国立国会図書館が先月公表した「新編靖国神社問題資料集」は、国(厚生省)と靖国神社が戦後、緊密に協力して戦没者合(ごう)祀(し)を進めてきたことを、改めて明らかにした。これに対し、憲法の政教分離条項などを持ち出した非難が、一部の政党やマスコミなどから出ているが、政府は「問題ない」(安倍晋三首相)と突っぱねている。
ただ、この政府の反論を見ると、「靖国神社における戦没者追悼は国の務め」との責任感が欠けた日本政府のありさまが、保守を標榜する安倍政権でも継続していることが浮き彫りになる。

「関与」否定する政府

 この資料集は、靖国神社の積極的な資料提供で編纂(へんさん)されたものだ。敗戦で廃止された陸、海軍両省の業務を引き継いだ厚生省の援護局と、靖国神社が、戦没者合祀について協議を重ねたことを裏付けている。連合国の戦争裁判で刑死させられた「ABC級戦犯」も「法務死没者」として検討対象となった。
 日本は1945(昭和20)年に降伏したが、講和条約が発効し独立を回復する52年までの占領期は国際法上、依然として戦争状態にあった。戦争裁判は、日本が敵国に軍事占領され主権を失っていた占領期に、連合国が一方的に行ったもので、「戦犯」として刑死させられた同胞を独立後に合祀するのは自然なことだ。
 安倍首相は、資料集公表の翌3月29日、記者団の「戦没者合祀に旧厚生省が関与していたことが明らかになったが、政教分離の観点からどう思うか」との質問に、「これは問題ないと思いますね。合祀を行ったのは神社でしょうし、情報を求められ、旧厚生省は情報を提供したということではないでしょうか」と述べた。
 塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「旧厚生省として当時、人事情報などを持っていたから、一般的にお答えすることはあった。最終的に判断するのは神社ということなので、強制をしているようなことではない」との見解を示した。
 安倍内閣が4月20日に閣議決定した答弁書も「合祀の決定は靖国神社が行っているものであり、これに旧厚生省が関与したということはない」としている。

積極関与が慰霊の道

 確かに、合祀の最後の決定は靖国神社が行ったのだろう。だが、資料集を読めば、やはり当時の厚生省援護局が、靖国神社と一体となって戦没者のために、合祀の選定に関わっていたことがわかる。
 政府は頼まれたから戦没者の氏名を教えただけ。合祀は神社の仕事で、政府はあずかり知らない-といわんばかりの今の政府の態度には違和感をぬぐいきれない。
 終戦を知らずに戦い続け、1974年にフィリピンのルバング島から帰国するまで、英霊として靖国に祀(まつ)られていた小野田寛郎氏(元陸軍少尉)はかつて、「国が靖国を護持していないだけでも(戦没者への)背信行為だ」と語ったことがある。
 国による護持どころか、合祀の決定さえ「関与していない」という政府の姿勢は「靖国忌避」だ。安倍首相は、21日から3日間の靖国神社の春季例大祭中の参拝を行わなかったようだが、これは参拝以前の問題だ。
 当時の政府が果たした役割を肯定的に認め、それは現憲法に反する行為ではなく、政府として当たり前の責務を果たしたのだ-と、政府がはっきりさせることが戦没者への礼儀だろう。戦没者慰霊を国から切り離す憲法解釈など所詮(しよせん)、独立国家のあり方からも人の情からも異様ではないか。
(政治部 榊原智)