一昨年春に公開されてから3年目に突入し、提督(=プレーヤー)数300万人を誇るゲーム「艦隊これくしょん(艦これ)」。出る杭は打たれるものなのか、艦これに対する批判の声が一部でくすぶっている。「艦これは歴史修正主義」だというのだ。本当に艦これが歴史修正主義エンタメ作品なのか、実際にゲームをプレイして考えてみた。

 艦これ批判記事で興味深かったのが先日、本と雑誌のニュースサイト・リテラに掲載された「『とうらぶ』をネトウヨと結びつけるのは妄想…でも『艦これ』アニメは明らかに歴史修正主義だ!」という見出しの記事だ。筆者は東池誠之氏。見慣れない名前だが、文章はしっかりしており、素人とは思えない。中堅~ベテランの編集者・記者の筆名ではないかと推察される。記事も単なる炎上狙いではなく、何かウラの意図もありそうだ。まずは記事の内容をみていきたい。

 同じリテラのサイト上で以前に掲載された、日本刀を擬人化したゲーム「刀剣乱舞」の危険性を論じた記事を取り上げて《いったい『とうらぶ』の設定や構成のどこに右傾化の要素があるのか》と指摘し《サヨク界隈ではこの記事に限らず、こういう短絡的な決めつけをしばしば見かける》と一刀両断している。

 返す刀で《これが『艦隊これくしょん』となると、話は別だ。少なくともアニメ版『艦これ』を見る限り、サヨクの偏見や妄想とはまったく関係なく、その底流に歴史修正主義があると考えざるをえない》と断じる。なにゆえ、底流に歴史修正主義があるといえるのか。アニメの流れを追い、ミッドウェー海戦を想起させる「MI作戦」に勝ってアニメ第1期が終わったことをもって《そこからはどうしても、負けた戦争になんとかして勝ち、敗戦の記憶を塗り替えようとする意志が伝わってくる》というわけである。

 筆者の東池氏にとっては、前半でおおむね先の対米戦争の流れに沿っていたアニメ「艦これ」が後半に入って史実からずれていったことが、我慢がならなかったようだ。しかしこれはアニメの制作者側からすれば「そんなことを言われても…」という話であろう。歴史の流れに忠実にアニメを作って、それが面白いだろうか。これは娯楽作品なのである。そもそもMI作戦で史実通りに主力空母が軒並み沈む事態になってしまっては、アニメ第2期につながらなくなってしまう。商業的な観点からすれば、東池氏の指摘は言いがかりに過ぎないと断言できる。
艦これで人気の駆逐艦、初雪・白雪・吹雪(左から)。姉妹艦だが、細部の微妙な違いがきちんと表現されている

 東池氏はまた記事中で《戦争の悲惨さ、残酷さがまったく描かれていないところにも歴史修正主義との共通点がある》とのたまう。では歴史を題材にしたゲーム、例えば「信長の野望」シリーズや「三國志」シリーズで、そうした戦争の悲惨さはきちんと描かれてきたのだろうか。付言すれば、「三國志」では魏以外の国でも中華統一を実現できる可能性があるが、それはまさに歴史修正主義ということになるはずだ。こう考えてみると、東池氏の指摘はナンセンスだということが分かるはずだ。一体、ゲームやアニメに何を求めているのか。筋違いもはなはだしい。

 ことのついでに、4月11日の朝日新聞朝刊「耕論」欄で「右傾化」とのテーマのもと、ゲーム「艦これ」が取り上げられていたことにも触れておきたい。そこでライター・評論家の「さわやか」氏は、艦これが愛国エンタメだとか右傾化の表れとは思わないとしながらも《イデオロギー的なものが抜け落ちているので、かえって不気味に見える》として《その真空状態にかえって拝外主義的な思想が入り込む危険性があります》などと指摘。挙げ句の果てに《戦争を扱うゲームやアニメのファンも「現実の戦争を描いたものじゃない」と開き直るべきではない。戦争賛美と見なされかねない作品だということを受け入れ、しかも自分たちはネトウヨとは違うとはっきり言えなくてはいけない》とゲームのプレイヤーやアニメの鑑賞者に求めている。一体これは何なのか。同様のことが「三國志」や「信長の野望」のプレイヤーにも要求されるのだろうか。また「自分たちはネトウヨとは違う」と誰にどうやって宣言しろというのか。ずいぶんと無茶な強要のように感じるのだが、読者の皆さんはどう読まれただろうか…。

 さて話を戻して、東池氏の記事の末尾は《擬人化美少女に萌えるのは大いに結構だが、萌えているうちに「日本が敗戦したのは何かの間違いだった」なんていう自己慰撫的思想にはまらないようせいぜい気をつけていただきたいものである》との捨て台詞で締めくくられている。艦これのアニメを見て、あるいはゲームをプレイして、そうした思想にはまる人が本当に出てくるとは想像しがたい。300万の提督もずいぶんとバカにされたものだ。東池氏の記事こそ「サヨクの偏見や妄想」の類だと断言していい。

 ところで著述家の古谷経衡氏が『「正義」の嘘』(産経新聞出版)の中で、映画「永遠の0」が「どちらかと言えば右寄りの話ではないか」との問いに対し「見ていない人がそういうふうに思って、そう言っているのではないですか」と答え、映画の具体的な内容に即して「永遠の0」が右傾化作品ではないことを論証している。同様に、アニメは実際に見てみる必要があるし(東池氏はアニメはきちんと見てはいるようだ)、ゲームなら体験してみる必要があるだろう。というわけで、ゲーム「艦これ」は右傾化作品ないし歴史修正主義作品なのかどうか、実際にプレイして確かめてみることにした。



 さて人気のゲーム「艦これ」はすぐには参戦できず、現在は週に3回ほど、限られた時間に毎回数千人ずつしか新規参入ができない。4月下旬の金曜日夜になんとか鎮守府への着任を果たし、記者の艦これプレイが始まった。ゲームの最初に5択で自分の駆逐艦を選ぶが、私は電(いなづま)を選択。そこから出撃と艦船の建造を繰り返して、自分の艦隊を育てていった。
東郷平八郎・連合艦隊司令長官の像(左)と記念艦三笠。マストにはZ旗がひるがえる
=神奈川県横須賀市

 先の大戦を振り返ってみても、制空権を確保することは最優先課題であり、航空母艦を建造すべく努めたところ、ゲーム開始4日目で正規空母「飛龍」を獲得。その破壊力たるや目を見張るものがあり、3つの海域を立て続けにクリアすることができた。

 軍艦を擬人化した「艦娘(かんむす)」の名前は、そのまま先の大戦で活躍した日本軍の艦船の名前だ。しかし軍艦の名前を登場人物に流用した作品は以前にもあった。綾波、葛城、伊吹、青葉、日向、冬月…。そう、20年前にテレビ放映されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン(エヴァ)」である。そうした先例もあり、軍艦の名前を登場人名に流用しているからといって、ただちに右傾エンタメとはいえないだろう。

 ただ考えてみるとエヴァは第3新東京市(箱根)を目指してくる「使徒」をひたすら「迎撃」する、いわば「専守防衛」アニメだった。こちらから攻めていくわけではないので必然的に「本土決戦」になり、戦闘の際に街がひとつ消えたりする被害も出ていた。専守防衛というきれいごとは、実際は国民に甚大な被害を強いるものなのだと、アニメを通して暗示していたのかもしれない。


 一方で「艦これ」はひたすら、敵を求めてこちらから出撃していくゲームであり、エヴァと比べると好戦的な作品だ、という見方は成立するかもしれない。では艦これは侵略戦争作品なのかといえば、そうとは言い難い。前提として、敵方の「深海棲艦」が周囲の海を支配しており、艦娘たちは「迫りくる脅威から、海の平和を護るために」(ゲーム内での説明)戦っているとされている。形の上ではこちらから攻めていくからといって、ただちに侵略戦争とは言えないのだ。

 さて普段の仕事もあり昼間にゲームをするわけにもいかないので、ひたすら夜戦主義で、退社後に連日連夜、「月月火水木金金」状態で激闘を繰り広げる。ただし戦いが連続すると艦娘にも疲労が蓄積して実力を発揮できないので、ひと戦闘終えていったん銭湯へ行って、自宅に戻ってまた戦闘…という形で適度に休憩を入れながらプレイする。

 ただこのゲーム、戦闘がメーンなわけではない。あくまでも「艦隊育成型シミュレーションゲーム」であって、戦闘中は提督としては腕組みをして見守るだけだったりする。いかに強い艦隊を作って戦場に送り出すか、そのマネジメント能力が問われるゲームだといえるだろう。

 そして戦闘にばかり注力していると、気がつくと資源が不足して損傷した艦娘の修理すらできない、という事態が発生する。各種資源は時間の経過とともに蓄積されるので、こういうときはゲームを一旦中断して待つのが一番。「果報は寝て待て」「待てば海路の日和あり」である。資源を貯めるためにも、週に2日くらいはプレイをしない「休艦日」を挟んだほうがいいかもしれない。それでも資源が足りないとなれば、第2、第3艦隊を「遠征」という名の「おつかい」に出して資源確保に努めねばならない。ゲームを進めていくほどに、資源の確保が戦争を継続する上でいかに重要かということを思い知らされることになる。近代戦争は総力戦なのだ。そして獲得した資源をいかに配分し有効に使うかが、提督の腕の見せどころになってくる。

 そうこうしながら、ゲーム開始から2週間で序盤の難関とされる「沖ノ島海域」を突破(このときの旗艦は駆逐艦・電)。さらに2週間後には駆逐艦だけで出撃しなければならない「キス島撤退戦」もクリアした(このときの艦隊は特Ⅲ型駆逐艦4姉妹の暁、響、雷(いかづち)、電に加え、「呉の雪風、佐世保の時雨」といわれた幸運艦2隻)。ところでキス島撤退戦は、先の大戦での「キスカ島撤退戦」を下敷きにしているのは明らかだろう。実際にどんな作戦だったのかは将口泰浩著『キスカ島 奇跡の撤退』(新潮文庫)あたりを読んでいただくとして、ゲームでは駆逐艦のみの艦隊で敵の戦艦や重巡洋艦と戦わねばならない。それでもどうにか勝ててしまうわけで、わが駆逐艦「電」はこれまでに何度も、敵の戦艦や空母を一撃で沈める活躍をみせてきた。このあたりもまた、歴史修正主義だと言われてしまうゆえんだろうか。

 この1カ月でかれこれ数百隻の敵艦を沈めてきたが、自軍で沈んだのは今のところ駆逐艦1隻のみだったりする。これは1度の戦闘で自艦が沈むことはなく(最悪でも大破止まり)、大破状態で進撃しない限りは沈没しないためだ。敵艦は一撃で沈むのに、この甘さは何だろうとも思うが、提督たちは不注意さえなければ自艦が沈むことはなく、安心してプレイできるようになっている。結果、たいていの提督は数百~数千隻の敵艦を轟沈させて自艦の沈没はほとんどないという、日本海海戦を超えるような大勝利を収めているはずである。これもまたごく一部の勢力からは「歴史修正主義だ」と言われそうな気が、しないでもない。

 ところでこのゲーム、公開から2年余りが経過しているが、どう終わるのかが見えない。期間限定海域などもあって今のところ、いつまでもプレイが続けられるようなのだ。もっとも先の大戦は対米戦に限っても3年8カ月続いており、まだまだ先は長いと思うべきか。「終わりの見えない戦争に突入してはいけない」ということも、このゲームから学べる教訓かもしれない。そう考えるとこの作品、実は反戦ゲームなのかもしれない…と思えてくるのである。

 かれこれ1カ月、艦これをプレイしながら考えてきたが私の感想としては「右傾化作品というには大甘」だ。このゲームにはまって、例えば「憲法9条改正は必要だ」と考えが変わるような提督は、まず現れないだろう。「艦これは歴史修正主義だ」などという雑音に惑わされることなく、提督はそれぞれ粛々とゲームを楽しめばいい。心配は不要だ。

(産経新聞文化部 溝上健良)