早坂隆(ノンフィクション作家)
拳骨拓史(作家)

英雄の名に値する人物か


 早坂 2014年1月、中国・ハルビン駅に安重根記念館ができたことがきっかけで、日本で安重根に関する報道が増えました。ただ、彼に関する書籍は意外と少なかった。しかも、それらの大半の書籍が韓国側の主張に沿うようなかたちで安重根を「義士」とか「英雄」と捉える内容でした。私はいかなる理由があるにせよ、暴力をもって他国の政治家の命を奪うということは、テロ行為以外の何物でもないと考えます。ノンフィクション作家として、とにかく信頼に足る一次史料と現地取材を通じて、真実の安重根像を浮かび上がらせたい、という思いで連載を始めました。そして、その出自や経歴を調べていく過程で、安重根はほんとうに英雄の名に値する人物なのか、疑念を強めることになりました。彼は自叙伝(『安応七歴史』)のなかで、酔って酌婦に説教した挙げ句、暴力を振るったなどということを得意げになって書いている。粗暴というか、器が小さい男だという印象をもちました。

 拳骨 「女は3日殴らないと狐になる」という諺があるほど、伝統的に朝鮮は日本よりもはるかに男尊女卑の傾向がある国です。妻は夫と母屋を別にして暮らさなければいけないとされ、人が訪ねてきても、けっして顔を見せてはいけないという風習があった。現在でも、韓国で国際結婚をした外国人女性の約70%が家庭内暴力の被害を受けているといわれています。安重根が酌婦を殴ったという話を聞いて、じつにかの国の人間らしい振る舞いだと感じました。

安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像
 早坂 安重根は貴族階級である両班の出身です。しかし、当時の朝鮮の身分制度が崩壊していくのと同時に没落し、生活が苦しくなった。やむをえず、自分で事業を興したり、学校の経営にも乗り出しますが、うまくいきませんでした。「日本人に邪魔された」と彼は自叙伝に書いていますが、人生の不遇を自らの才覚や運に起因するものとは見なさず、すべて日本のせいにしてしまっている。

 拳骨 いまの韓国をみていても、「うまくいかないのはすべて日本のせい」と外部に原因を求める発想が強い。安重根が日本に対していわれなき恨みを抱いたのも、これまたかの国の人間らしくてわかる気がします。

 早坂 未完に終わった安重根の論文「東洋平和論」を読んでいても、「韓国は絶対的な被害者」という思想の域から一歩も出ることができない。当時の韓国(李氏朝鮮、大韓帝国)が清国やロシア、日本といった他国の動向に振り回されていた側面はたしかにあるでしょう。ただ、安重根は自国を一方的に蹂躪された立場に置くだけで、そこから議論が発展していかない。伊藤博文は吉田松陰の松下村塾に学びましたが、松陰は『孟子』の「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉を己の指針にしていた。松陰の教えを受けた伊藤も誠を尽くせばという思いで朝鮮統治に臨んだわけですが、こうした伊藤の至誠の精神は韓国の「恨」の精神に撥ね返されてしまったといえます。

 拳骨 安重根の「東洋平和論」には日清韓で共通の通貨や銀行をつくろうという主張が出てきます。これをもって「安重根には先見の明があった」という人が日本にもいますが、無理がある。もともとこのような説は当時の開化派(日本と結んで朝鮮の近代化と独立を進めようとしたグループ)が唱えていたもので、目新しいものではありません。それらを安重根の卓見とするのは、歴史を知らなさすぎます。

 早坂 安重根の父、安泰勲は開化派に属していましたから、おそらく父親経由でさまざまなことを学んでいたのでしょう。このようなことが日本ではほとんど知られていませんね。

 拳骨 早坂さんはご存じだと思いますが、「安重根無罪論」という虚説があります。その論拠は二つ。一つは安重根は大韓義軍の参謀中将であり、軍人が敵国の将を撃ったのだから、無罪とするもの。もう一つは、軍人である安重根を日本の国内法で裁いたのはおかしいというものです。つまり、安重根を処刑したのは法律違反というわけですが、どう思われますか。

 早坂 ソウルの南山にある安重根義士記念館でも、彼を連合大韓義軍の参謀中将という肩書で顕彰していました。しかし端的にいって、連合大韓義軍とは非合法のゲリラ組織にすぎず、そこでの肩書は国際的に通用するものではない。現代のIS(イスラム国)のような過激派組織のなかにも、いろんな肩書の人物がいるのでしょうが、そんなものは国際的に認められないのと同じです。

 獄中で安重根は自身を「捕虜として扱え」と要求しました。しかし伊藤の暗殺時、彼は徽章をつけず、武器を懐に隠して携行していた。これ自体が完全な国際法違反であり、彼が捕虜として扱われなかったのは当然です。そもそも伊藤は文民であり、軍人ではなかった。どう考えても、彼のやったことは非合法なテロ行為にすぎなかったと断定できます。

 拳骨 安重根を称える人は、彼をインテリジェンスに富んだ人物だと言いたがりますね。しかし、国際法の知識一つとっても、無知であったということです。ただ、それは安重根に限らず、国王を含めて、当時の大韓帝国全体が無知だった。1907年、大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送るという事件が起こりました(ハーグ密使事件)。しかし、1905年の日韓保護条約で韓国の外交権は日本にあり、密使たちの“告げ口外交”に付き合う国はありませんでした。国際法に疎かったことで、失態を演じる羽目になったのです。日本の維新の志士たちが「万国公法」に通じていたのとはあまりに対照的だったといえるでしょう。