百地章(日本大学教授)

 2年後に好機を迎える憲法改正実現に向けて真っ先に挙げられるテーマの一つが、緊急事態条項である。首都直下型大地震の危機が叫ばれる中、当然といえよう。

国家存立と立憲主義かかる


 「憲法は平常時においてだけでなく、緊急時および危機的状況にあっても真価を発揮しなければならない。憲法が危機を克服するための配慮をしていないときは、責任ある国家機関は、決定的瞬間において憲法を無視する挙に出るほかにすべはないのである」。これは良く知られたドイツの代表的憲法学者K・ヘッセの言葉である。それ故、超法規という名の無法状態に陥ることを避け緊急事態においても「立憲主義」を維持するため、この条項は不可欠である。

 緊急権は戦争、内乱、大規模災害などの国家的な危機に際し、危機を克服し国家の存立と憲法秩序を維持するために行使される例外的な権限である。もちろん、ここでいう「国家」とは単なる政府や権力機構のことではなく、国民共同体のことである。時の権力のためではなく、「国民共同体としての国家」や憲法秩序が危殆(きたい)に瀕(ひん)しているときに、国民を守るために発動されるのが緊急権である。

 ところが、わが国では「国民共同体としての国家」に対する認識が乏しく、国家を権力としか考えない憲法学者が多い。そのため、緊急権乱用の危険のみが強調されてしまうわけだが、国家の存立なくしてどうして国民の生命や人権が保障されるであろうか。

 諸外国では憲法に緊急権を明記しているのが普通である。

法律だけでは対応できない


 この点、大災害については、わが国には災害対策基本法、大規模地震対策特別措置法、原子力災害対策特別措置法、さらに首都直下地震対策特別措置法や南海トラフ地震対策特別措置法といった法律が存在する。しかし、法律だけでは対応できないことは、先の東日本大震災で経験した通りである。

 災害対策基本法では「非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合」には、「災害緊急事態」を布告できる旨、定めている(105条)。そして、この「災害緊急事態」が布告されれば、政府は「緊急の政令」を制定し、生活必需物資の統制、物品や役務の価格統制、債務の支払い延期などの緊急措置が実施できることになっている(109条1項)。

 にもかかわらず、菅直人政権は「災害緊急事態の布告」を行わず「緊急政令」も制定しなかった。「緊急政令」は国会が「閉会中」などの場合に限られており、当時は国会が開会中であったことが理由とされたが、「生活必需物資を統制する必要はなかった」という言い訳は通じまい。

 実際には震災直後に、現地ではガソリンが不足したため、被災者や生活必需物資が輸送できなかったりして、助かる命も助からなかった。したがって「物資の統制」は必要であった。それなのに「物資の統制」を行わなかった理由について、国会で答弁に立った内閣府の参事官はこう答えている。「国民の権利義務を大きく規制する非常に強い措置であり、適切な判断が必要であった」と。

 つまり、憲法で保障された国民の権利や自由を安易に制限するわけにはいかない、ということであろう。事実、被災地ではガレキの処分をめぐって、財産権の侵害に当たり所有権者の了解が必要だなどという議論もあったという。

 今年2月、山梨県などを襲った大雪の中で、路上に放置された車を自由に撤去することができなかったのも、「財産権の不可侵」(憲法29条1項)との兼ね合いが問題となったからだ。もちろん、財産権といえども「公共の福祉」によって制限することは可能だが(同条2項)、現実にはこの「財産権の不可侵」がネックとなり、土地収用法で定められた強制的な公共事業用地の取得でさえ、実際には「土地所有者等がどうしても用地買収に応じてくれないという極限の場合」しか用いられないという(小高剛『くらしの相談室 用地買収と補償』)。

 こうした大災害時において速やかに国家的な危機を克服し国民生活を守るためにも、憲法に緊急権を定めておく必要がある。

「命令」制度の採用を急げ


 もう一つは、国会が機能しない時のためである。例えば、首都直下型大地震によって国会が集会できない場合には、新たに法律を制定することもできない。そこで、このような場合には、内閣が法律に代わる「命令」を発することを認め、後で国会の承認を求めようというのが、「緊急命令」制度である。

 これはイタリアやスペインの憲法にも規定され、自民党の憲法改正案や産経新聞の「国民の憲法」要綱でも採用されている。

 先の衆院憲法審査会では、自民、民主、日本維新の会、みんな、生活の各党は緊急事態条項の新設に前向きであった。国会により一日も早く憲法改正の発議が行われることを期待したい。

ももち・あきら 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。愛媛大学教授を経て現在、日本大学法学部教授。国士舘大学大学院客員教授。専門は憲法学。法学博士。比較憲法学会理事長。産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『憲法の常識 常識の憲法』『憲法と日本の再生』『外国人の参政権問題Q&A』など。