古谷経衡(著述家)


「ネット人格」とはなにか

 インターネット、特にツイッターやSNSを覗いていると、ネット上だけの人格=「ネット人格」を持っている人が少なくないことに気がつく。

 この「ネット人格」とは往々にして二重人格のようなもので、殆どの場合は、「ツイッター上でものすごく攻撃的な言動を行っているが、実社会で対面すると、借りてきた猫のようにおとなしい」というもの。つまりネット上のみでの人格豹変だ。

 またごく稀に、ネット上の攻撃的人格と、実社会のリアルな人格が全く一致する場合もあるが、これは別の意味でなにか深刻なメンタル面の問題を抱えている症例である場合が多く、ここでは詳述しない。

 さて、この「普段はおとなしい(のように見える)人が、ネットのみで攻撃的な人格に豹変する」という「ネット人格」は、今や大きな社会問題になっている。

 特定の民族、国家を口汚い言葉で呪詛する、所謂「ヘイトスピーチ」はいまや大きな問題になり、2014年からは法務省が「ヘイトスピーチ」根絶のための啓発週間を設けるまでに事態が進展した。安部首相もこの問題の解決のために必要な措置をとる姿勢を鮮明にしている。

 「ヘイトスピーチ」をネット上で書き込む人々の多くは、実社会では仏のような微笑みを保ち、まさしく「温厚」の二文字が似合う中・高年の人々に多い印象がある。彼らは努めて常識人で、収入や社会的地位も比較的安定している。そういう人が、ネット上では見るに耐えない罵詈雑言を、主に隣国と隣接民族に向かって投げつけている姿を目撃してしまう事例は、一度や二度ではない。

 「ネット人格」はなにもヘイトスピーチばかりではない。著書があり雑誌のコメントや新聞のインタビューなどに取り上げられるような著名人が、例えばツイッター上で、リプライ(他のユーザーへの返信)という形で、読むに耐えない罵詈雑言を放っている例を目撃してしまうことも、やはり一度や二度ではない。

 彼らは平気で、ツイッター上で「死ね」「お前はクズ」「馬鹿は消えろ」などと書き込んでいる。更に踏み込めば、そういった罵詈雑言自体を「毒舌」として、ある種自分の個性というか、芸風にしてしまっている人もいる。私からすれば「死ね」は毒舌ではなく単なる誹謗でしかないが。
 
 しかしこういったネット上の「毒舌」を駆使する著名人であっても、実社会ではやはり、これといって目立たない、「借りてきた猫のようにおとなしい」温厚な人が多い。やはりこの自称「毒舌」も「ネット人格」の一種だ。このような歪んだ「ネット人格」が形成される背景には、どのような理由があるのだろうか。

「ストレス主因説」「格差主因説」はウソである

 「ヘイトスピーチ」という単語が一般化する前の時代、長らく、ネット空間における差別的言説や罵詈雑言、誹謗中傷は、「現代社会のストレスや構造的ひずみ=格差がもたらしたもの」である、という「ストレス主因説」や「格差主因説」が採られてきた。

 普段はおとなしい人が、ネットになると豹変する―。「きっと仕事が辛いのだろう」「奥さんや旦那さんと上手くいっていないのだろう」「実生活の貧困など不遇のはけぐちをネットに求めているんだろう」いずれも、「ストレス主因説」「格差主因説」を説明する典型である。

 この説明は「ネット右翼」に関する言説でも、全く同じだった。「ネットで過激な民族主義的言説、排外主義的言説をする人々は、格差社会の中の貧困層であり、現実の憂さ晴らし、はけ口としてやっているのである」これが古典的な「ネット右翼」観であるが、実際には全く違う。「ネット右翼」は全般的に中産階級であり、貧困性とは無縁だ。

 「コンクリートだらけの現代社会で人々の心が荒んでいる」とか、「情報化社会の進展の中で人と人とのふれあいが希薄になっている」などという、手垢のついた言説は、「ネット人格」形成の説明には全くなっていない。

 その説明が正しいのであれば、1990年代から急速に普及してきたネット空間は、最初から差別的言説や罵詈雑言、誹謗中傷に溢れていなければならないが、そうではない。これらの「ネット人格」がもたらす弊害は、時代が経てば経つほど、ネットが普及するればするほど、盛んになっている。つまり、ネット空間が今ほど拡大していなかった、比較的初期の時代には、このような「ネット人格」の問題は、実際の問題としてそれほどクローズアップされていなかったのだ。

90年代、「ネット人格」はさほど問題にならなかった


 少なくとも1990年代後半からインターネットに触れている筆者が思うことは、この時代の、急速に普及していたとはいえまだ日本のネット人口がおおよそ1000万人に満たなかった時代、ネット空間における大きな問題というのは、「殺害予告などの犯罪示唆」「盗品や違法薬物売買などの実際の犯罪の中継」そして「援助交際など未成年女性をめぐる売春問題と成人男性の買春問題」と「高額な通信料やサイト利用料の請求=詐欺案件」、「ウイルス感染に拠る個人情報の流出」といった事案であり、「ヘイトスピーチ」や「誹謗中傷」に代表される「ネット人格」に関する問題は、ずっと後になって表面化してきた印象がある。

 勿論、犯罪示唆や売買春、詐欺が現在のネット空間から根絶されたわけではない。が、プロバイダーや捜査機関の尽力により、かつてより明らかにその問題の比重は軽減された。

 1990年代末期、筆者が高校生の時、グループ・チャット上で当時の、別クラスに居た疎遠の同級生を揶揄する書き込みを行ったことがあった。その揶揄の程度というのは、「◯◯君はアホですなあ」みたいな、半分親しみのこもった、現在のレベルで言うと一瞥して忘れられるような内容である。

 ところが、その同級生が神経質なタチであったらしく、虫の居所でも悪かったのか、私の書き込みが当該プロバイダーに「荒らし行為」として通報された。すると、直ぐにプロバイダーが動き、すぐさま筆者のパソコンのインターネット接続ができなくなったのだった。

 プロバイダーが、私のその揶揄の書き込みを「他人を不当に誹謗中傷し、また健全なネット空間の維持を妨げる行為を行ってはならない」みたいなニュアンスの、プロバイダーの会員規約に違反したとみなしたからである。

 これは、同級生同士の冗談なのです、と私はプロバイダーに弁明を申し入れ、またその同級生側に詫びを入れ、彼からプラバイダーにも「感情の行き違いがあった」と説明することで、ようやく5日後くらいに接続不能が解除になったのだ。

 1990年代末期、当時このぐらい、他人への誹謗中傷に対するペナルティーは厳しかった。ネット人口が少なく、よって一プロバイダーの会員数も少数で、監視要員(パトロール)がユーザー全員をカバーできる体制が、現在よりは、はるかに存在していた。現在のネット空間は、1000人の生徒をたった1人の教師が監督している超過密の環境だが、少なくとも当時は、30人学級だった、というイメージだ。