ピーター・ピオット(ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院学長)

 この回想録は2008年12月31日に私がUNAIDSを去るところで終わっています。その後、2014年になってエボラ出血熱が新聞の一面で報じられるニュースとなり、私もしばしば意見を求められてきました。香港では大衆紙が私のことを「エボラの父」(!)という見出しで報じているほどです。エボラは今、西アフリカのとりわけギニア、リベリア、シエラレオネで予想もしなかった重大な人道上の危機を招いています。

 回想録の中で私が願っていたことの一つは、エボラが最初に発生したコンゴ民主共和国のヤンブク村を再訪することでした。私は65歳になったのを記念して2014年2月にその願いをかなえました。私がヤンブクを訪ね、人生を変えた1976年の劇的な体験を思い返したときにもまだ、再びエボラに取り組むことになろうとは思ってもみませんでした。エボラウイルスが3カ国にまたがるこれほど大きな流行を生み出すとは想像できなかったのです。

 2014年末の段階で、すでに2万もの人が感染し、7500人以上が亡くなっています。過去のすべてのエボラによる死者の合計より何倍も大きな犠牲が出ています。1976年の最初の流行以来、これまでに発生した25回の流行は時間も場所も非常に限定的だったし、亡くなった人は多くても数百人でした。

 今回はそれとは大きく異なっています。ウイルスが変わったわけではなく、社会基盤、保健基盤が脆弱だったことがその原因です。3カ国のエボラ発生数は今後、減少していくだろうと考えていますが、散発的な小さな流行発生はしばらく続くでしょうし、完全に終息させるにはワクチンが必要なのかもしれません。

 今回の悲劇は、感染症の流行が今後も世界を脅かし続けるであろうということを示しています。インフルエンザやHIVと同じようにエボラウイルスの感染も、元は動物に由来するものでした。未知の動物由来感染症が将来、人類を襲うこともあると考えなければなりません。

 流行がどこで起きようとも、それはその地方の人びとに大きな打撃を与えるだけでなく、米国やスペインにおけるエボラ症例が示すように、何千キロも離れた場所でも感染を引き起こすことになります。極めて致死性の高い病気の輸入感染や二次感染は、流行国以外の国に対しても患者のケアや隔離、臨床的、公衆衛生的な封じ込め対策に大きなコストを強いることになります。

 また、社会的なパニックや保健システムの崩壊を招くこともあります。したがって、西アフリカのエボラとの闘いは、流行国の人びとの苦痛を緩和するだけではなく、世界全体に利益をもたらす「世界共通の公共財」と考えるべきなのです。西アフリカのためだけではありません。同じことは他の数多くの感染症対策にも当てはまります。

 流行発生のさまざまなリスクが組み合わされると、ウイルスの感染を拡大させ「本格的な嵐」を生み出すことになる。流行の現状はこの点も明らかにしています。西アフリカでは、何十年にも及ぶ内戦と腐敗した独裁政権が続いたことによる政府への信頼喪失、保健システムの機能不全、世界最低水準の人口あたり保健医療従事者数、病気の原因に対する伝統的な迷信、そして国内レベル、国際レベル双方の対応の遅れ、それらが組み合わされて、エボラ危機という嵐が生み出されました。今回の経験はまた、感染症の流行を防ぎ、コントロールするうえで、保健システムを適切かつ公正に運営していくことがいかに重要であるかということも示しています。

 コンゴ民主共和国では、エボラ対策の経験を持つジャン=ジャック・ムエンベ教授の指導のもとで、コンゴの同僚たちがエボラの流行発生を速やかに把握し、封じ込めることに成功しています。私はこのことを誇りに思います。

 ムエンベ教授は1976年にエボラが最初に発生した際、真っ先にヤンブク村を訪れた医師です。本書に出てくるもう一人の同僚、アワ・コル・セク教授は、UNAIDS発足時の職員でしたが、現在はセネガルの保健大臣で、ギニアからの学生がセネガルに入国してエボラを発症した際に、国内での感染拡大を食い止めることに成功しています。こうした事例は、科学的な原則に基づき、迅速かつ断固とした対応を取れば、エボラの阻止は可能だということを示しています。

 私は2014年12月にシエラレオネを訪れ、エボラがどこまで社会を不安定化させるのか、保健医療従事者がいかに命がけで対応しているのかを目の当たりにしました。エボラの被害がこれほど大きくなった主な理由の一つは、医師や看護師が死亡することです。シエラレオネ訪問は、エイズの流行の初期を思い出させるものでもありました。流行は陰謀によるものだとの噂が広がり、生き延びた人の苦しみに社会的なスティグマが追い打ちをかけるのです。


Peter Piot 1949年ベルギー生まれ。1976年、ヘント大学でM. D. 医学博士、1980年にアントワープ大学でPh. D(微生物学)取得。アントワープ熱帯医学研究所の微生物免疫学教授等を経て、1995年から2008年まで国連合同エイズ計画(UNAIDS)初代事務局長。2010年から現職。常に活動の拠点をアフリカに置き、エボラ出血熱、HIV/エイズをはじめとする感染症に関する研究を行う。またUNAIDS事務局長としてHIVの世界的流行に対する国際的関心を惹起し、地球規模での対策を実現させるうえで中心的役割を担った。2013年、アフリカでの医学研究・医療活動の分野において顕著な功績を挙げた者に贈られる「野口英世アフリカ賞」(第2回)を受賞。