新保祐司(文芸批評家、都留文科大学教授)

 8日から天皇、皇后両陛下がパラオ共和国を訪問され、大東亜戦争の激戦地ペリリュー島で戦没者を慰霊される。これは、戦後70年の今年における最深の行事といえるであろう。最深というのは、忙しさの中に埋没している日常的な時間を切り裂いて、歴史の魂に思いを致らし、日本人の精神を粛然たらしめるものだからである。

「海ゆかば」を知らない日本人


 戦後60年の年には、サイパン島に慰霊の訪問をされた。そのときも、先の戦争を深く回想する契機を与えられたが、サイパン島は、バンザイクリフなどによって玉砕の島として日本人に知られているであろう。戦争の記録映像などでも、よく出て来るからである。

 しかし、そのサイパン島や硫黄島などに比べてペリリュー島の方は、慚愧(ざんき)の至りであるが、戦後生まれの私も、この島の名前を知ったのは、そんなに古いことではない。日本人の多くが、知らなかったのではないか。

 そのような島に天皇、皇后両陛下が訪問され、戦没者を慰霊されるということは、戦後70年間、大東亜戦争を深く記憶することを怠りがちであった日本人の精神の姿勢を厳しく問うものである。戦後の日本人が、いかに民族の悲劇を忘れて生きてきたかを叱責されるようにさえ感じる。

 今年1月3日付産経新聞の「天皇の島から」の連載で、ハッとさせられる話が載っていた。パラオ共和国の94歳になる老女が取り上げられていたが、明快な日本語で「君が代」を歌い上げ、続けて「海ゆかば」を口ずさみ始めたという。歌詞の内容も理解していた。

 この記事を目にしたとき、戦後60年の年に両陛下がサイパン島を訪問されたときのエピソードを思い出した。敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという話である。玉砕の悲劇を回想するとき、島民の心からおのずから「海ゆかば」が湧き出てきたのであろう。それに対して、日本人の方が「海ゆかば」を知らないのである。

日本が失ったものの大きさ


ペリリュー島にある戦没者慰霊碑「みたま」=2014年12月10日、
パラオ共和国・ペリリュー島(松本健吾撮影)
 このように「海ゆかば」を通して先の戦争を記憶しているサイパン島の島民やパラオ共和国の老女に比べて、日本列島の島民はどうであるか。私もそうであったが、ペリリュー島を忘れていたではないか。サイパンやパラオの島民はずいぶん貧しいかもしれない。しかし、歴史の悲劇と戦没者を忘れないという精神においてどちらが品格が上であろうか。それを思うと、戦後70年間、日本が経済的発展の代償として失ったものの大きさに改めて気づかされる。

 ペリリュー島については、40年ほども前に産経新聞社の前社長の住田良能氏が、支局時代にとりあげていたことを最近知って感銘を受けた。1978年、本紙の茨城県版に掲載された「ペリリュー島’78」には、「犠牲の大きい戦いであっただけに、米軍にとって、勝利はひときわ印象深かった。戦後、太平洋方面最高司令官だったニミッツ提督は『制空、制海権を手中にしていた米軍が、一万余の死傷者を出してペリリューを占領したことは、いまもって大きなナゾである』と述べ、また米軍公刊戦史は『旅人よ、日本の国を過ぐることあれば伝えよかし、ペリリュー島日本守備隊は、祖国のために全員忠実に戦死せりと』と讃(たた)えた」と書かれていた。

 この「旅人よ、日本の国を」は名訳といっていいが、この文章の原型は、紀元前480年のギリシャでのテルモピレーの戦いを讃えた碑文につながっている。テルモピレーの戦いといえば、吉田満の『戦艦大和ノ最期』初版の跋文(ばつぶん)に、三島由紀夫が「感動した。日本人のテルモピレーの戦を目のあたりに見るやうである」と絶賛したことを思い出す。

 戦艦大和の激闘が、テルモピレーの戦いの如くであったように、ペリリュー島の激戦も、テルモピレーの戦いであったのである。

両陛下の慰霊に合わせ黙祷を


 この玉砕を悲惨な戦争とか戦没者を戦争の犠牲者とか決して言ってはならない。テルモピレーの戦いのように「祖国」のために戦った勇者に他ならないからである。

 天皇、皇后両陛下が慰霊される時刻には、終戦記念日の正午に国民が黙祷(もくとう)をささげるように、ペリリュー島の戦没者に国民が黙祷するようにしてはどうであろうか。これまでほとんど忘れていたことに対するおわびも兼ねてである。

 そして、今年の8月15日の全国戦没者追悼式には、「海ゆかば」を流してはどうか。明治から大正にかけて諜報活動に従事した石光真清は有名な手記を書き遺(のこ)したが、その中で明治天皇の崩御に触れて「遠く満洲の涯(はて)に仆(たお)れた人々も、一斉に大地から黒く浮び上って、この偉大なる明治の終焉(しゅうえん)を遙(はる)かに地平線の彼方(かなた)から眺めているかに思われた」と書いた。

 追悼式で「海ゆかば」が流れたならば、遙かに水平線の彼方のペリリュー島から英霊は黒く浮び上って今日の日本人を眺めるであろう。そして、われわれはその視線に戦後の精神の在り方を厳しく問われることになるのではないか。

しんぽ・ゆうじ 昭和28年、宮城県生まれ。52年、東大文学部卒。出光興産勤務を経て都留文科大助教授に。平成10年、同大教授。19年、正論新風賞受賞。共著に「歴史精神の再建」など。