。マウスやウィンドウに代表されるグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)で日本語がまともに使えるパソコンとして初めてビジネス的に成功し市場を確立した。それ以前のWindowsは完成度が低く、Windows95の登場により、コンピューターを専門としない一般の人がパソコンを使うのが普通になった。

イスラエルの成功例に学べ


 一般の人はパソコンショップでワープロや表計算や年賀状印刷といった特定目的プログラムのパッケージ商品を買い、マニュアル通りに操作する。パソコンは割りきって使う「道具」になった。このようなパソコン利用を受け、3年後の98年告示の学習指導要領には情報教育の目標として「情報活用能力」が挙げられた。パソコンを何に使うか、パッケージソフトをどう使うか、その時気をつけるべきルールといった、いわゆる「道具としてのパソコン教育」だ。

 しかし、同じ95年にイスラエルではジュディス・ガル=エゼル教授がA High-School Program in Computer Scienceという論文を発表した。中等教育でのコンピューター教育は、使い方よりも、原理やプログラミングを教えるべきだという内容だ。

 パソコンでワープロのプログラムを走らせるとワープロ、年賀状印刷のプログラムを走らせると年賀状印刷機になる。プログラム次第でパソコンはどんな道具にもなる。使うのでなく道具-プログラムを作る力がプログラミングだ。

 イスラエル政府はガル=エゼル教授の論文を重視し、2000年には国が「コンピューターサイエンス教師センター」を設立。カリキュラムや教材をそろえ高校での必修科目とした。現在、イスラエルでは最短でも90時間-毎週1時間を3年間-必修だ。より高度なコースでは270時間、450時間で、日本でいえば、ほぼ数学や国語の学習時間に匹敵する。

回収早い現代の「米百俵」


 結果がどうなったかというと、コンピューター分野でイスラエルは人口に比して非常に強力な国となった。世界中の企業がイスラエルの技術を競って買う状況になっている。国が置かれた状況からセキュリティー・軍事分野が特に有名だが、CGやネットビジネスなど他分野でも広く活躍している。

 ここで分かるのは、重要だが投資回収が遅く、「米百俵」的な忍耐が必要な教育の中でも、プログラミング教育だけは異常なほどリターンが早く効果も大きいということだ。適性があれば高校生で起業する人もいるし、優秀な1人がパソコンさえあれば凡人数百人分の働きができる分野だからだ。

 そういう意味でイスラエルは成功したわけだが、今や、高校のカリキュラムの基礎部分を中学に前倒しする計画を進めている。

 英国ではこの9月、5歳から16歳までの全員必修の義務教育としてプログラミング教育をスタートさせる。初等中等教育でのプログラミング教育は、フィンランドをはじめ他の国々で実施から計画までさまざまな動きがある。米国でも、プログラミングの高校教師1万人の養成を目指すCS10K運動を始めた。カリフォルニア州などはそれでも遅いということで、独自の先行計画を開始している。

 こういう流れの中で、1995年の論文は非常に先見的だったとして世界的に再評価されている。

学習指導要領の改定待てず


 流れを決定づけたのはスマートフォンの登場だ。人の7倍の早さで年を取る犬に例えて、コンピューター分野では他分野の7倍の早さ、つまり「ドッグイヤー」で技術が進歩するという。これだとWindows95の時代は140年前。プログラミングを取り巻く環境も大きく進歩するのが当然だ。機能モジュールを組み合わせることで、アイデアさえあれば高度で使いやすいプログラムが素早く作れ、できたプログラムの配布もインターネットで瞬時に行える。

 その結果、今世界でコンピューターを利用した技術革新を主導しているのは「プログラミングの専門家」でなく、「プログラミングできるその分野の専門家」になってきている。例えば、スマート農場で技術革新を起こせるのは「プログラミングできる農民」だ。

 物理的な道具だと、精度や耐久性やコストなどのさまざまな面で専門メーカーが工場で作るものに個人は太刀打ちできない。それに比べて、プログラムなら個人が自分の仕事に合わせた「道具」を簡単に作れる。初等中等教育で「読み、書き、算数」を徹底的に教え込むのは、それが、どんな仕事につくにしろその個人を助ける力となるからだ。今、そこにプログラミングが加わろうとしている。

 日本では、学習指導要領の書き換えが必要で、今決断しても実施は10年後になるという。ドッグイヤーでは70年の差。10年後は遅すぎる。現代の「米百俵」の教えでは、教育開始までに費やす時間こそが無駄にできない資源なのだ。