室谷克実(評論家)

反知性主義に


 韓国の政権の統治手法が〈大韓ナチズム〉と呼ぶべき様相を強めている。韓国人を「優生学的な選民」「常に善良なる被害者」と位置付けると同時に、「常に悪なる存在である日本」への敵愾心を煽ることで、国民の目を堆積する一方の欠陥局面から逸らせる手法だ。

 その〈大韓ナチズム〉の底流にあるのが、韓国ならではのファンタジック史観だ。韓国による近現代史の捏造と歪曲も酷いものだが、それは超ファンタジック古代史観の延長線上にある。

 「五千年前から文明国だったわれわれが、未開の倭奴(日本人の蔑称)にあらゆることを教えてやったのに、彼らはその恩を忘れて……」というのが、〈大韓ナチズム〉が説く対日部分の典型的な語りはじめだ。そこには、分子人類学も、考古学も、正史類の文献も、ほとんど活かされていない。〈大韓ナチズム〉の最底辺は、まさに反知性への信仰に他ならない。

 しかし日本には、「五千年前から文明国だった云々」は別にして、倭国は朝鮮半島からあらゆるものを教えてもらったと信じ込んでいる人々が今でもたくさんいる。

 日本の「戦後(歴史)教育」とは、(1)マルクス(唯物)史観の正しさ、(2)朝鮮半島の民族の優位性──を、学童・学生の頭に叩きこむことだったといえる。

 連合国司令部で占領下の教育を管掌した民政局の指導部が、共産主義者や、そのシンパに握られていたことが大きい。

 当時、日本の大学の史学科は、それまでに確立されていた研究成果を「皇国史観」として全否定した。奪権闘争の側面も強かった。教授や、その後継者と目されていた人材を「皇国史観の徒」として追放することで、後継者争いから脱落すると見られていた研究者が教授の座に就くための闘争だ。

 そこには日本共産党と、在日朝鮮人が介在した。戦中から戦争直後の共産党では、金天海ら在日朝鮮人の指導力が極めて強かったからだ。

 井上秀雄の『倭・倭人・倭国』(人文書院、一九九一年)や梶村秀樹の『朝鮮史』(講談社現代新書、一九七七年)には、在日朝鮮人らに吊し上げられた体験が記述されている。金両基の『物語 韓国史』(中公新書、一九八九年)には、彼が井上秀雄を吊し上げたグループの中にいたことを滲みださせる記述がある。

 大学教授のポストを手にした戦後の歴史学者は、次には日教組講師団として、小中高の教員たちに「皇国史観」ではない“新常識”を説いた。
 かくて日本の「戦後(歴史)教育」は、「資本主義が社会主義へ、そして社会主義が共産主義へと進んでいくのは歴史の必然だ」と折伏を重ね、「朝鮮民族はたいへんに優れた文化を持っていて、日本人はあらゆることを彼らから学んだ。それなのに、帝国主義の日本は朝鮮を植民地にして悪辣極まる収奪を重ねてきた」と自虐する内容になったのだ。

 このうち共産主義への折伏は、ソ連共産ブロックの自壊で霊験をあらかた失った。しかし、朝鮮に関する自虐の方は、依然として残っている。

朝日社長の発言


 朝日新聞の木村伊量社長(当時)は二〇一四年十月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに「朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と語ったという(韓国・中央日報二〇一四年十月二十日)。戦後教育の下で優等生として育った人は、日教組教育の呪縛から抜け出せないのだろう。

 木村発言に呼応するかのように、韓国の鄭原首相(当時)は「法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている」と述べた(韓国・国民日報二〇一五年一月十日)。

 「先んじていた」と過去形なら、まだそれなりに理解のしようもある。首相まで〈大韓ナチズム〉のファンタジック古代史観の虜になっているのだ、と。しかし、首相発言は現在形なのだ。

 素直に読めば、今でも韓国は多方面で日本に先んじている“兄の国”だと言っているのだから、すごい現状認識だ。首相発言は「このような点に対する日本の心理的な問題」──つまり、日本人の韓国に対する劣等感──が日本の反韓感情の背景にあると続く。

 木村伊量氏は朝日新聞社長を、鄭原氏は首相の職を去ったが、二人とも依然として社会の指導層にいる。

〈大韓ナチズム〉の対日政策は、木村氏のような・有為な人材・を改めて抱き込み、そうした人々の影響力を結集することで、日本の国論分裂を深め、「弱い日本」を実現し、韓国に有利な政策を導き出すことにあると見てよい。

切り上げて「半万年」


〈大韓ナチズム〉の古代史観は「韓民族、半万年(五千年)の歴史」という虚像から始まる。

 天帝の庶子が地上に降り立ち、熊から変身した女と交わったことで檀君が誕生する。その檀君が、「鼓腹撃壌」の故事で有名な中国の堯帝より五十年後に、平壌を都とする国を開き、朝鮮と号した──とする「檀君神話」が、「半万年の歴史」の根拠だ。

 堯帝の即位を通説に従って紀元前二五〇〇年として、二〇一五年をプラスしても五千年にはならない。が、そこは切り上げして「半万年の歴史」と言うのだ。

 ところが韓国の『高等学校国定国史』(日本の教育指導要綱に該当)は冒頭で「わが民族は五千年以上の悠久の歴史を持ち、世界史上まれな単一民族国家としての伝統が続いている」と述べている。

 切り上げして五千年が「五千年以上の悠久の……」となり、元に支配されていた時代には「胡水満腹」(水は精液のこと)という露骨な四字熟語までできたのに「世界史上まれな単一民族国家としての伝統」と教えているのだ。

 そもそも唯一の根拠である檀君「神話」からして、文註まで含めて四百字(全文漢字)ほどしかない。

 神話の大系が伝えられているのではない。十三世紀の高僧が編纂した野史である『三国遺事』の中に「文註まで含めて四百字」ほどが収められているのに過ぎない。

 それは古史書の引用の形式を採りながらも、肝心の引用元すら定かでない・あやふやなお噺・だ。

 李王朝(一九三二~一九一〇年)は儒教を指導イデオロギーとした国であり、「箕子朝鮮の伝統を引く朝鮮国」が強調された。

 箕子とは殷の紂王の暴政を諫めた賢人であり、殷を滅ぼした周の武王は箕子を崇めて敢えて家臣とせず、朝鮮に封じたと『史記』は記す。箕子は殷の遺民を率いて東方へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、理想的な社会をつくったとされる。

 ところが日本統治の時代に入ると、独立運動家にとって明らかな中国系である「箕子朝鮮の伝統を引く朝鮮国」は都合が悪かった。ここに新たな装いで再登場したのが檀君を始祖とする「朝鮮」だった。

 それを脚色して表舞台に引き掲げたのが、申采浩(一八八〇~一九三六年)だ。

 申采浩とは、ジャーナリストであり、歴史家であり、小説家であり、独立運動家であり……ともかく多彩な文筆家だったことは間違いないが、最後は無政府主義者に転じ、台湾で偽札所持の現行犯で逮捕され獄中で病死した。

 彼が書いた『朝鮮上古史』(矢部敦子訳、緑蔭書房、一九八三年)はまさに超ファンタジック古代史論だ。

 パミール山麓に発した朝鮮民族は半島に行きつき、ここで成立した檀君の朝鮮国は中国を圧して東アジアに大帝国を築いた。満蒙の諸族はみな朝鮮族の支族……と、勇壮に展開するのだ。