東日本大震災や東京電力福島第1原発事故では、津波や放射線被害で多くの土地が奪われた。自治体は状況に即した形で復興を急ぐが、沿岸部に限らず、計画と現実の乖離(かいり)は大きい。震災当初、宮城県の村井嘉浩知事が掲げた震災後10年の工程は「復旧3年、再生4年、発展3年」。2020年東京五輪に発展期を迎える被災地は、どう変貌をとげているのか。

≪岩手 陸前高田市≫

「集約」転じて「つなぐ」

 

「コンパクトシティーという言葉はやめたほうがいい。誤解によるデメリットが大きくなっている」

 10月に仙台市で開かれた「東北発コンパクトシティ推進研究会」のシンポジウムで、こんな問題が提起された。発言したのは、東北大大学院工学研究科の姥浦(うばうら)道生准教授だった。

 研究者の間では、コンパクトシティー構想とは、自治体の各地域に、それぞれ拠点となる集落を維持することを指す。姥浦准教授も「人や施設を(駅前など)1カ所に集めればいいという発想ではない」と指摘する。

 沿岸部の岩手県陸前高田市は、高台に広い土地が少ないためにネットワークづくりを生かしたまちづくりを目指す。主要な施設は高台に移転するが、1カ所に集積できる広さを持った高台はない。結果的に数カ所に分散することになり、コンパクトシティーからかじを切った。
岩手・陸前高田市 東日本大震災で津波の直撃を受けた
市街地は更地となった。ベルトコンベヤーが走り、高台から
土砂が運ばれる。6年後には街が出現する
=岩手県陸前高田市(三尾郁恵撮影)

 市役所や商店街が集まっていた高田南地区は津波の直撃を受けた。このため、この地区には商店のみを集中させる。住宅の高台移転は544戸の計画だが、最も大きい団地でも100戸程度。30団地に分かれており、うち20団地は10戸にも満たない。

 市は高田南地区から高台に向かって南北に延びる市道を2車線から6車線に拡幅するのをはじめ、高台を結ぶ道路計画を進める。BRT(バス高速輸送システム)や路線バスの補完となる、乗り合いタクシーの実証実験も繰り返している。電子カルテなどを使った医療や介護ネットワークの構築も急いでいる。

 平成22年の国勢調査では陸前高田市の人口は2万3千人。現在は約1万7千~1万8千人ともいわれ、人口減少に歯止めがかからない。高田南地区の復興工程は31年までかかる見通しだが、「5年後には変わっていると思いますよ」と市担当者は話す。

 全長3キロにわたるベルトコンベヤーが、かつては中心市街地だった更地の上を縦横無尽に走る。「希望のかけ橋」という愛称の巨大な人工物は、1日に10トントラック4千台分の土砂を運ぶ。工事が順調に進めば、6年後には、街並みが出現することになる。

 仮設住宅に住む佐々木実佐子さん(72)は、その光景を見つめながらつぶやいた。「新しいまちも間違いなく私のふるさと。完成するまで元気でいなくちゃね」

≪宮城 石巻市≫

「駅前」か「内陸」か 迷い


 「誰も歩いていないでしょう。これではね…」

 宮城県石巻市のJR石巻駅前にある「立町(たちまち)大通り商店街」で、60年近く店を構える「ヤマキ家具店」の木村恵子さんが、こうため息をついた。最近は客が一人も来ない日も珍しくない。もう店を畳むべきか-。悩みは深い。国道398号の両脇に約400メートル続く商店街は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。シャッターが目立ち、休日の昼間も歩く人の姿はほとんどない。11月からは、老朽化したアーケードの解体工事が始まった。

 昭和46年ごろに設置されたアーケードは、活気ある時代の街の象徴だった。元商店主の男性は当時を「肩と肩がぶつかることが当たり前だった」と懐かしむ。しかし、立町大通り商店街振興組合によると、最盛期には111店舗あったが、震災前までに半減。震災後は37に減った。商店主は木村さんら多くが60代以上という。後継者不足も商店街の衰退に輪をかける。

医療施設など集約


 死者・行方不明者が3968人。石巻市は、震災で最大の人的被害が出た自治体だ。市役所もある石巻駅前は、まちづくり計画の中心に位置づけられている。市が描くのは、石巻駅前に行政や医療施設を集約し、被災者の入居先となる災害公営住宅も建設する「コンパクトシティー」の構想だ。

 震災は人口減少に拍車をかけ、この3年半で市の人口は約1万3千人減の約15万人になった。市は、人口流出と高齢化社会対策を兼ね、石巻駅周辺の活性化と、平成の大合併で編入した旧6町での行政サービスの中核機能強化も狙う。
宮城・石巻市 三陸自動車道インターチェンジ近くでは、宅地造成工事が急ピッチで進む。津波被害がなかったため、東日本大震災後は移転者が増加した=宮城県石巻市(大西史朗撮影)
 ただ、木村さんは市の計画に懐疑的だ。「石巻駅に市役所ができたときは期待もしたけど、結局人は増えなかった。いろんな振興策も試したが、ここではどれも効果がない。資金があれば、蛇田(へびた)に出店するのに」

 駅前復興事業も砂漠に水をまく徒労になるのか。

 蛇田地区は石巻駅から車で約10分の内陸部にある新市街地だ。仙台市から続く三陸自動車道の石巻河南インターチェンジ(IC)を中心に、日用品店から映画館までそろった郊外型ショッピングセンター「イオンモール石巻」をはじめ、家電量販店、家具店、飲食店などが集積する。

 蛇田地区は津波被害を受けなかったこともあり、震災後は震災前以上に移転者が続出した。団地の造成も進み、戸建て宅地と集合住宅の災害公営住宅を合わせ2090戸分が整備される予定だ。石巻漁港近くにあった自宅が津波で全壊し、蛇田地区の仮設住宅に住む石垣てる子さん(80)は移転後、徒歩数分のイオンで買い物をし、店内のいすに座って地元の住民と会話することが日課になった。

 病院も徒歩で15分、同じ集落から移転したなじみの美容院も近い。ついのすみかも、この地の災害公営住宅を選んだ。駅前も考えたが、「お店も何もない」と心は動かなかった。

 震災後、一軒家を自力で再建でき、車を持つ若い世代の多くは利便性の高い内陸部へ移った。一方、駅前の災害公営住宅に入居予定の住民は多くが高齢者で、駅前では人口流出と同時に高齢化も加速する。市は駅前とは対照的に拡大を続ける郊外を、震災後は一層コントロールできずにいる。駅前にも人を引きつけたいという行政の思惑からはずれた形で、蛇田のまちの発展は進む。

人口流出と高齢化


 東京五輪が華々しく開幕し、世界からの視線が集まる6年後、造成中の蛇田地区の団地には住宅が立ち並び、IC付近に広がる風景はもっとにぎやかになっているだろう。一方、津波で壊滅的な被害を受けた沿岸の集落は、震災後に加速する人口流出と高齢化を、どう克服しているだろうか。

≪仙台市≫

読めぬ五輪特需の風圧


 地下鉄車両の「顔」には、銀色に輝く三日月の意匠が刻まれた。三日月は、言わずと知れた仙台藩主、伊達政宗のかぶとの前立てだ。仙台市を東西に延びる平成27年開業予定の市営地下鉄東西線。開通すれば現行の南北線と合わせ、杜(もり)の都を十文字に貫く地下鉄網が誕生する。営業距離は高台から沿岸部までの13駅約14キロ。1日に8万人の利用客が見込まれている。

不動産バブル


 沿線へ経済効果は早くも出ている。三井不動産レジデンシャルによると、昨年末に完成したマンション「THE SENDAI TOWER 一番町レジデンス」は、市中心部にできる東西線の新駅「青葉通一番町駅」の真上にあり、114戸が完売。近くに建設中の「ザ・青葉通レジデンス」は昨年8月から販売を始めた251戸が、今年2月に売り切れた。同社は「即日契約も多い。震災前なら完売まで1年以上かかったのでは」と話す。

 市内では東日本大震災以降、不動産バブルが続く。944人の死者・行方不明者が出たが、被災を実感させるものは少なくなってきた。ケー・シー評価システムの不動産鑑定士、千葉和俊社長(58)によると、「仙台のマンション価格はまだ上がっている」という。震災後に進出した企業も多く、「東北の拠点として見直され、人口が集中している」と分析する。

 23年3月1日の市の人口は約104万人だったが、今年10月1日には約107万人に達した。

 2020年の東京五輪開催が決まった昨年9月。被災地でも歓迎の声があふれた。一方で、別の思いも被災者の胸には去来した。果たして復興との両立は可能なのだろうか-と。

 宮城県は災害公営住宅の完成時期を、来年度末から2年後ろ倒しにした。造成工事の遅れが原因だ。公共工事では入札不調が相次ぎ、昨年度の県の入札不調の発生率は25・4%。22年の3・2%と比べれば、異常さが際立つ。県内の建設関係者は「予算が少ない公共工事では割にあわない」と内情を明かす。
東日本大震災の住宅不足もあり、マンションの建設ラッシュが続く仙台市内 (大西史朗撮影)
 復興工事は激増している。千葉社長によると、資機材や人件費の高騰で、1年前に1部屋当たり約2千万円だった仙台市内のマンション建築費は、今では2500万円以上という。

 県が公表する労務単価表でも明らかだ。震災前の22年4月には一般作業員の日当が1万1300円だったが、今年6月には1万6100円に増えた。「五輪の仕事は今後激増する。被災地の仕事はどうなるか…」。東京に本社を置く中堅ゼネコン幹部の口は重い。

 実際、作業員の関心も6年後に向き始めている。仙台市沿岸部の工事現場で働く男性作業員(31)は「東京でいい話があれば行こうと思っている人も多い」と、仲間の気持ちを代弁した。同市沿岸部で区画整理工事に就く北海道出身の男性作業員(26)は昨年、被災地にやってきたが、「いい条件なら東京で仕事をやるかもしれない」と本音をのぞかせた。

人件費が高騰


 「使う側」の思いも複雑に交錯する。ある大手ゼネコン幹部は「影響は限定的」との見方を示す。五輪工事は「3、4年後にピークを迎える」と指摘。その頃には被災地で求められるのは大規模な工事ではなく、個人住宅の建設が中心となる。「五輪の工事が本格化する頃にはゼネコンではなく地元の建築会社が必要とされる。五輪と復興の工事は会社も人材も働く種類が違う」と分析した。

 しかし、明るい見通しだけではない。五輪の工事が増えれば、人手確保のために被災地の人件費が高騰する恐れもある。中堅ゼネコン幹部は「受注した工事は期限までに造る。しかし、新規で仕事を受ける量を減らす可能性は否定できない」と影響を示唆した。

≪福島≫

帰還と流入の融和図る


 表土が削られた田んぼに黒い袋が一面に置かれていた。除染廃棄物入りの「フレコンバッグ」だ。周囲には「除染作業中」と書かれた黄色い旗とマスク姿の作業員、その傍らを大型トラックが行き交う。いまだに全村避難が続く福島県飯舘村の大規模除染の光景だ。

 放射性セシウムの半減期は約30年。事故から9年後の平成32(2020)年になっても、半減期の3分の1にも満たない。26年に宅地除染、28年に農地などの除染を終わらせようと、急ピッチで作業が進む。

 除染作業のために7千人近い作業員が毎日、村内で1軒ごとに家屋と庭、周囲の屋敷林などで放射性物質を取り除く仕事を続けている。事故前の村民約6千人よりも多い。しかし、この作業が「村を救うことになるのか」と、住民は不安を感じている。

孫たちには…


 「除染しても元の生活に戻れるとは思えない」。比曽地区の菅野初雄さん(76)はそう話す。近所では除染が終わった家屋もあるが、あまり線量は下がらなかったという。

 避難前には、母親と妻の紀子さん(74)、息子夫婦、孫2人の7人で暮らしていた。孫の成長を何より楽しみにしていたが、避難で離ればなれになった。村の帰還が決まれば、それを「区切り」として福島市で再び一緒に暮らしたいと考えている。
除染廃棄物を入れたフレコンバッグが田畑の多くを覆い尽くしている=福島県飯舘村
 以前は山からの湧き水で野菜を栽培し、食事は自給自足だったが、避難後に生活費は大幅に増えた。「私たちは戻りたいと思うが、孫たちには戻ってきてほしくない」(紀子さん)

 福島県では現在、11市町村で国直轄の除染が進められており、28年中に終了する予定だ。除染が終了した川内村や田村市都路(みやこじ)地区などでは、避難が一部解除されている。しかし、川内村で完全に帰還した住民は全体の2割、都路地区では3割と、「除染=帰還」とはなっていない。避難区域で生活する草野貴光さん(66)は「解除から月日がたっても、戻って来る人は増えない」と話す。

 村で避難が解除された地域は、立ち入り制限が続く富岡町など浜通(はまどおり)地方が生活圏だった。現在は、病院や買い物などは村中心部か田村市などに足を運ばなければならない。車で約20分もかかるため、交通手段を持たない高齢者には厳しい状況が続く。草野さんは「行政や国の支援がなければ生活することができない。元の生活に戻ることはできないと思う」と話す。

増える交流人口


 山間部の厳しい現状の一方で、原発作業の前線基地ともいえる広野町や楢葉町では、新たな動きがある。

 原発から比較的近い広野町は24年3月31日、避難が解除された。町が除染を行っているが、住民はまだ3割ほどしか戻っていない。しかし、作業員たちが流入しているため、「交流人口」は増えている。

 広野町には、廃炉作業や復旧作業のために住民票を持たない人が住む。復興需要で、同町などの双葉郡と南相馬市を合わせた有効求人倍率も高く推移している。人口増を望む自治体と、交流ではなく定住を望む復興要員の利害は一致する。しかし、こうした新住民に対し、もとの住民の不安はある。知らない人が増えれば、習慣の違いによるトラブルの心配もある。

 6年後には、県内の全ての地域で除染が終わる。しかし、当初期待された「放射線量を減らせば、住民が帰ってくる」という構図は崩れている。

 山間部では震災前と同様のコミュニティーがあるまちづくりが、避難区域では新旧住民の共存できる新しいまちづくりが求められる。除染はその一歩にすぎない。

 【用語解説】コンパクトシティー 国土交通省によると、都市機能を近づけて「歩いて暮らせる集約型まちづくり」を実現し、拡散した都市機能を集約させる。また、生活圏の再構築を進めていくため、医療施設、社会福祉施設、教育文化施設等の都市のコアとなる施設を集約地域へ移転させ、移転跡地の都市的土地利用からの転換を促進する。

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