井上政典(歴史ナビゲーター)

 最近は近年にないくらいテレビでおかまやおねえを見ない日がないくらい大量に露出しています。私と同じ世代の方はカルーセルまきさん(日本で最初に性転換手術を受けた芸能人)を思い出すでしょうが、完全な色物として扱っていました。タブーを超えた物珍しさでその位置をしっかりとつかんでおられました。

 しかし今はどうでしょう、番組の半数の出演者がおかまというのが櫻井翔が出ていた番組でありましたが、気持ち悪くてすぐにチャンネルを変えました。

 一日中ずっとテレビを見ているわけではありません。帰宅してほっとしている時にテレビをつけているのです。そんな時に気持ち悪いものを見たいと思いますか?

 性同一障害を持つ人もおられるでしょう。自分の身体と心が一致しなくて大変だと思いますし、同情します。しかし、それを堂々と大ぴらにいうものでしょうか?癌の人が「私は癌です。皆さん私の苦しみをわかってください」といってテレビに出て仕事をするでしょうか?

 元気で活躍している方でも、それなりの悩みや病気を抱えているけど、それを自分の胸の内に秘めて努力を重ねている人はたくさんおられます。むしろそちらの方が多いと思います。でも、少数派のおかまが大手を振って公共の画面に露出するというのはいかがなものかと思います。

 差別といわれるかもしれませんが、私の友人にはおかまもいます。その人を人間として見ているので、その人の性の好みがどうであろうが同じ日本人として何の違和感も持ちません。その人は、自分の性癖を他人には黙っています。私もそれを知っていて他人にあいつは男色だよと言いふらすことはしません。これらは秘め事であってどうどうと胸を張って言うべきものではないと思います。

 「みっともない」という言葉があります。この語源は「みたくない」から来ています。何を見たくないかというと、「そんなに親しくもないあなたの私的な部分は見たくない」から、来ているのです。つまり日本人は、自分の私的な部分と公的な部分をきちんと分けて他人と付き合っていました。たとえ障子一枚でも、人の家では勝手に開けてはならないというのが不文律だったのです。
 
 人の家の冷蔵庫を勝手に開けるのは失礼だと知っていますよね。公と私の区別をきちんとつけていました。性的な嗜好も公私の区別がきちんとついていましたが、最近はテレビの影響でそれがどんどん乱れてきています。

 そんな中で渋谷区の同性愛カップルの証明書を発行するという条例の可決です。

多くの人が行き交う東京都渋谷区のJR渋谷駅前スクランブル交差点。同区は、全国初の同性同士をパートナーとして証明する制度を発表した
 産経新聞で「渋谷の変」という題で特集が始まりました。それを読んでみるまでは、同性愛カップルが部屋も借りられないし、病院でも親族ではないから面会もできないからこういう証明書が必要だと説明されればそうかしかないなと思っていました。

 しかし、不動産屋さんでそういう証明書は全く無用だし、表立って私たちはゲイのカップルですと宣言する人はいないし、もしそうであってもルームシェアするために借りるといった方が借りやすいと証言していました。病院でも、きちんと事情を話せば対応しているし、その証明書の必要性などどこにもないと書いてあり、びっくりしました。

 そして気づいたのです。ああ、ここにも日本破壊の兆しがあったと。

 同性愛カップルの証明書なんてこの世の中にはいらないのです。
 
 普段付き合う周りの仲間が彼らはカップルなんだと認めるかどうかが問題であって、別に政府や法律で証明する必要があるものではないのです。

 生命保険金の受け取りでも、営業所長などに来てもらいきちんと事情を話せば、たとえ法律上他人でも受取人になることは可能なはずです。その際、一緒に長く住んでいることが証明されれば、さほど大きな問題はないし、生命保険会社の管理職だけに打ち明けてもらえば、秘密も守れます。

 何のために必要かわかりません。

 日本の強さは家族、とくに母親の存在の強さから来ているとアメリカの日本研究者は結論付けました。日本を弱体化させるためには「日本のお母さん」を普通のお母さんにすればいいと研究の結果分かったのです。

 その研究者の中には、「菊と刀」で有名なルースベネディクト博士などがいました。女性に権利を叫ばせ、核家族化を推進させて、解放だと言って自由を求めさせたのです。見事に日本の女性はアメリカ化され、言葉遣いもしぐさも男と変わらないような人も出てきました。

 でも、日本の女性は世界中どこでも人気なのです。それは、男勝りの女性ではなく、普通の女性が大うけしています。なぜならそのおしとやかな外見と内面の強さが、内面も外面も強い他国の女性たちとは大きく違うからです。女性らしい仕草は、何とも言えない麗しさを醸し出し、その場にいるだけでその周りを明るくする、そうアマテラスオオミカミ様のような存在なのです。

 日教組は学校教育の中で男女の性差別をなくすために、男の子に対しても「さん」と呼ぶようにしました。「君」と「さん」と男女で呼び換えるのは男女差別に繋がるという理由からです。

 では、どうして神様は男と女、オスとメスを作ったのでしょう。下等な動物には性の区別がないものがあります。

 でも、人間は高等動物だと思うのは私だけでしょうか?

 体も女性は赤ちゃんを産む機能を備え、子宮を護るために腹壁が発達し、外部の衝撃や刺激からお腹の赤ちゃんを護るようにできています。男性の身体の機能は筋肉は発達しますが、内臓を守る機能は女性に比べて乏しく、ちょっと強いストレスで下痢を起こす人がたくさんいます。しかし、男性は人のために命を捨てることも辞さない例が多くみられ、逆に女性は母体保護のために、なんとしても自分は生き延びるという本能が備わっているそうです。

 体つきも全く違います。役割も違います。そして機能も違うのです。そしてそれぞれを役割を果たしながら家庭を持ち、子供を産み育て子々孫々まで繁栄をしようとするのです。これが動物としての人間の本能であり、だから家族といる時に人間は一番幸福感を感じるのです。

 同性愛に生まれた着いたのは不幸なことかもしれません。でも、明るく生きている人もいるのです。周りが気を配り、人間としてのその努力を認めたうえで、普通に付き合っているのです。

 ちょっと自分の周りを見渡してください。きっとそういう人に出会うはずです。
 
 その人たちは決して自分は同性愛者だとは公言していないと思います。ひっそりとでもちゃんと人間としての幸福を追求しながら努力していきていると思います。それをわざわざ暴いてあいつはホモだからと差別する人間は人間としてクズだと言わざるを得ません。
 
 逆に自分たちからわざわざホモカップルだと公言する必要も、それを公的に証明する必要もないでしょう。

 渋谷区の区長はこれで引退するそうです。でも、産経新聞によるとその他にもたくさんの疑惑があります。私は産経の今後の記事に注目しています。そして渋谷区長がどのような人物なのかをきちんと確かめたいと思います。フェミニスト団体が男女共同参画法の次に日本弱体化計画の一環として仕組んでいるものだと思います。

 法的弱者と呼んでいますが、日陰者は日陰者らしく過ごしてもらえば、私たちも惻隠の情を持って穏便に接します。それこそ、多様性の文化といえるのではないでしょうか。

 この新しい流れを認めることが識者の役目という人もいますが、私は思いません。識者は識者らしく、常識をきちんともってことを判断する範を示すことが肝要かと思われます。

 決して神の摂理つまり自然の摂理に逆らう人たちの大ぴらに求める権利を認めてあげることではないと思います。
井上政典ブログより転載)