埼玉大名誉教授・長谷川三千子
 
「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」―3月9日、或(あ)るシンポジウムの席上で北岡伸一氏が述べたと伝えられるこの発言は、大変な問題発言と言うべきものです。「安倍談話」について検討する懇談会の座長代理を務める方が、いわば場外である公の場で自らの私見を述べる、というマナー違反もさることながら、一番の問題は発言の内容です。

 日本が侵略戦争をしたのか否かという話を政治の場に持ち込んではならない―これは単に、そういう問題は歴史学者にまかせておけばよいから、というだけのことではありません。もしも本当に学問的良心のある歴史学者ならば、そんな問いには答えることができない、と突っぱねるはずです。

 なぜなら「侵略戦争」という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです。

 ここで簡単に「侵略(アグレッション)」という言葉が国際法の舞台に登場してきた経緯を振り返ってみましょう。今われわれが使っているような意味での「侵略(アグレッション)」という言葉が最初に登場するのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。

 いわゆる「戦争責任(ウォー・ギルト)」条項として知られる231条には「連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める」とあります。

 そして、このような罪状によって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのでした。

敗戦国だけに責任負わせる概念


 では、そのような重大な罪であるドイツの「侵略」はどんな根拠に基づいて認定されたのかといえば、ほとんどいかなる客観的検証もなされなかった。むしろ逆に、前例のない巨額の賠償を根拠づけるために、降伏文書では単なる普通の武力攻撃を意味していた「アグレッション」という語を、重大な罪を意味する言葉「侵略」へと読みかえてしまったのです。

 現在のわれわれは、第一次大戦がいわば誰のせいでもなく起こってしまった戦争-各国のナショナリズムの高揚の中であれよあれよという間に拡大してしまった大戦争だったことを知っています。

 その戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの「侵略」という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません。

 でも、それからすでに100年近くたっているではないか。こんなひどい概念がそのままということはあり得ない、と言う方もあるでしょう。確かに、第一次大戦と第二次大戦の間には不戦条約というものが成立して、それに違反した戦争は違法な侵略戦争である、という言い方ができるようになってはいました。

 ところが不戦条約には米国の政府公文の形で、この条約は自衛権を制限するものではなく、各国とも「事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ」旨が記されています。現実に個々の戦争がこれに違反するか否かを判断するのは至難の業なのです。

 第二次大戦後のロンドン会議において、米国代表のジャクソン判事はなんとか「侵略」を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立しますが、最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められました。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。

 つまり、「侵略」という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に「侵略」のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。

 こんな言葉を、安倍晋三首相の談話のうちに持ち込んだら大変なことになります。首相がしきりに強調する「未来志向」ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪(ゆが)めてしまうような言葉や、国際社会において、「法の支配」ではなく「力の支配」を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです。


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