木村草太(首都大学東京准教授)

驚くほど「身近」な法


 いま、日本国憲法に強い関心が集まっている。しかし、そもそも、日本国憲法とは何なのか。よく分からないという人も多いだろう。そこで、それが定められた目的、制定の経緯、大日本帝国憲法(以下、明治憲法)との比較の三つの観点から、考えてみたい。

 まず、なぜ日本国憲法があるのか、考えてみよう。憲法は、自分の生活からかけ離れた、遠い世界のものだと感じている人も多いのではないだろうか。しかし、憲法は、驚くほど「身近」な法だ。

 例えば、今の日本では、普通に街中を歩いているだけで根拠もなく逮捕されることはない。税務調査員が、いきなり家に立ち入ってくることもない。読みたい新聞を読めるし、原発再稼働に賛成するデモでも反対するデモでも好きな方に参加できる。選挙で野党に投票しても不利益に扱われることはないし、どの政党を支持していようが、裁判所は公平に裁判してくれる。

 こうした自由や公正は、私たちにとって空気のように「当たり前」なことだ。しかし、過去の歴史では、それが「当たり前」でないことの方が多かったし、現在でも、それが実現できていない国はたくさんある。独裁国家では、令状はもちろん、さしたる理由もなく警察に逮捕されたり、住居に押し入られたりするのは日常茶飯事だし、公正さのかけらもない「選挙」や「裁判」が行われる国もたくさんある。

 では、なぜ、私たちにとっては、自由や公正が「当たり前」なのか。日本国憲法が、それを強く保障しているからだ。日本国憲法は、私たちの「当たり前」の生活を保護するためにある法なのだ。

「押しつけ」だから不当なのか


 そんな日本国憲法について、「押しつけ憲法」だから不当だという人もいる。だが、本当にそうなのだろうか。日本国憲法の制定プロセスを簡単に振り返ってみよう。

1946年10月、衆院本会議で憲法改正法案が可決し、日本国憲法が成立した
 1945年の夏、連合国は、ポツダム宣言にて、日本政府に対し、降伏とともに、「民主主義に対する一切の障害を除去」し、「基本的人権の尊重」を確立するよう要求した。これは、憲法改正を含む大胆な改革を求めるものだった。8月14日、日本政府はこれを受諾し、10月からは、改憲草案を準備し始める。しかし、翌1946年2月、GHQは、日本政府の改憲草案があまりにも保守的と考え、自ら草案を作り、日本政府に交付した。2月から3月にかけて、「翻訳」や「折衝」が行われ、4月に政府案が完成する。これが、帝国議会に提案され、一部修正ののち制定。1947年5月3日から施行された。

 ここに、連合国の意向が強く働いたのは確かである。しかし、ポツダム宣言受諾は、日本政府の意思であり、「翻訳」や「折衝」、帝国議会での審議のプロセスで、日本政府や日本国民の意向も汲まれている。そもそもGHQ案自体、明治憲法はもちろん、当時の日本国民の作った民間の憲法草案を参照しており、単純な占領軍の一方的押しつけではない。そうなると、日本国憲法のどこからどこまでが「押しつけ」で、どこからどこまでが「自発的」なものなのかを区別することは難しい。例えば、衆参の二院制は、日本政府の要望で設けられた制度である。とすれば、「押しつけ憲法」論は、話を単純化しすぎている。

 また、明治憲法と比較したとき、日本国憲法の制定は、民主主義や基本的人権保障を発展させるものだと評価できる。表現の自由を例に考えてみよう。

 1889年に制定された明治憲法は、他の非西欧諸国に先駆けて近代的な議会政治を樹立するものだった。そのことの意義は、日本史的にも、世界史的にも大きい。「憲法を立てた」国であることを誇り、党名に「立憲」という言葉を入れた政党も多かった。

言論の自由に限界があった明治憲法


 帝国議会の成立は、言論の自由の保障の点でも重要である。この憲法ができる以前、政府は、(議会がないので当たり前だが)議会の承認なしに政府を批判する言論を禁じたり、政府にとって不都合な出版物・新聞記事を差し止めたりすることができた。他方、明治憲法29条は、言論の自由を保障し、帝国議会の定めた法律の根拠なしに、それを制限してはならないと定めたのだ。それによって、政府は、集会や結社を規制しにくくなったし、新聞や出版も好き勝手に差し止めるわけにはいかなくなった。

 とはいえ、この憲法には、限界もあった。帝国議会が承認さえすれば、言論の自由は制限できたのだ。1909年に制定された「新聞紙法」は、内務大臣・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣が、不適当と認める新聞記事の差し止め命令を出すことを認めるものだった。当時の大臣たちは、国民に不人気な条約の交渉を秘密にしたり、テロ事件の報道のタイミングをコントロールしたりして、世論操作に使った。

 もし、いまこの法律があれば、例えば、TPP交渉をしている事実自体を秘密にできるし、災害対応にミスがあっても報道を差し止められる。現在の私たちの基準からすれば、とんでもない法律だろう。しかし、当時の憲法は、そのような法律を制定することも認めていたのだ。

 そこで、日本国憲法は、「一切の表現の自由」を保障する第21条を設けた。この自由は、議会によっても奪えないものとされていて、新聞紙法のような法律を作れば違憲無効である。この条文は、明治憲法の内容を発展させるものとして、高く評価できるのではないだろうか。そして、表現の自由以外にも、明治憲法の民主主義や人権保障を発展させた条文はたくさんある。

 日本国憲法は、私たちの「当たり前」の生活を守るための法だ。それは、GHQの関与の下で作られたが、単純な「押しつけ憲法」というわけでもない。内容面では、明治憲法の内容を改善し、民主主義や人権保障を発展させるものだった。

 日本国憲法については、国立国会図書館のホームページの「日本国憲法の誕生」と題された特集で、明治憲法との比較や、制定過程の詳細を知ることができる。改憲・護憲の議論に興味のある人は、ぜひ一度、その特集を見てほしい。どちらの立場からも新しい発見があるはずだし、日本国憲法の制定に関わった人たちの気持ちや努力が痛いほど伝わってくるはずだ。

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