侮日教育としての反日教育


 一九六〇年代のことだが、小学校では「反共ボスター」をよく描かされた。私たちが描く「反共ボスター」の絵柄の多くは、「鬼のような形相をした金日成が韓国を蹂躙する姿」だった。いかに北朝鮮が怖い国かを描くことに力を入れたと思う。
仁川の地下鉄駅に貼り出された竹島をめぐる日本非難ポスター。子供が描いたとは思えないほどむごく、汚れた絵柄だ
 私は全斗煥政権時代の1983年に来日するまで、金日成の写真も映像も見たことがなかった。客観的な情報もいっさい知らされていなかった。自分が受けた教育からイメージした北朝鮮は、「悪の権化の金日成を頂点に諸悪を凝り固めてつくった国家」であり、人間らしい気持ちをもって生きる者が一人として存在しない世界であった。金日成の姿は絵でしか知らされることがなく、その絵たるやいかにも凶暴な悪魔のように描かれていた。私が日本で金日成の写真を初めて見て、「なんてハンサムで穏和な顔をしているのだろうか」と思ったものである。

 「反日ポスター」も描かされたが、そのモチーフは北朝鮮のように「恐怖」ではなく、いかに日本は侮蔑すべき国かという「侮日」にあったと思う。日本はどれほど卑しく野蛮な国か、韓国はどれほど尊く文化的な国かといったところに力を入れていたように思う。それでも、当時の私たちが描いた「反日ポスター」は、現在のものほど下劣ではなかった。子供なりに「愛国者」として持つべき品位が心されていたと思う。

 2005年6月、仁川市の地下鉄キュルヒョン駅構内で、地元の小中学生による「獨島(竹島)問題」をテーマにしたポスター展があった。子供たちのポスターは百枚以上貼られていたと思うが、それらを見て私は心から驚いた。獨島問題がテーマなのに、大部分がテーマを大きくはみだしている。悲しくなるほどの下品な絵や言葉で日本を貶め、日本人を侮蔑するものばかりだった。

 たとえば、ウサギが日本に糞をしている絵柄があった。韓国は国土の形からウサギになぞらえられているのだが、そのポスターでは中国・韓国・日本をカバーする地図が描いてあって、韓国の上に立ったウサギが中国の方に顔を向け、お尻を日本に向け、お尻から日本列島の形をした糞を出している。

 そのほか、子供たちが日の丸を取り囲んで踏みにじっている絵、日の丸が描かれたトイレットペーパーを燃やしている絵、日本列島を火あぶりの刑に処している絵、「嘘つき民族日本人」を犬小屋で飼っている絵、核ミサイルを韓国から日本へ撃ち込んでいる絵など、まるで日本は交戦国であるかのようだ。絵に付された言葉も、「日本の奴らは皆殺す」「日本列島を火の海にしたいのか」「日本というゴミ、捨てられる日はいつなのか」など、「なんでもあり」なのだ。

 これら「反日ポスター」からわかることは、昔も今も韓国の小中学校では反日というより侮日教育をしているまぎれもない事実である。

 韓国の教育界は、小学生のときからこうした教育を受けさせることで、伝統的な侮日観をしっかり身につけさせていこうとしている。これによって、相手が日本人であれば、その言動は「倫理・道徳にもとろうとも構わない」という意識が植え付けられていく。

 韓国の著名な小説家・翻訳家の李(イ)潤(ユン)基(ギ)氏も新聞コラムで、韓国では「相手が日本人ならば、ちょっとやそっとは無礼であっても構わない」が通念になっていると書いている(「日本人に対する礼儀」東亜日報2006年1月4日付)。いや、「ちょっとやそっと」どころではない。実際には「どんなに」無礼であっても構わないのである。

唯一の観点からの歴史教育


 歴史にはさまざまな観点があり得る―ことは、長い間私の意識のなかにはなかった。歴史には一つの見方しかないと思っていた。こういうと、お前はいったい何を勉強してきたのかといわれそうだが、日本に来るまでは正直にいってそうだった。
土地調査事業で詳細に
作成された新土地台帳
と旧来のおおざっぱな
台帳(朝鮮総督府臨時
土地調査局編『朝鮮土
地調査事業報告書追
録』大正8)

 そういう私は、韓国人のなかで例外的な存在だったのではない。一般の韓国人ならばほとんどがそう思っているのと同じように、私もまた歴史には一つの見方しかないと思っていたのである。なぜかと思い返してみるほどに、韓国の学校歴史教育を受けてきたから、というほかにどんな理由もないと思える。

 韓国の歴史教科書は、日本の歴史教科書とはその記述方法がまったく異なっている。反日教育といっても多様な面があるのだが、日本統治下での土地問題がどんなふうに教えられているかを例に挙げてみたい。

 韓国の生徒たちが学んでいくのは、朝鮮総督府が統治にあたって行なった土地制度の近代化を目的とする、土地の面積、所有関係、使用状況などに関する土地調査事業についての史実なのではない。
公有地管理がずさんで
農民などが長年無断占
拠した「駅屯土」も土地調
査で所有権が明確化し、
改めて小作申請を求め
た。手続きが理解できず
小作できない農民が続
出した(同)

 私が学んだ教科書でもそうだったが、最近の教科書でも「日帝は土地を奪うために…」という文言から書き始められている。日本統治下での土地問題を学ぶにあたって、生徒たちが最初に頭に入れなくてはいけないのは、「土地調査事業は日帝が土地を奪うために行なったものである」と意味づけられた一つの観点である。その上で、次から「現実の諸関係はどうだったか」を見ていく、という流れになる。

 生徒たちが学ぶのは何よりもそうした一つの観点なのである。つまり、歴史についての「唯一の正しい観点」を学ぶことが、韓国では歴史を学ぶことである。そして、その観点から歴史的なさまざまな物事を理解していこうということになる。ようするに、生徒たちはその唯一の観点に立って、そこから足を踏み外すことなく、歴史的な物事のあり方、性格、推移などを位置づけていく力を養いなさい,ということになる。

 そういうわけだから、その唯一の観点とは別の観点で歴史を見ていくことは、歴史に対する見方の踏み外しだということになる。個々の歴史事象については、その学び取った観点から光を当てることによってだけ意味をもつものとなる。したがって、「土地所有を近代的に整理する」という朝鮮総督府の政策は、「土地を奪うための口実」として意味づけられることになる。

 「日帝は土地を奪うため」が土地調査事業の真意なら、その「収奪」はとてつもなく過酷なものでなくては意味をなさなくなってくる。そうであれば、朝鮮総督府の資料に基づいて知られる「朝鮮総督府が接収した農地は全耕作地の3%」という数字は余りにも少なすぎるため、とうてい採用することはできない。採用すれば観点そのものが崩れてしまう。

 そこで教科書では「40%の土地を奪った」とするのである。この数字の根拠は不明で,「日帝は土地を奪うため」という観点との整合性をもたせるための数字だというしかない。数字の出所や計算方法は、教科書ではまったく示されていない。