安倍晋三首相の日本版NSC(国家安全保障会議、National Security Council)構想は、集団的自衛権の見直しと並ぶ「安全保障の構造改革」だ。首相の構想が成功するための急所は、首相官邸のインテリジェンス(情報)機能の強化にある。特に、各省庁の秘密情報に接することのできる権限を持つ「優秀な情報の評価、分析スタッフ」(北岡元・国立情報学研究所教授)を官邸に置かなくては、せっかくの野心的な構想が単なる組織いじりになりかねない。

創設は首相の信念

 「安全保障に万全を期すため政治のリーダーシップを強める。迅速な安全保障政策を立案、決定したい。外交、安全保障の官邸の司令塔機能を強化する。もって国民の生命と安全を守っていく所存だ」
 安倍首相は4日の参院決算委員会で、日本版NSC創設の意向を改めて示した。
 首相が構想を披露したのは、自民党総裁選のさなかの8月22日だ。同党南関東・北関東ブロック合同大会で5000人の党員を前に「ホワイトハウスと官邸が政務レベルの対話を定期的・戦略的に行っていく必要がある。米国のNSCのような組織を官邸につくっていかなければいけない」と語った。
 米政府のNSCは、米大統領のために安全保障分野の助言や政策の企画立案、省庁間調整を行う諮問組織だ。東西冷戦が始まって間もない1947(昭和22)年に創設された。正副大統領、国務、国防両長官が正式な構成員で事務局を束ねるのが国家安全保障担当の大統領補佐官だ。スタッフは約200人いる。
 小泉内閣の官房長官として米NSC高官と接した安倍首相にとって、日本版NSCはその必要性を肌で感じた課題だ。首相とNSCについて語り合ったことのある同党議員は「首相は『これこそが日本の政治を変える』と思っている」と明かす。

不安材料も

 日本版NSC構想を検討する「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」(議長・安倍首相)は、石原信雄元官房副長官、岡崎久彦元駐タイ大使、佐々淳行元内閣安全保障室長、佐藤謙元防衛事務次官、先崎一前統合幕僚長、柳井俊二前駐米大使ら錚々(そうそう)たる顔ぶれを揃えた。来年(2007年)2月末に結論を出し、08年中の関連法案の国会提出を予定する。
 ただ、懸念材料はある。「会議のメンバーにインテリジェンスの専門家が見あたらない」(自民党筋)点だ。官邸のインテリジェンス機能の強化が実現するか、一抹(いちまつ)の不安がある。
 首相の手元に「判断」の材料となる質の高い情報(インテリジェンス)が迅速かつ円滑にそろわなければ、まともな戦略、政策の企画立案や政治決断ができるはずもない。「詰め込み教育」を否定した「ゆとり教育」で、いくら生徒の思考力を伸ばそうとしても、考える材料を与えなければ思考力が深まらないのと同じ理屈だ。
 インテリジェンスは、単なるインフォメーションではない。どちらも日本語では「情報」だが、インフォメーションを取捨選択、総合し、評価と分析を加えたものが、(政治)判断の基礎となるインテリジェンスになる。
 わが国が他の大国と比べ劣るのがインテリジェンスの分野だ。(1)官邸のインテリジェンス機能の強化(2)対外情報機関の創設(3)防諜(ぼうちよう)体制・法制の整備(4)軍(自衛隊)情報機関の整備-の4分野の改革が必要だが、(2)や(4)は着手からモノになるまで10年以上かかる。当面、(1)がNSCの土台として最重要となる。
 外務省国際情報課長や内閣衛星情報センター総務課長を歴任したインテリジェンスの権威、北岡教授は、産経新聞の取材や都内での講演で、「官邸に『情報の評価、分析スタッフ』を置き、省庁の重要情報にアクセスできる権限を与えるべきだ」としばしば強調している。

かけ声倒れ防げ

 現実はどうか。防衛・警察・公安調査各庁や外務省、内閣情報調査室などが収集したインフォメーションが、集約、総合されてインテリジェンスとなり、首相(官邸)へ提供されることはまずない。省庁は手柄を競うように個別に報告するだけだ。官邸の主は混乱し、問題の所在さえ認識できないこともある。その結果、縦割りが習性の個別省庁の判断に従ってしまう恐れは、いまなおある。
 過去の英国にも失敗例はあった。北岡氏によると、戦前、合同情報委員会が設置された英国は、情報の整理がつかず首相官邸は混乱した。1941年になってチャーチル首相が官邸に「情報の評価分析スタッフ」を置いて事態は大幅に改善したという。この「スタッフ」が今も、安倍首相が米NSCとともに構想の参考にしている英「内閣委員会」を支えている。
 わが国では、1952年創設の内閣調査室(現内閣情報調査室)が米中央情報局(CIA)を、86年の安全保障会議が米NSCを念頭においたが、どちらもかけ声倒れに終わっている。
 安倍首相自身は5日の官邸機能強化会議で、「情報収集・分析機能の強化などの諸点について、活発な議論をお願いしたい」と“急所”を指摘しているが、その実現には指導力の発揮が不可欠だ。
(政治部 榊原智)