〈君が代は 千代に八千代に さざれ石の~…〉

 明快な日本語で「君が代」を歌い上げた94歳になる老女は、続けて「海行かば」を口ずさみ始めた。

 〈海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍~〉

 歌詞の意味は理解しているという。ロース・テロイさん。「テルコ」という日本人名も持ち、「日本人になれるものならなりたかった」と言った。

日本語の歌「緑の島のお墓」を作詞した
アントニア・ウエンティさん=2014年12月15日、
パラオ共和国(松本健吾撮影)
 「緑の島のお墓」を作詞したアントニア・ウエンティさん(85)は「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌って涙を浮かべ、童謡の「浦島太郎」を歌って、「この歌は、『両親がしてはいけないということはやってはいけない。罰が当たるよ』という意味を含んでいる」と言った。

 テロイさんのいとこにイナボ・イナボさん(故人)という男性がいた。元パラオ共和国政府顧問で、生前は、「日本軍と一緒に戦いたかった」と何度も口にしていたという。

 イナボさんは平成7年8月15日、靖国神社での戦没者追悼中央国民集会に参加した際、雑誌のインタビューにこう話している。

 「日本には大切なものが4つあります。天皇陛下と靖国神社と富士山と桜の花です。アメリカ人から『日本は小さな国だけどもルーツ、根っこがあるから強い。それは天皇陛下と富士山と桜だ。それはアメリカにはない』と聞きました」

 「日本人の戦いぶりはアジアの人々は皆知っているんですよね。それで日本を尊敬しているわけです。皇室と神社がある限り日本は倒れない。日本人が安心していられるのは、天皇陛下がおられるからですよ。天皇陛下がおられて、靖国神社があるからこそ日本は尊く、外国からも尊敬され、強い国となっています」

 イナボさんの日本への思い、そして歌詞の意味を確かめるように一言一言を丁寧に歌ったテロイさんとウエンティさん。2人の心に去来するものは何か。

 天皇、皇后両陛下のパラオご訪問が検討されていることに話が触れると、「最初、いらっしゃると聞いたときはだれも信じられなかった。まさかという気持ちで驚いた。天皇陛下にお目にかかれることを非常に楽しみにしている」と興奮気味に話した。

先生に毎朝「おはようございます」


 1914年、第一次世界大戦でコロール島を占領した日本は、ベルサイユ平和条約でパラオ共和国を20年に委任統治下に置き、2年後、南洋庁を設置した。小学校や実業学校、病院、郵便局などを設置したほか、インフラ整備も進め道路や港湾、飛行場などを建設した。法律は原則、日本の法律が適用された。

 日本政府による統治は45(昭和20)年までの31年間続いた。パラオは日本の小都市のような発展を遂げ、日本人も23年に657人だったのが38年には1万5669人を数え、パラオの総人口の7割を占めた。44年時点では、パラオ人約6500人に対して約2万5千人の日本人(軍人を除く)が住んでいた。

 元駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は「どんどん日本人が移住してきて、コロールの中心街は日本政府の出先機関やショッピングセンター、飲食業、娯楽施設が軒を連ね、『第2の東京』とさえ呼ばれた。農業や漁業などの産業も発展し、稲作やパイナップルなどの生産を促し、余剰作物は輸出に回した」と話す。

 この間、日本政府はパラオ人に対する日本語教育にも力を入れ、3年間の義務教育課程である「本科」と2年間の「補習科」で構成される公学校が6カ所建設された。