古谷経衡(評論家)


「右傾エンタメ」とはなにか


「右傾エンタメ」という言葉が流通して久しい。この言葉は作家の石田衣良氏が考案したものとされている。かいつまんで言えば「その内容に右傾的なものを内包しているエンターテインメント作品」のことだ。

「右傾的」の定義はともかく、一般に「右傾エンタメ」とは

1型)旧日本軍や第二次大戦での日本の立場を美化・肯定的に捉えたもの=先の戦争の美化・肯定

2型)旧日本軍の装備品等を作品中のモチーフにして、なおかつそれを否定的ではないエンターテインメントの文脈の中で扱ったもの=旧軍の装備品の美化

 であるといえる。

 代表的な事例として百田尚樹氏のヒット作『永遠のゼロ』は明らかに1型、旧日本軍の艦艇をモチーフにしたゲーム『艦隊これくしょん』(艦これ)は2型、魔法を扱う少女らが戦中世界(現実世界の歴史軸とは異なる)に於いて敵と戦うアニメ『ストライクウィッチーズ』は2型、第二次大戦時代に日本を含む各国で使われた戦車に美少女が搭乗するアニメ『ガールズパンツァー』(ガルパン)も2型のパターンである。

 これら「右傾エンタメ」を否定的に観る人々は、このような「右傾エンタメ」の隆盛そのものが「日本社会の右傾化」であるとか「若者の右傾化の象徴」であるとかして否定的な視線を送っている。が、果たして本当なのか。

 例えば「右傾エンタメ」という単語の誕生のキッカケとなったとされる『永遠のゼロ』は、ゼロ戦のエースパイロット・宮部久蔵(架空)とその孫をめぐるお話である。話の筋だけを観ると1型を踏襲した「右傾エンタメ」の様に思える。

 たしかに原作小説の中には所謂「大東亜戦争肯定史観」の文脈が頻出するが、原作と同じく空前の大ヒットとなった映画版(山崎貴監督)では、こういった「東亜戦争肯定史観」が大幅に薄められ、原作での「大東亜戦争」という表現も「太平洋戦争」に置き換わっている。

 主人公宮部久蔵が特攻に向かうまでのくだりでは、宮部は特攻作戦にまったく懐疑的であり、その辺りはボカされている。これは映画『男たちの大和』に共通するニュアンスであり、明らかに「反戦」を強調した内容で、実際この時期に発刊された週刊誌等の特集記事を読んでも、映画『永遠のゼロ』を鑑賞した20代の観客は、口々に「戦争っていけないと思いました」という感想を述べている。

 要するにこのことから伺えられるのは、『永遠のゼロ』は「反戦・平和」の戦後民主主義の肯定とも解釈することができる。結果「旧日本軍や先の戦争を美化・肯定的に捉えた」作品とは遠い。1型の「右傾エンタメ」に捉えられがちな『永遠のゼロ』は、このような意味に於いて、実際には旧軍を肯定しているどころか、寧ろ「過ちは繰り返しませんから」に近い反省を述べているものであり、これは前述した『男たちの大和』で、長嶋一茂役の海軍大尉が、日本の科学軽視主義や大艦巨砲主義を批判して没していく処と瓜二つであり、実際には「右傾エンタメ」とは違っている。

 よって『永遠のゼロ』の小説のほうは1型の右傾エンタメと呼べなくも無いが、日本アカデミー賞を総なめにした映画版の『永遠のゼロ』には右傾要素は存在しない。記録的な観客動員数を動員した同作の映画版のほうが、明らかに社会に与えるインパクトは大きなものがあっただろう。単純に映画的完成度が極めて高かったことが、本作の成功の原因である。日本が右傾化したから映画がヒットしたわけではない。

「右傾要素」の不在


 ところが「永遠のゼロは右翼作品である」というレッテルに凝り固まると、如何なる作品でもそれを右傾化作品であると色眼鏡で見てしまう。こと『永遠のゼロ』に関しては、その作者の百田氏が、保守的な言動をSNSや雑誌対談や著書の中で繰り返したり、2013年の東京都知事選挙で元航空幕僚長の田母神俊雄氏の応援演説に駆けつけるなど、保守系言論人としての旗色を益々鮮明にしたことから、「百田=右翼」のイメージが固着化され、実際には作品を読んでいない・映画を観ていない人々が「右傾エンタメ」の大合唱をはじめる流れが定着したように思う。つまり「右傾エンタメ」論は、作品批判ではなくイメージの産物である。

 これに関連して、先に例示した例えば『艦隊これくしょん』は、右傾化を警戒する文脈の中で「若者の中で屈託のない旧軍礼賛のゲームが流行っていることを憂慮」や、またぞろ「若者の右傾化」などという見解の表明が散見されるに至ったが、それもこのゲームの実相を何ら分かっていない人々による色眼鏡だといえる。

 このゲームには「艦隊を徐々に育成する」という戦略的要素があるので、それが純粋に楽しい、という層も多い。この要素はオンラインゲームの定番構造だ。ハードに依拠せず、純粋にブラウザゲームとして楽しめ、かつ優秀であったのが、ヒットの原因だ。

 或いは『艦これ』をベースとした創作同人誌は現在隆盛の極みに達しているが、それらを検索すれば、およそこのゲームがどのようなユーザーに嗜好されているのかが一目瞭然だ。

 要するに『艦これ』は旧軍の装備品をモチーフにしただけの美少女ゲームの一種であり、誤解を恐れずに言えば90年代から勃興した「ギャルゲー」の延長線上にある亜種である、と言うこともできる。

 なぜならこのゲームの司令官「提督」はプレイヤーの分身であり、このゲーム構造自体、古典的な「ギャルゲー」の一人称世界・ハーレム世界の基本線を踏襲している、と見做す事もできるからだ(別にそれが悪いと言っているわけではない)。よって上記に上げた二次創作の中では、「提督」は男性として描かれ、ハーレム構造は更に補強されている。このような二次創作に流用される余地が多かったからこそ、このゲームが相乗的にヒットしたと見做すことができる。

『艦これ』のユーザー層には政治性は無いし、ゲーム構造も既に述べたような、古くから存在しているこの手の美少女ゲームと巨視的には大差ない。旧軍の戦艦や駆逐艦などの装備品をモチーフにゲームを構成することと、先の戦争への評価は全く関係がない。それは『ストライクウィッチーズ』や『ガルパン』も同様である。

 確かにそこに「否定的なニュアンスがない」という事をもってすれば2型の右傾エンタメということもできないわけではない。しかし純然たるゲームに一々、「先の大戦を反省し…」などという言葉の挿入はゲームバランスを狂わせるのは自明だ。そもそも政治性のない作品に、そのような政治的配慮を混入させること自体が政治的である。
 
 つまり、現在「右傾エンタメ」と呼ばれているものの多くは、実際には想定される『右傾エンタメ』ではないし、それを受容するユーザーの側にも「右傾的な要素」を見出すことは出来無い。例えば『艦これ』の熱心なユーザーは自民党支持者なのか、といえばそのような傾向は全くないであろう。

 むしろ、『艦これ』の二次創作(18禁同人誌)などを好むクラスタは、所謂「表現規制問題(”非実在性少年”をめぐる都条例問題)」や「児童ポルノ法」に反対の姿勢を鮮明にしていた場合が多かった。この場合、同法に明確に反対の姿勢を取っていたのは社民・共産・民主の一部などのリベラル勢力であり、党派的には「左派」であろう。どこに「右傾化」が存在するというのだろう。