室谷克実(評論家)

 一国の元首の発言は、その国を観察するうえで必須の材料だ。式辞などの公式演説は、側近の官僚群によって作成されたテキストに基づくだろう。国内外の要人と交わす即興的な会話すら、実は官僚群による事前レクチャーが色濃く反映されていよう。逆に見れば、一国の元首の言葉とは、その国の実権的ブレインの視角と意向、知識レベル、さらには配慮すべき国内外の事情などを総合的な背景として発せられる。

 だから韓国を観察する場合には、朴槿惠大統領の発言をしっかりと受け止め、分析する作業が重要になる。以下は、そのための一つの試みだ。

「門番三人組」がブロック


 韓国の現行憲法下の大統領とは、日本の天皇のような象徴元首ではなく、アメリカ型の実権大統領だ。しかし、朴槿惠大統領は就任して2年2カ月余にもなるのに、記者会見は2回しかしていない。それも再質問を認めない形式で、痛いところを突く質問には木で鼻を括ったような、受け流し回答だった。国会で演説したことは一度しかない。それも言いっぱなしであり、国会答弁もしたことがない。

 朴槿惠大統領は、日本の首相官邸とは比べ物にならないほど広い韓国大統領府(青瓦台)のなかに、いくつかの大統領専用スペースを確保しているらしい。それらの専用スペース域から、政権のナンバー2である大統領府秘書室長の執務室まで500メートルあると言われる。

 専用スペース域は、大統領になる前からの秘書が「秘書官」に昇格して“門番役”を務めている(韓国のマスコミをして「門番三人組」と言う。最近、うち一人は広報部門の秘書官に移動した)。

 韓国のマスコミは「門番三人組」のブロックにより、本来なら大統領の手足である首席秘書官はもとより、閣僚も「対面報告」ができない状況を批判してきた。しかしそのブロックは、そもそも大統領の意向に基づくのだろう。つまり、「引きこもり型元首」なのだ。

 それは、父親が側近に殺害されたことが影響しているのかもしれない。「引きこもり型元首」は首席秘書官や閣僚との面談すら嫌い、必要なことは文書報告にするよう命じている。文書報告のなかによほど気になる点があれば電話をする。与党執行部とも、時たま昼食会を開くぐらいだ。

 朴槿惠大統領は妹弟と絶縁状態にある。家族はいない。昔から使っている家政婦が夕方6時に帰ると、愛玩する珍島犬だけが友となる。大統領自身、「大統領府にいる本当の実力者は珍島犬だ」(与党幹部との昼食会、14年12月8日)と述べている。

 これは出席者を笑わす発言だったとされているが、裏側には「淋しい女性大統領」の実像が隠れている。世界の元首のなかでも、この女性は極めて異様な環境のなかに好んで身を置いている。それはユーモアある対話に欠け、精選された極少量の情報しかインプットされない環境だ。 

 もしかしたら、妄想を育てるのには最適の環境であるのかもしれないが……。
会談を前に握手する、国連の潘基文事務総長(左)と韓国の朴槿恵大統領
=5月20日、ソウルの青瓦台(共同)

 日本で「保守派」とされる人々は、頻繁に「◇◇さんは○○氏の息子だから」と、会ったこともない◇◇氏に全幅の信頼を寄せてはよく裏切られる。それなのに懲りずに同じ手法の見立てを繰り返す。

 朴槿惠氏についても、日本の保守系親韓派は「朴正煕の娘だから親日派のはずだ」と言い、「きっと日本語も話せるのだろう」と妄想を膨らませた。

 が、大統領就任から1週間ほどで、その妄想は一瞬にして砕かれた。 「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」(三・一節式辞、13年3月1日)という、今後の日韓関係史に100年ぐらいは残りそうな台詞を述べたのだ。

 大統領就任後、初の大式典(三・一節=独立運動記念日)だから、その式辞の対日部分には外交省、教育省などの徹底的なチェックが入ったはずだ。しかし、「こんなことを述べたら日本人は……」とチェックできるだけの日本通はいなかった。

 「高麗兵が先陣を務めた元寇からまだ千年経っていませんから……」と史実を指摘できるスタッフもいなかった。

対日ファンタジー史観


 つまり「我々は常に一方的被害者だった」とする対日ファンタジー史観が、大統領周辺を完全に支配しているのだ。

 無理もない。反日ファンタジー史の教育を始めてから70年の重みがある。日本統治時代を肌で知る人々はほとんど鬼籍に入っているか、もはや社会的発言力がない。反日ファンタジー史の教育下で優等生として育った人々が、韓国のあらゆる部門の指導層を形成しているのだから。朴槿惠氏も、そうしたなかの一人なのだ。

 韓国人は事あるごとに「歴史が、歴史が」と叫ぶが、韓国の学校教育に占める教科としての歴史はとてもお粗末だ。とりわけ世界史は教師の絶対数が足りない。そのうえ、「大学入試のため」至上主義が支配する環境のなかで、国史も世界史も大学入試の必須科目になっていない。

 朴槿惠氏は、西江大学の理工学部卒業だ。理工系進学を目指した時点で政治家になるつもりはなく、歴史学などには興味もなかったのだろう。しかし彼女は大統領就任後、理工学部の卒業者らしいことは語らないが、「植民地時代」の歴史、わけても慰安婦についてよく語る。

 ヘーゲル米国防長官との会談(13年9月30日)では思い切り言いたいことを言った。

 「歴史問題と領土問題についてたびたび時代・歴史退行的な発言をする日本指導部のために信頼が形成されずにいる」
 「日本は(歴史問題などを)無視して何の誠意も見せておらず、傷口に塩を塗るようなことをしながら『対話すればよいのではないか』と言っている残念な状況だ」
 「傷を受けた国民がいるため国民とともに解決する問題であって、首脳2人が座っても解決できない状況だ」
 「国民の傷はそのままなのに、前にもそうだったように日本の指導部がまた傷つくような話を会談後に投げかけることになれば、一体どうしてその会談をやったのかと国民の心が痛むだろう」
 「このような悪循環になるのが真の問題だ」
 「慰安婦女性の問題はいまも続いている歴史だ。その方たちは花のように美しい青春を全て失い、いままでずっと深い傷を抱えて生きてきたのに、日本は謝罪どころか侮辱し続けている。その女性だけでなく国民もともに怒っており、これではいけないという状況だ」
 「21世紀にも紛争地域で女性に対する性的蹂躪が強行されていることに怒りを禁じえない」

 延々と続く「歴史的対日批判」は、ヘーゲル長官を辟易させたらしい。その流れが、シャーマン米国務次官の「安っぽい喝采を浴びるのは容易だろうが……」(15年2月28日)という発言に繋がったのだと思う。