岡田優介(広島ドラゴンフライズ選手、日本バスケットボール選手会会長)

川淵氏の手腕によって動き出したバスケットボール界


 いよいよ日本のバスケットボール界が動き出した。日本に存在する2つのトップリーグ「NBL」と「TKbjリーグ」の分裂問題などを原因として、国際バスケットボール連盟(FIBA)から資格停止処分を受けている日本バスケットボール協会(JBA)は、国内のバスケットボール関係者だけでは問題を解決することが出来ず、ついにサッカー界から川淵三郎氏を招聘し、改革を進めることとなった。JBA会長には川淵氏の就任が決まり、事務総長にはJリーグ常務理事の大河正明氏が就任予定となり、バスケットボール界は「第二のJリーグ」を目指す展開となっている。新しい統合リーグの略称は、「JPBL」となりそうだ。

「ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ」の設立が発表され、記念写真に納まる申請チームの関係者=4月3日、東京都港区
 メディアに対して基本的に会議を全てオープンにするスタンスに代表される川淵氏の大胆な手法は、時として反発を生むこともあるが、全て計算された戦略だったように思える。結果的には、その手法によって「統合リーグ」は現実味を帯びてきたと私は感じている。川淵氏が改革に乗り出してからは、今まで頑として動かなかった物事がみるみるうちに動いていった。川淵氏についていかなければ取り残されるという雰囲気を作り出し、リーグ間の調整というよりは、リーグに所属する各チームをその気にさせた手腕は、流石としか言いようがない。

 私は、旧JBL時代を含めNBLの選手として8年間プレーをしてきている。bjリーグが誕生した年には大学3年生で、ちょうど進路を決める時期であった。プロ選手としての夢を追いかけ、プロ選手になり、両リーグが違う方向を向きながら走り続け、互いに意識しながらも交わることなく進んでいった歴史を肌で感じてきた年代である。

 近年の日本バスケットボール界、とりわけ私が所属しているNBLでは何が起こっていたのか、そしてこれからの新しいバスケットボール界の改革の為には何が必要なのか、一現役選手の視点で述べていきたいと思う。

JBLからNBLへの移行、NBL二つの失敗


 JBA傘下のトップリーグであるNBLが開幕したのは、2013年であり、つい最近のことだ。旧JBLから移行したタイミング、つまり最初の段階でNBLは二つの失敗をしてしまったと私は認識している。

 NBL一つ目の失敗は、「bjリーグとの協議決裂」であったと考える。実は、NBLも当初は新しい統合リーグJPBLと同じような構想から始まっていた。両リーグを統合することは会社形態の違いなどもあり、法的にも物理的にも難しかった為、NBLという「新しい箱」を用意し、その趣旨に賛同するチームはその箱に入ってもらうことを要請した。

 しかし、bjリーグから参加したのは1チームだけで、他は全て旧JBLのチームと新規チームであった。つまり、これはbjリーグとの交渉協議が決裂したことを意味し、この時点でNBLは「統合リーグ」ではなく、JBLの看板を付け替えた「新リーグ」となってしまった。そして、bjリーグとの歩み寄りは無いまま再度両リーグは走り出し、FIBA からの制裁を受ける主要因となったのである。

 決裂の原因が何だったのか断定は出来ないが、川淵氏が同じような枠組みでリーグ改革を進められていることから推測するに、結局のところは「何をやるか」よりも「誰がやるか」、「どのようにやるか」がポイントであったということであろう。

トヨタ自動車時代の岡田優介選手(右)
=2014年1月11日
 つまり、どんなに素晴らしい構想や枠組みがあったとしても、両者の信頼関係が欠如したまま話し合いを行っても無意味であり、両者は議論のテーブルにすら着いていない状態だったことを意味する。そう考えると、第三者の介入や仲介しか解決方法が無い状況だったわけで、FIBA事務総長のバウマン氏、そして川淵氏が登場したことは必然であった。

 NBL二つ目の失敗は、「選手の視点の欠如」であったと考える。JBAとNBLを混同するわけではないが、2014年11月にJBAが資格停止処分を受けたことは、JBAだけの責任ではなく、その傘下のNBL、そしてbjリーグにも責任があるだろう。選手のことを優先して考えるのであれば、絶対に回避しなくてはならない処分であったが、結果として最悪の事態を迎えてしまった。

 ただ、NBLの設立当初から、このような事態を引き起こす「予兆」があったと感じている。bjリーグに所属していたことは無いので明言は出来ないが、話を聞く限りでは似たような状況があったようだ。

 その「予兆」として挙げられる出来事は、JBLからNBLに移行するタイミングで起こった。詳細は2年前に私の個人ブログに記録しているが、端的に言えば、選手にとって不利益となる大幅なルール変更が行われたのである。とりわけ選手にとって影響が大きい変更は、「試合数の増加」と「サラリーキャップの削減」であった。

 レギュラーシーズンの試合数は、JBL時代の42試合から54試合に増え、シーズンの期間は1ヶ月延びた。それにも関わらず、サラリーキャップを約40%(※「日本人選手合計で2億1500万円+外国籍選手18万ドル×2名」から、「日本人選手と外国籍選手合計で1億5000万円」へ変更)も一方的に削減した。年俸が高騰しているとは言い難い日本のバスケットボール界において、サラリーキャップは必ずしも必要なものではない。

 利害対立のあるルールは、一度決まってから変更するにはかなりのパワーを要する。つまり、最初の段階でどこまで決めてしまうかということが非常に重要になってくる。当時、JBLには選手会というものが存在せず、選手の意思が反映される仕組みは皆無であった。それを良く分かっているであろうリーグ側の「選手不在」の姿勢が、私には当時から垣間見えていた。