ネットでの印象と、実際にあったときの人柄や雰囲気が違う。私がよく言われる言葉です。どっちがどっちなのかは分かりませんが、私自身は白黒はっきり言いはするものの、基本的には対人関係において相手を立てる受身な性格です。

 ネット人格と言われると、あたかも不思議なものだ、恐ろしいと感じられることも多いのですが、実際のところ、パソコンやスマホに向かってモノを書いていると、なるだけ相手に考えていることが誤解なく伝わるように、いつも以上にストレートに書き記そうとする傾向が強くあります。このあたりが、文字だけで伝わるネットのコミュニケーションから感じられる人格と、実際の私への評価が異なる大きな原因なのでしょう。

 昨今、犯罪捜査や事件報道などで、その容疑者なり犯人なりの人となりをプロファイリングするとき、こういうネット上で書いている事柄を基準に、その価値観や思惑を読み解こうという姿勢が強くなってきました。報道や情報番組でコメンテーターをしていると、事件に関わりのあった人のLINEやTwitter、FACEBOOKなどのSNSでの公開された書き込みを手がかりに人物像に迫ろうという内容が多く見られます。直接対話できない人たちの考えを、公表された文字や文章から読み解こうというのは当たり前のことだし、それ自体は自然なことだと思います。

 一方で、私たちが何気なく使っているSNSでの書き込みは、どこまでがその個人の性格そのものなのでしょうか。たとえば、FACEBOOKではその人それぞれのハレの場が写真つきで提示されたり、夜に食べた料理の画像や観た映画の感想、家族、結婚式、入学式などなど… その人の節目に関するものや、ありふれた日常の中のルーティンなど、さまざまな使われ方をしています。そこに書き添えるコメントや、誰かからの反応のメッセージなどもあわさって、誰か第三者に読まれるとは思っていないはずのコミュニケーションが詰まっています。

 人それぞれの使われ方をしているSNSから読み解けるネット人格というのは、必ずその使われ方特有の文脈、コンテクストを持っています。ある人は頻繁に料理画像を上げ、別の人は綺麗事や自分の自慢話を継続的に掲載する、そういう文章から受ける印象だけで、かなりの部分が受け手の勝手な想像でネット人格を膨らませてしまっていることも多くあるように感じます。日常生活で何か出来事があり、憤怒している状態でついネットに愚痴を書いてしまう、それを他人が見て「この人は攻撃的な人だ」と早合点する傾向が強いのもまた、ネットの受け手の側の印象に左右されるということです。しかし、実際にはその人にはその人の暮らしがあり、そこで受けた感情があって、それを表に出したい、伝えたいという欲求があって書き込まれるものである以上、ネットで書かれている内容だけをもってネット人格を規定してしまうのもまた危険です。

 パソコン通信から曲がりなりにも25年間ネット社会を見続けてきて、強く感じるのは人々の考え方や関わり方の多様性です。あまり類型を作ることもできないぐらい、さまざまな人たちがネットを利用し、コミュニケーションを積み重ねて社会を作り上げています。よそからポッとその人の書き込みを見て感じる印象だけでネット人格を論じるのはむしろその当人に対しておこがましいものであって、やはり本当のところ何を考えているのかについてはしっかりと本人とコンタクトを取り、何度か質疑応答をしてからでないと、なかなか肌感覚が掴めないぞ、ということでもあります。

 断片的な情報をもって、その人の性格について分かった気持ちになるのは簡単です。ましてや、ネットのように限られた世界に記された文章だけで類推するのはお手軽ですし、ネット人格という言葉に代表されるようにいくらでも読みようはあります。しかしながら、ディスプレイを挟んで回線の向こう側にいるのは、ほとんどの場合が生身の人間です。たまにボットやAI、サクラもいるかもしれませんが、リアルの対面での人付き合いですら他人を真に理解することのむつかしさがある以上、ましてやネットをやというのは、きちんと想像するべきです。

 逆に、家庭の事情や精神的な状態が理由で「ネットにしか居場所のない人」というのもかなりの数が存在します。ネットの中では声の大きい彼らのことを過大評価することもあるでしょうが、肥大化したネット人格の虚像というのは、リアルの問題が起きて、その人物が白日の下に晒されることがあると、だいたいおおよそどのような人間であるかが客観的に判断がつくのもまた事実です。

 むしろ、いまあるネット人格やネットでのサイバーカスケイド的なもの、ひいてはネトウヨ。放射脳論争というのは、もちろん一つひとつの議論は大事だけれども、ネット内で騒ぎが大きくなっているからといってそこまで深刻に捉える必要もないのではないかと思います。また、ネットをやると性格が変わるというのは事実関係が逆で、もともとそういう対人コミュニケーションの様式を持っていた人が、ネットというツールを使うことで、解き放たれたのだと考えると、理解がしやすくなります。

 ネットでの過激な論争や言い争いもそうですし、プライバシーの問題などでもだいたい似たような騒動が起こります。これは、リアル社会にネット社会が組み込まれていく過程なのだと割り切って、ネットでの情報削除基準やプライバシー法制もしっかり考えていくべきだと思っています。

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