櫻井よしこ(ジャーナリスト)


 アジアインフラ投資銀行(AIIB)は、中国を警戒する日米が参加を見送ったのとは対照的に、英国が参加に踏み切ったのをきっかけに、ヨーロッパの先進国が雪崩を打ったように合流しました。創設メンバーは結局、57カ国に上りました。これを中国の外交的勝利或いは、日米の敗北だという報道や論評がみられます。確かにその一面もあるでしょう。しかし、本当の勝負はこれからです。目的は国際金融制度に公正な審査と透明性、健全なバランスを担保することです。こうした目的を達成するためにも、なぜ現在のような事態が生じたのかと振り返り、複雑に絡み合った要因を一つひとつ解きほぐして、考えることが大事です。

 AIIBで中国の存在感が高められたのは明らかです。もし日本とアメリカが今後、AIIBをめぐる問題の対処を誤れば、そのときは本当に中国主導の国際社会が築き上げられる可能性が高まります。それが健全な国際社会かといえば、決してそうではないと思われます。だからこそ私たちは、いま一時、立ちどまり、この問題について熟慮しなければならないのです。

戦術的失敗と戦略的危険

 参加国が57カ国に上ったことについて、日米両国がまずおさえておくべきことは、こちら側の無作為が中国を踏み切らせたということです。アジアの発展途上の国々に高いインフラ整備資金の需要があり、その額は2020年までに8兆ドルに上るとみられていながら、アメリカ主導の世界銀行(世銀)も日本主導のアジア開発銀行(ADB)も十分な資金提供をすることができないという問題の切迫さを、日米が見誤ったことは否定できません。

 アジアの発展途上諸国の不満が蓄積されていたのに対し、影響力の拡大を目指す中国は豊富な資金力でそれに応えるべく、世銀、ADBなどで、より重要な地位を占めるよう働きかけを続けていました。しかし、日米、とりわけアメリカ議会はそれを許しませんでした。2010年にはIMFで中国の出資比率を、米国の17・41%、日本の6・46%に次ぐ6・39%まで引き上げる決定も行われましたが、米国議会に拒否され、中国の出資比率は4・0%に据え置かれたのです。

 中国の野望を警戒するあまり、国際金融における中国の存在を、その経済的実力に見合う水準にまで引き上げず、アジアにおけるインフラ整備の資金不足に対する改善を怠ってしまったことは、日米の失敗だと認めざるを得ないと思っています。中国が瞬く間にGDPで日本を抜いて世界第2位になったことについて、警戒すべきであったことは間違いありませんし、日本人の国民感情として決して愉快なことでもなかったのですが、それが現実の国際金融の中でどういう意味を持つのか、いまから考えれば、冷静な分析と必要な対応がなかったといえます。

 しかし、そのような戦術的な失敗を認めた上でも、中国が設立を主導するAIIBがどのような国際金融機関になろうとしているのかを考えれば、大きくかつ深刻な問題点を、見いださざるを得ません。AIIBによって中国が引き起こすであろう体質的劣化が懸念されます。
国際交流会議で講演する安倍晋三首相
=5月21日、東京都千代田区

 AIIBの構想は極めて不明確で、将来の見通しもあまりに不透明です。普通、国際金融機関を創設する際には、まず、設立の目的や具体的な構想を掲げます。次に、加盟が予想される国々と事前に協議を重ね、出資規模や比率を定め、運用についての大筋の合意がなされるものです。本部をどこに置くのか、総裁はどの国から出すのか、順繰りに出すのであれば、どのような順番が考えられるか、理事会の構成をどうするか、理事会の権限はどのように規定するか、他の金融機関との協力や協調はどのように行うことが期待されるかなどを大体決めたうえで、正式の加盟国を決めていくものです。AIIBにはその常識的な設立過程が全く欠落しています。

 2013年10月、中国の習近平国家主席が、インドネシアで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議で初めてAIIBの構想を提唱し、約一年半あまりのうちに設立の動きが現実のものになってしまったのです。何も具体的な内容は決められないまま、ただ、AIIBを創設するという大目的だけで走り出したといえます。

 世界第2位のGDPを誇る中国が、GDPに比例する形で出資を担い、1位のアメリカ、3位の日本が参加を見送るのですから、当然、中国の資金力が圧倒的な力を持ちます。そのうえ、理事会は常設されません。トップの総裁は中国人が務める見通しで、本部も北京に置かれるとみられています。融資基準も不明確ですから、資金の大半が、中国の意向に沿って使われる可能性は極めて高いといえます。

 それはつまり、中国共産党政権の利益のための融資が行われる危険性が高いということを意味します。そこで中国共産党の下で、おカネがどのように使われてきたか。習近平主席の目下の最大の政治課題のひとつは腐敗撲滅です。中国共産党に連なる人々の不正蓄財は凄まじく、温家宝元首相一族の27億ドル(3240億円)をはじめ、1兆円、2兆円規模の不正蓄財も摘発されています。国内できちんと資産や予算を管理できない中国政府と中国人が、どのようにして他国の出資金をきちんと管理できるのか、根本的疑問を抱くのは自然のことです。

 一言でいえば、共産党一党独裁体制の中国の国柄に疑問を持たざるを得ないということです。AIIBを中国はまず何よりも自国の経済強化のために活用し、それによって共産党の求心力を維持しようとするでしょう。過剰在庫の問題を見てみましょう。たとえば鉄鋼です。

 鉄鋼の過剰生産で在庫が積み上がり、多くの鉄鋼企業の存続が危ぶまれています。AIIBの融資先となる各国のインフラ整備に、その鉄鋼が大量に輸出され、使われることになれば、AIIBの資金は中国の過剰在庫を減らし、関連産業に莫大な利益をもたらします。融資先の国々の利益もありましょうが、何よりもまず、中国の利益になる構図が想起されます。

 中国は、南シナ海からアフリカまで、西太平洋からインド洋全体を包み込む海のシルクロードに、陸のシルクロードを加えてシルクロード経済圏を形成しようと挑戦しています。これは、これまでの約20年をかけて築いてきた、インドを取り巻く「真珠の首飾り」戦略、各地に中国軍の拠点となり得る港や空港など軍事インフラを確保し、インド包囲網を構築する計画に重なります。中国はそのようなことは噯(おくび)にも出しませんが、AIIBは、その実現を図る重要な手段だと、中国が考えている可能性は高いと私は思います。

 もうひとつの疑問はかげりを見せる中国経済の実質的支援にAIIBが利用されるのではないかという点です。イギリスを始めとするヨーロッパ先進国は競ってAIIBに参加しましたが、その背景には中国の保有する約4兆ドル(480兆円)もの外貨やこれから発注されるであろうインフラ整備事業の恩恵にありつきたいという思いがあります。加えて、人民元の国際通貨化を目指す中国と提携して自国の金融センターに人民元市場を取り込みたいなどの思惑もあります。

 しかし、異常なまでの社会格差や環境汚染などさまざまな社会問題を抱える中国が果たして、今後、実際にAIIBを支えるだけの資金を提供し続けることが出来るのか不透明だということも忘れてはなりません。高い成長率を続けてきた中国経済も急速に失速しています。習近平国家主席は「新常態」という言葉を使っていますが、その実態は低成長宣言だという見方があります。AIIBの最大の資金提供国、中国は資本が流入するよりも流出する国になりつつあります。その点から、中国主導のAIIBに各国の資金が入るのは、中国にとって非常に好ましいことでしょう。中国は日本にも相当強く、参加するよう呼びかけ、働きかけてきました。中国だけの力では国際金融機関の成功は覚束ないからです。日本が入ることによってAIIBの与信には信頼が寄せられるでしょうし、資金面でも少なからぬ貢献が期待されるからだと思います。