山本秀也(産経新聞編集委員兼論説委員、元シンガポール特派員)

 名実ともにシンガポールの「国父」だったリー・クアンユー(李光耀)氏の死去を経て、同国はいよいよポスト・リー時代に踏み出した。国民に先進国なみの経済発展と社会福祉を提供する一方で、言論や政治活動を厳しく規制することで政治、社会の安定を維持したリー時代のレガシー(遺産)は、いま1965年の独立から半世紀をこの8月に控えて、最大の岐路に立ち至っている。ここでは、リー氏の死去直後にシンガポールで起きたある少年の事件を踏まえつつ、この都市国家の行方について考えてみたい。

 リー氏の国葬が営まれた3月29日、今年17歳になる華人(中国系)少年がシンガポール警察に逮捕された。「言語による宗教・民族侮辱の罪」というシンガポール刑法の罪名が適用されたもので、量刑は最高で禁固3年とされる。

 この少年の「犯行」を詳述する前に、典型的な警察国家と呼ぶべきシンガポールの国民監視と法規制について、宗教・民族問題を軸に少し述べたい。それがシンガポールの成り立ちと、リー氏が築いた統治システムを理解する上で不可欠だと考えるためだ。

 英領時代からマレーシアと一体だったシンガポールが、追放同然で独立の「憂き目」に遭ったのは、シンガポールでいまなお多数派の華人と、半島部で優勢なマレー系とが反目した結果だ。独立をはさむ1960年代には、シンガポールでも壮絶な民族暴動が起きている。

 法曹家でもあったリー氏は、不本意な独立にあたり、民族、および近接領域にある宗教に起因する社会対立を徹底的に封じ込める政策を採った。その一端が、少年に適用された刑法の規定である。

 政府が目を光らせるのは、民族問題にとどまらない。かつてのマラヤ共産党など反政府左派勢力、華人社会にはびこった「私会党」と呼ばれる地下組織や、イスラム原理主義組織はむろんだ。国民レベルでも、天下国家とは縁遠い同性愛行為まで、およそ社会不安の芽とにらまれた組織や個人の行為すべてに監視と摘発は及ぶ。

 その執行は厳正であり、徹底している。筆者がシンガポールに駐在していた1994年には、駐車場の自動車に落書きした米国人少年が、当時のクリントン米大統領の抗議をよそに鞭打ち刑に処せられた。当時、日本でも報じられたのでご記憶の向きも多いだろう。

 そこでリー氏の国葬の日に逮捕された少年だが、動画投稿サイトのユーチューブで「リー・クアンユーがついに死んだ」と題する自作の動画を発表したことが、当局の逆鱗に触れたのだ。8分間あまりの動画は、3月27日に投稿されるや、逮捕までの2日間で閲覧回数が68万回を超えるほどの関心を集めた。

 内容はといえば、もうタイトルだけで想像がつくだろう。リー氏への激しい罵倒だ。シンガポールで絶対的な権威性とある種の無謬性を帯びていたリー氏をイエス・キリストと重ね合わせ、「リー・クアンユーはイエスのように虚飾に満ちている」などと罵っており、このあたりが単純な誹謗ではなく、「宗教への侮辱」と判断された理由とみられる。

 ただ、跳ね上がった若者の戯れ言として切り捨てるには、見逃しがたい点がこの事件には含まれている。

シンガポール中心部の繁華街の川べりで、友人と酒を飲む市民=3月31日夜(共同)
 問題の動画は、共産主義者や民族主義者、宗教原理主義者を挙げて、「裁判抜きで拘禁すべきだ。さもないとこの国は崩壊することになる」とした1986年当時のリー氏の発言を引用するなど、すでに述べてきたようなシンガポールの統治システムの根幹的な問題に目を向けている。そして何よりも、こうした動画がシンガポール国民の目に触れること自体、リー氏の生前には考えられないことだった。

 突飛な表現を含みながらも、わずか2日で68万回も再生された理由はここにある。リー氏の死去によって、国民の口を塞ぎ続けたこの国の言論状況に何か変化が生まれるのではないのか、と誰もが感じた結果が、この再生回数だったといえよう。

 リー・クアンユー後のシンガポールで、おそらく最初の言論事件は、少年の逮捕という相変わらずの強権発動でひと区切りとなった。さらにシンガポール政府は、4月1日付で、午後10時半以降の屋外での飲酒を禁止する法律を施行した。監視や高額の罰金を含む規制で国内を抑えたリー時代の統治システムには、いささかの変化もないかのように見える。

 深夜の屋外飲酒禁止には、「国民の8割が法律を支持する」というのが内務省の見解だが、他方、英字紙ストレーツ・タイムズのオンライン調査では、全く逆で78%の回答が「反対」を表明したという。カリスマを失ったポスト・リー時代を迎えて、シンガポールの為政者が、過去のレガシーを満額で引き継ぐことは早晩無理を来すとみるべきだろう。