西村眞悟(前衆議院議員)

行幸啓は「とてつもない」こと


 天皇皇后両陛下は、大東亜戦争において、祖国を遠く離れた地で戦没した帝国陸海軍将兵を慰霊するため、四月八・九の両日、南洋のパラオ共和国に行幸啓された。

 そして九日、同国ペリリュー島に渡られ、その南端において「西太平洋戦没者の碑」に献花され海に向かって深く頭を垂れて黙祷され、続いて西海岸において戦没アメリカ軍将兵の霊を慰霊された。

パラオ・ペリリュー島=3月24日(共同)
 この両陛下の慰霊の行幸啓によって、我が国内では英霊を忘れることなく慰霊される天皇を戴くことへの安堵と感謝の思いが静かに国民の心のなかに湧き上がっているように思える。また、海外の人々も、敵味方の区別も無く戦没将兵を慰霊される天皇のお姿に接し、あらためて、政治的存在としてではなく祈る御存在としての天皇を感じたと思う。

 私は、日本は、過去現在未来の国民に支えられて現存し永続する国家であると実感している者である。それ故、太古より我が共同体の存在の中枢にある万世一系の天皇が、遙か南の太平洋に浮かぶ激戦の島ペリリューに慰霊のために皇后と共に行幸啓されることは、目に見えない世界における「とてつもない」ことだという予感を抱いたのだった。

 そして、ペリリュー島に行幸啓される両陛下を同島でお迎えしようと思い立った。

 そもそも「祈る存在」としての元首を戴いている国が、日本以外の何処にあろうか。しかもその地位の継承は、万世一系である。

 古代ローマ建国の英雄やギリシャ神話のゼウスの直系の子孫が現在の国家元首である国がヨーロッパに存在するということを、ヨーロッパ人自身が想像できるだろうか。しかし、彼らの極東の地にある日本は、まさにそのような国なのである。

 その国家の元首である天皇が慰霊のためにペリリューに行かれた。これは、世界の諸国民の歴史において、とてつもないことではないか。

 そこで、このペリリューへの行幸啓に至る歩みをたどったうえで、ペリリューで両陛下をお迎えした情景をご報告したい。

硫黄島、サイパンに眠る英霊とのご対話


 昭和二十年八月十五日、「大東亜戦争終結の詔書」が国民に伝達された(玉音放送)。其の詔書において、昭和天皇は「堪え難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ、以て萬世の為に太平を開かむと欲す」と国民に訴えられた。この詔書によって、帝国陸海軍は戦闘行動を停止し、約三百万人の戦死戦没者を出した大東亜戦争は終結した。

 それから初めて迎えた昭和二十一年の正月元旦に、天皇は「新日本建設に関する詔書」を発せられ、その冒頭、明治天皇の下された国是である五箇条の御誓文の趣旨に則り、「我が国民が現在の試練に直面し、且つ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、克く其の結束を全うせば、独り我が国のみならず全人類の為に、輝かしき前途を展開せらるることを疑わず」と述べられ、「一年の計は年頭にあり、朕は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして自ら奮い自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾ふ」と結ばれたのである。

 この詔書を発せられた後、天皇は、戦禍に打ちひしがれた国民を励ます為の全国巡幸を開始された。しかし、昭和六十二年に予定された沖縄行幸は、病のため断念せざるをえなくなり、次の御製を詠まれたのだ。

思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを

 そして、昭和天皇は、昭和六十四年一月崩御される。

 今上陛下の慰霊の行幸は、この先帝陛下の「たづねて果たさむつとめ」を継承されたものである。

 従って、そのお立場は、万世一系の故に昭和天皇そのもの、つまり大東亜戦争の「開戦を命じた天皇」としてのものである。即ち、それは昭和十六年十二月八日、昭和天皇が、開戦の詔書において、「天佑を保有し万世一系の皇祚を践める大日本帝国天皇は、昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す」、「朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事せよ」と命じたお立場である。

 そのお立場を継承された今上陛下が皇后陛下と共に、日米両軍の激戦の地である沖縄への度々の行幸啓を果たされつつ、玉砕の島である硫黄島とサイパンへの慰霊の行幸啓を、それぞれ平成六年と同十七年に済まされた。

 それから十年の歳月の後、いよいよ本年四月九日、パラオ国ペリリュー島に行幸啓されたのである。これら、硫黄島、サイパンそしてペリリューは、ここが陥落すればフィリピン、台湾、沖縄そして本土への敵の直接攻撃必至の絶対国防圏線上にある。従って、陸海軍将兵は、ここで敵を断固として阻止して祖国を守らんと、最後の一兵に至るまで勇戦敢闘し玉砕したのだった。

 従って四月十六日、この絶対国防圏の南端にあるペリリュー島への慰霊の行幸啓を終えた両陛下は、東京都八王子市の武蔵陵墓地にある昭和天皇と香淳皇后の御陵を参拝され、ペリリュー慰霊を終えられたことを先帝陛下に報告されたのだ。

 そこで、天皇皇后両陛下の、西太平洋の硫黄島、サイパンそしてペリリューへと南に下るラインの最初の硫黄島行幸啓に際して歌われた御製と御歌を思い起こすとき、込み上げる思いを禁じ得ない。

 天皇陛下は、硫黄島において、

精魂を 込め戦いし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき

と歌われた。

 この御製は、明らかに二万の将兵と共に玉砕した指揮官栗林忠道中将の大本営に対する訣別電の、「国のため 重き務めを果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」を受けて、その「悲しみ」に応答されたものである。これこそ、我が国の伝統である歌において対話を果たす「天皇と民の絆」であろう。

 そして、皇后陛下は、

慰霊地は いま安らかに 水をたたふ 如何ばかり君ら 水を欲りけむ

と歌われた。

 硫黄島は火山島であり雨水以外の飲料水はない。従って、この島の地熱で五、六十度の高温になる地下壕に潜って戦った二万の将兵の想像を絶する渇きを、皇后陛下は察せられて、将兵らに、「君ら」、と呼びかけられたのだ。

 天皇皇后両陛下は、戦没英霊と対話をされ、まさに彼らの苦しみを我が苦しみとして感じようとして慰霊の行幸啓を、硫黄島からサイパンそしてペリリューまで続けられたのである。

 これまで、硫黄島に駐留している自衛官達の間では、夜寝るときは枕元に喉が渇いた戦没者の為にコップ一杯の水を入れておかなければうなされるとか、夜中宿舎の外を大勢の隊列が通るような軍靴の音がするとか、夜中に部屋の中で旧軍の兵隊としきりに話している者がいるとかの怪奇な現象が報告されていたという。しかし、天皇皇后両陛下の行幸啓以来、それらの怪奇現象の報告は無くなったと聞いた。島における天皇と皇后の慰霊によって、未だ島の地下に眠る将兵の霊が慰められて鎮まられたのであろうか。

 即ち、天皇皇后両陛下の玉砕の島への行幸啓は、両陛下の「英霊との対話という鎮魂」であったのだ。

 次に、この度のパラオ国ペリリュー島における、両陛下のその鎮魂の情景をご報告する。これまで、両陛下が慰霊の行幸啓をされた硫黄島とサイパンに、後を追うように慰霊の旅を果たしてきた私は、この度、七名の同志とともにペリリュー島で両陛下をお迎えし、両陛下と共に英霊の慰霊を果たすことができた。