坂本幸雄 エルピーダメモリ元社長 インタビュー

(聞き手:Wedge編集部)

大手3社の寄せ集め部隊を牽引した坂本幸雄氏は外資で育った。日本と米国の人材育成の違いとは。

坂本幸雄氏 (MASATAKA NAMAZU)
 日本の会社の人たちが経営改革をしたい、もっと会社をスリムにしたい、そのためにはどうしたらいいのかと、私のところに聞きに来られます。私は、端的にたった一つのことをお尋ねします。「上司と部下を入れ替えられますか?」と。

 上司と部下が入れ替わったら、人間はすごく緊張します。このたった一つのことができないで、どうして経営改革ができるのでしょうか。

 私は、米半導体大手テキサス・インスツルメント(TI)の日本法人に入社し、28年間勤めました。私の歴史は、常に上司が部下になることでした。辞めるときの自分の部下は、全員、自分の元上司です。

 初めの仕事は倉庫番です。24歳の時、課長に抜擢されました。29歳で部長になって、33歳の時、工場ラインの長になり、39歳で事業部長、40歳で米国に呼ばれ、製造と開発両方を束ねることとなり7000人の部下を抱えました。

 米国に残ればさらなるポジションがあると言われましたが、このままでは日本に残した妻に離婚されると考え、41歳で帰国しました。子どもは4人いました。米国は行くときも帰るときも一人でした。

 米国の企業は、こんなスピードで新しい仕事を与え、いろいろな組織を経験させるなかで、次の経営者を選び抜いていきます。おかげで私は技術とマーケティング、両方のことがわかるようになりました。

 次のトップをつくるのは教育では無理だと思います。いろいろ経験させるなかで結果を出す人をトップに据えるということが大事。

 海外では重要案件はCEO同士が1対1で話して決断します。日本の企業だけがぞろぞろ連れてくる。

 日本企業には「経営企画部」がありますね。あれは英語にはないんです。そこでやるようなことはCEO自身が1人でできないと。全部の組織を把握しなくてもCEOができるなら、それは下の人の言いなりになっているということ。

 私は日体大で野球ばかりしていて、行くところがなくて外資系に入社しました。英語も技術もファイナンスもわからないから倉庫番。

 あるとき、凄まじい不況がやってきてコスト削減が必要だとなり、いろんなアイデアを出しあうことになりました。当時半導体はアルミの容器に入れて出荷していましたが、アルミは高かった。だからそれを回収するシステムを提案したんです。40人くらいを束ねている米国人の企画部長がきちんと見ていて、課長に抜擢してくれた。日本企業でもこういうことはできるはずです。

さかもと・ゆきお 1947年生まれ。日体大卒業後、日本テキサス・インスツルメンツ(TI)入社。93年副社長。神戸製鋼所、日本ファウンドリー社長を経て、02年エルピーダメモリ社長に就任。NEC、日立、三菱電機3社の統合会社を力強く率いるが、円高などの逆風で12年、会社更生法の適用を申請。現在、ウィンコンサルタント代表を務める。