土田喜代一(元大日本帝国海軍二等兵曹)
聞き手:井上和彦(ジャーナリスト)

*3月21日、靖國神社遊就館で開催された雑誌『正論』主催講演会の内容を再構成したものです。

「杖にすがっても行きます」


井上 この4月8日、9日、天皇皇后両陛下がパラオ共和国を公式訪問され、ペリリュー島に渡られます。かつて土田さんが、米軍と戦われた場所です。

土田 去年の9月15日、米軍ペリリュー上陸から70周年の日米合同記念式典に孫と参加したときには、これが現地訪問の最後の機会と思っていました。その後に陛下がペリリュー島を行幸啓されると知り、びっくりしました。パラオ、ペリリュー島は非常に交通の便が悪く、お年を召された両陛下にとってはご訪問なさるのは大変なことです。あの地で散華され、靖國神社に祀られる一万余柱の英霊は、両陛下がペリリュー島に来ていただけるとは、夢にも思っていないと思うんですよね。実際に来られたら、どんなに嬉しいことか。是非両陛下と会ってもらいたい。私も杖にすがってでも現地に行って、英霊たちに両陛下と会ってもらいたいと思うようになり、再び現地を訪れる気になりました。

井上 明日(3月22日)は皇居に招かれ、両陛下にお会いになるそうですが。

土田 陛下がどんな質問をなさるのか心配で、頭がくらくらしております。

井上 実は私も土田さんに「陛下のご質問にどう答えたらいいのか」と電話で聞かれたんですが、さすがに私にもなんとお答えしたらよいか分かりませんでした(笑)。
先の大戦での激戦地、ペリリュー島から生還した土田喜代一・元海軍上等水兵(左端)、永井敬司・元陸軍軍曹(左から2人目)から話を聞かれる天皇、皇后両陛下=3月22日 皇居・御所「応接室」(宮内庁提供)
井上 ここで少し、ペリリュー島について説明させていただきます。大東亜戦争の大激戦地としては、ガダルカナルやラバウル、島嶼部の硫黄島、サイパン、テニアンなどが有名ですが、パラオの「ペリリュー島」は聞いたことがない方がいらっしゃると思います。

 パラオは日本から真南に約3000キロのところに位置しており、したがって時差もなく、直行便で約4時間半ほどで行けます。

 第一次世界大戦で、日本はドイツ領であったパラオを占領しました。戦後の1920年、国際連盟からパラオを含むミクロネシア(南洋群島)の委任統治が認められます。サイパンもテニアンも同じです。ですから、第二次世界大戦では、もともと国連の信託委任統治の日本領土に、米軍が侵攻してきたということになります。

 土田さんが戦われたのが、現在、首都があるバベルダオブ島から南西に50キロほど行ったペリリュー島です。南北9キロ、東西3キロの本当に小さい、カニの爪のような島です。

 太平洋の島々をめぐる攻防戦でマリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムを落とし、日本の絶対国防圏の内側に入ったアメリカは、次いでフィリピンに照準を合わせます。さらに北上して台湾を攻め、沖縄を攻め、本土を攻めるルートを確保するためです。

 フィリピンに照準をあわせた米軍の前に立ちはだかったのが、西カロリン諸島最大の飛行場を持つペリリュー島でした。その日本海軍の十字滑走路を奪取するため、米軍は5万の大軍を差し向け、昭和19年9月15日から11月24日まで「ペリリュー島の戦い」が行われました。日本軍戦死者は約1万名、米軍の戦死傷・行方不明者約8000名(戦死者約1800)という激戦でした。

 米軍の上陸部隊である第一海兵師団のウィリアム・ルパータス少将は戦闘前、「three days maybe, two」と豪語していました。「こんなところは3日間くらいで落とせる。2日ですむかもしれん」と。実際には73日間の激戦となり、米軍最強の海兵隊といわれた第一海兵師団は日本軍に滅多うちにされて撤退し、隣のアンガウル島を攻めた陸軍第八一歩兵師団と交代するという屈辱を味わったのです。

 迎え撃つわが軍は、中川州男(くにお)大佐率いる水戸の歩兵第二連隊を中心とするペリリュー守備隊。満州で鍛え上げた精強部隊、現役兵の集まりです。そして、海軍西カロリン航空隊ペリリュー本隊が加わっていました。ペリリュー島では陸軍の戦いとみられがちですが、そもそもペリリュー島には海軍基地があり、そこを守るために陸軍一四師団の一部がやって来たんです。土田さんは、海軍部隊の一員として陸上戦闘を戦われました。陸海軍総勢1万1000名。米軍5万対日本軍1万1000の戦いでした。

 それまでの南方戦線、太平洋の島々の戦いで日本軍は、「バンザイ突撃」という総攻撃をかけ、敵弾に次々と斃れていました。ペリリューの戦いでは、こうした消耗の激しい戦法を改め、徹底持久戦の方針をうち立てます。中川大佐は、「戦は、つまるところ人と人との戦いである。戦う意志と力をもつものがいるかぎり、戦いは終わらず、勝敗も決まらない。陣地を守る事はその戦いぬくための手段のひとつ。問題はできるだけ多数の敵を倒し、できるだけ長く長く戦闘をつづけることにある。それには守る陣地が多いほどよい」というふうにおっしゃっています。

 米軍が上陸する海岸付近には、巧みに配置されたトーチカ陣地を築き、引きずり込んだ内陸の山岳部では500以上の洞窟を掘った「複郭陣地」に潜んで迎え撃つ、二段構えの戦法です。こうした戦法は、その後の硫黄島の戦い、沖縄戦に引き継がれていきます。ペリリュー島は隆起珊瑚でできた非常に硬い島です。複郭陣地構築は、大変に苛酷な作業でした。

 凄まじい戦いぶりに、天皇陛下が毎朝、「ペリリュー島は大丈夫か」とご下問なさったという話も残されております。11回のご嘉賞(お褒めの言葉)にもあずかりました。それだけ陛下がお心をかけておられたということで、「天皇の島」と呼ばれたのです。