海軍兵学校最後の生徒(78期)だった戦史研究家の大岡次郎氏は、自著『正説 レイテ沖の栗田艦隊』(新風書房)を刊行した際に、カバーに戦艦長門の写真を選んだ。戦時中、士官予備軍である海軍兵学校の生徒にすら、世界一の戦艦・大和の存在は知らされておらず、当時の大岡氏にとって戦艦といえば連合艦隊旗艦を務めた長門だった、という理由からだ。それゆえ多くの国民が戦艦大和の存在を知ったのは、戦後になってからだった。

 極秘裏に建造された戦艦大和は、米国との戦争が始まった直後の昭和16年12月に竣工。翌年2月から約1年間、連合艦隊旗艦を務めた。ただ大和は実戦への参加が少なく、トラック島(現ミクロネシア連邦)の泊地にとどまっていることが多く、艦内設備が豪華だったこともあって「大和ホテル」などと揶揄される存在でもあった。世界最大を誇る戦艦大和の46センチ主砲が実戦で火を噴いたのは、昭和19年6月のマリアナ沖海戦が初めてだった。

 大和の活躍の場が少なかった背景には、すでに航空母艦が艦隊間の戦いでの主力になっていたという事情もある。しかし米海軍は沖縄侵攻などでは上陸作戦の際、艦砲射撃を有効に使って守備隊の無力化を図った。戦艦の使い道はあったはずで、新野哲也氏は著書『日本は勝てる戦争になぜ負けたのか』(光人社NF文庫)で「真珠湾を攻撃した後、海軍は、インド洋に向かうべきだったのだ(中略)…戦艦大和をインド洋へ送り、海上からカルカッタ、ボンベイを封鎖して、海岸線の英軍基地を砲撃すれば、英の陸・空軍は、無力化されたはずである」と主張している。40キロのかなたに重さ1・5トンの砲弾を撃ち込める大和の主砲は強烈無比だったのだ。
徳之島の犬田布岬にある「戦艦大和を旗艦とする
艦隊戦士慰霊塔」=鹿児島県伊仙町

 19年10月のレイテ沖海戦では栗田健男中将の率いる主力艦隊の旗艦・愛宕(重巡洋艦)が出撃途中で撃沈されたため、戦艦大和が栗田艦隊の旗艦となった。この戦いでは大和の姉妹艦・武蔵が米軍機の空襲を受けて沈没。大和以下の主力艦隊はレイテ湾突入を前に「謎のUターン」で引き返す。ちなみに栗田中将はこの後、海軍兵学校最後の校長となった。教え子として戦後、栗田氏のもとをたびたび訪れた大岡次郎氏が集大成として書き上げたのが冒頭の書で、謎のUターンについても独自の考察を加えている。

 戦艦大和が最後に出撃したのは20年4月。米軍の沖縄上陸作戦が始まり、すでに沖縄近海の制空権・制海権が奪われている中で4月6日、戦艦大和以下10隻の艦隊は沖縄に向けて瀬戸内海を出撃した。可能性は低かったが、沖縄までたどり着けたなら浅瀬に乗り上げて米軍の上陸を防ぐ砲台となって戦う計画だったという。しかしその願いもむなしく翌7日午後、米軍機の攻撃により、鹿児島・坊ノ岬沖の東シナ海で沈没した。ちなみに沖縄特攻に参加し、大和など沈没した乗員の救助にあたった駆逐艦・雪風は戦後、中華民国(台湾)に接収され、台湾の軍艦として昭和40年代まで活躍している。

 およそ生還の望めない特攻出撃で壮絶な最期を遂げたこともあって、戦艦大和は戦後になって広く知られることとなり、吉田満著『戦艦大和ノ最期』や伊藤正徳著『連合艦隊の最後』といったノンフィクションを初め、さまざまな著作で紹介されることになった。意外なところでは山本茂実著『あゝ野麦峠』の末尾にも、大和沈没の場面が登場している。それほどに戦艦大和は戦後、旧日本海軍の象徴といえる存在になっていった。もちろん映画でも「連合艦隊」や「男たちの大和/YAMATO」などで繰り返し取り上げられた。それらの映画に涙した読者も多いはずだ。

 また高木彬光著『連合艦隊ついに勝つ』を初めとする架空戦記小説でも「あのとき戦艦大和を有効に使っていれば…」と何度も取り上げられることになる。蛇足ながら1~3月に放映されたテレビアニメ「艦隊これくしょん(艦これ)」でも、戦艦大和がミッドウェー島を想起させる敵根拠地「MI」を砲撃するシーンが登場していた。

 そして戦艦大和はSFアニメで華々しくよみがえることになる。テレビアニメの放映が昭和49年に始まった「宇宙戦艦ヤマト」では、先の大戦で沈没した戦艦大和が改造を施され、宇宙戦艦ヤマトとして復活。ガミラス帝国の攻撃により放射能汚染された地球を救うべく、放射能除去装置「コスモクリーナーD」を求めてイスカンダル星へと飛び立つ。このSF設定を担当した作家の豊田有恒氏は「究極の核有事を背景とすることで、ぬるま湯のような日本人の平和ボケに、一石を投じたかった」(『3・11の未来 日本・SF・創造力』)と振り 返っている。このアニメは当時「果たして、進歩的(退歩的?)陣営からは、酷評を加えられた」(同)とのこと。しかしヤマトは映画化もされて批判の声を一撃で吹き飛ばすブームを巻き起こし、次々と続編が作られていった。

 敵は幾万ありとても、座して滅亡を待つのではなく、可能性がある限り死力を尽くして活路を見出すべきではないのか-。戦艦大和は今でも日本人の心の中に生き続け、戦争と平和についてわれわれに重い問いを突き付けている。大和沈没から70年がたつ今、そんな気がしてならない。(産経新聞文化部記者 溝上健良)