北朝鮮の核実験をきっかけに核論議を提唱した自民党の中川昭一政調会長へのバッシングは一時、目を覆(おお)わしめるものがあった。自衛隊と憲法9条をめぐって、革新勢力との神学論争に苦しんだはずの自民党からも批判が飛び出している。自由な安全保障論議ができない日本政治の病は治っていないようだ。
 しかし、核論議が戦後ずっと完全なタブーだったわけではない。たとえば、戦後の「元老」たちともいえる中曽根康弘、安倍晋三首相の祖父岸信介、麻生太郎外相の祖父吉田茂の3元首相は、核論議をタブー視しなかった。
 広島、長崎の悲劇に見舞われたわが国にとって、第3の対日核攻撃を防ぐことこそが優先するはずだ。自由な議論が必要で、結論はそれからでも遅くはない。

「北」にとどまらぬ視野

 「(政府は)将来における国際社会の大変動に備え、核問題の検討を行っていくべきだ」
 9月5日、中曽根氏が会長を務めるシンクタンク「世界平和研究所」が、安倍政権の発足をにらみ発表した提言「21世紀の国家像について」の一節だ。
 中曽根氏は会見で、非核保有国の立場を堅持し、NPT(核拡散防止条約)体制の強化に取り組むべきだと断ったうえで、「日本は米国の核に頼っている。日米安保条約をやめさせられるなどの大変動がある場合に備え、研究する(べき)ものだ」と提言のねらいを語った。
 日本の平和と安全に核抑止力の存在は不可欠だ。安保条約で米国の「核の傘」に依存する日本が「非核(武装)国家」と胸を張っても通用しないのが現実だ。
 その米国の「核の傘」が消え失せたり、弱体化したらどうなるのか。提言は明らかに、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」との「非核三原則」見直しを検討しておくよう求めたものだ。
 中曽根氏は、1953年度予算に初の原子力関連予算を盛り込み、平和利用を定め核武装を禁ずる法的根拠となった原子力基本法(56年施行)の生みの親だ。防衛庁長官時代の70年には核武装の能力を試算させたが、米国の核の傘がある限り核武装は必要ないとの立場をとってきた。
 一貫して核とのかかわりを考えてきた中曽根氏が、今回の提言に「核問題の検討」を盛り込ませた意味は重い。北朝鮮の核実験(10月9日)より前の提言だけに「中国の対米核戦力の近代化が、米国の核の傘の有効性にどう影響するか考慮したものではないか」(防衛庁関係者)との見方が出ている。

岸、吉田元首相も

岸元首相は、1957年5月15日の参院本会議で「単に核兵器という言葉がついているだけで、そのような武器を持つことは憲法違反だとはいえないと思っている。しかし今日核兵器を持とうとは思っていないし、自衛隊を核装備しようとは考えていない」と答弁した。岸氏は回顧録(1983年)で「憲法解釈と政策論の2つの立場を区別し、それぞれ明確にしておくことが日本の将来にとって望ましいと考えた」と解説した。1972年には「核兵器を持たない国は一流国ではないんだな。これは日本人にとってひじょうに残念なことなんだけれども、核兵器を持たん国家は威信も発言力もない」(「週刊文春」同年4月17日号)とも述べている。
 吉田元首相はどうか。1958年にUPI通信の記者との会見で「日本は共産主義の危険と戦うため原水爆で武装すべきだ。安保条約を改定し在日米軍を減らす、などということは愚かしい限りで、日本が独力で自分を守れない限りあらゆる兵器と兵力を確保することが必要だ」(東京新聞同年9月21日)と語っている。核武装を意味するのか、米軍の核兵器持ち込みか、いずれにしても思い切った発言だ。

もっと自由な議論を

政府が政策として「非核三原則」を示したのは佐藤栄作首相時代の1967年だ。それが「国是」といわれるようになったのは国民感情によるところが確かに大きい。
 しかし、この原則に従って米軍が核兵器を日本に持ち込んでいない-と信じる人はどれほどいるか。現代日本は、核戦力の近代化を進め、原潜で領海侵犯しても謝罪ひとつしない中国、高度な核戦力を維持するロシア、核武装すれば何をしでかすか分からない北朝鮮に囲まれている。核論議すら封殺して安全は本当に確保できるのか。
 現役政治家は、3元首相を見習ったらどうだろう。中川政調会長自身、議論の必要性を指摘し続けるだけではなく、なんらかの形で、議論を始めたらいい。気がかりなのは、安倍首相が「政府としても自民党の機関でも議論する考えはないが、それ以外の議論を封殺することはできない」(10月27日)と述べた点だ。中川氏をかばう発言だが、これが逆に足かせとなって、党や防衛庁、外務省内の議論を閉ざすことになってはいけない。
(政治部 榊原智)