終戦直後、旧ソ連が日ソ中立条約を踏みにじって不法に占拠した北方領土は、いまだに返還されていない。戦後の冒頭に起こったこの問題が、戦後体制からの脱却を目指す安倍晋三首相にとっても重要事なのは言うまでもない。ところがここへきて、北方領土問題に暗雲が漂(ただよ)うのでは、との懸念が生じている。日本の要人らが、北方4島全体の面積を日露で2等分する解決案に言及しているためだ。4島返還は日本が譲れないぎりぎりの線のはずだ。もし、政権がこの大原則から後退するようなことがあれば、国益を重んじる世論の批判を浴び、安倍首相と麻生太郎外相という保守政治家2人の影響力が失墜、憲法改正などの戦後体制見直し全体が頓挫(とんざ)する恐れがある。これが杞憂(きゆう)であるのを祈るばかりだ。

譲歩の観測気球?

 麻生外相は、昨年12月の衆院外務委員会で、民主党の前原誠司氏の質問に「2島だ3島だ4島だという話になると、こっちは勝ってこっちは負けたという話になり、なかなか合意は得られない」「択捉(えとろふ)島の25%を残りの3島にくっつけると50、50の比率になる」と答弁した。
 一部で報じられたように、面積等分論を語ったと受け取られても仕方のない妙な発言だった。政府は同月24日閣議決定の答弁書で「4島の面積への質問に答えたもので、北方領土問題に関する(4島返還を求める)従来の方針を変更するものではない」と、全面否定した。
 また、今年1月23日には安倍首相の年内訪露方針が、一部のモスクワ発電で報じられ、塩崎恭久官房長官が記者会見で「聞いていない」と否定した。
 これらに対し永田町では「外相発言は観測気球では。外務省はロシアに譲歩する気か」(自民党衆院議員)と水面下の動きの存在を疑う声が出ている。

南樺太と千島の想起を

 北方地域をめぐる日本外交は拙劣だった。その典型が、樺太(ロシア名サハリン)南半部の「南樺太」と(北方領土を除く)「千島列島」の領有を早々に諦(あきら)めたことだ。
 日本は、サンフランシスコ平和条約で「南樺太」と「千島列島」を放棄させられたが、旧ソ連は同条約の署名を拒否し条約上の権利を主張できない。にもかかわらず旧ソ連とロシアは南樺太、千島列島も支配している。交渉上も日本はこれに異を唱え続けるべきだった。
 いずれも日本が国際法上、正当に治めていた地だ。南樺太は四国の倍もの広さで1943年には内地に編入され、41年国勢調査時点で40万6557人もの日本人が暮らしていた。元住民らは「南樺太返還期成同盟」(55年)を結成し返還に取り組んだが政府に見捨てられた形だ。北方領土住民は終戦時1万7291人、千島列島にも少数おり、最北端の占守(しゆむしゆ)島では従業員2500人もの日魯漁業の缶詰工場が操業していた。日本共産党は今も北方領土と北千島(千島列島)の「全千島返還」を唱え、ロシア政府は神経をとがらせている。
 政府は等分論のような固有の領土放棄策を万一にも採ることなく、戦後外交を見直し、南樺太、千島列島のロシア支配を疑問視する姿勢に転じたらいい。65年4月の衆院本会議演説で自民党の佐藤孝行氏は南樺太、千島列島への「わが党の見解」として「ソ連に領土放棄したものではない。最終的帰属は、国際的に定めるべきものだ。国際的会議を開かれる場合は、わが国は、これらの地域に対する領土の返還を求める権利を留保する」と述べた。7日は北方領土の日だが、政府・自民党はこれを思い出したらどうだろう。
(政治部 榊原智)

【北方領土と等分案】
北方領土は択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)諸島の4島からなり、総面積(約5000平方キロ)は福岡県よりも広い。旧ソ連は終戦直後、1945年9月5日までに不法に軍事占領を行った。北方4島の日本人住民1万7291人は着の身着のまま北海道へ脱出したり、島に残った人々も強制労働、樺太での抑留などを経て故郷を追われた。この途中で亡くなった人も多い。元島民は現在約8000人、子、孫、ひ孫の世代は約2万8000人いる。面積等分案を、日本政府は検討自体否定しているが、面積が日露半分ずつになるよう歯舞、色丹、国後の3島と択捉の約25%を日本、択捉の75%をロシアの帰属とし、日露が択捉の陸上で国境を接するもの。旧ソ連・ロシアの不法占拠を認めるもので、4島返還を目指す大原則の放棄となる。ロシア政府は否定的な態度を示している。