田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員)

人民元戦略の仕上げ


 朝日、日経、NHKなどメディア界では、加盟国が50カ国を超えたという中国主導によるAIIB(アジアインフラ投資銀行)について、参加を見送っている日本と米国が国際的に孤立した、という論調だらけだ。産業界や与野党議員の重鎮クラスも「バスに乗り遅れるじゃないか」と言い出しているが、いくら乗り遅れようとも、中国共産党が運転するバスにだけは乗ってはいけない。

 AIIBの正体とは、中国共産党指令機関である。習近平党総書記・国家主席がめざす「人民元帝国」建設の第一歩であり、軍事プラス通貨・金融で覇権国の条件を満たした中国が、日本を圧倒するコースが筆者には見える。

 米国との結束が欠かせないが、油断は禁物だ。人民元帝国の台頭によって日本が受ける脅威は経済・ビジネスから外交・安全保障まですべての面にわたるのだが、米国にとってみれば欧州と同様、経済の実利面ではプラスになりうるし、外交・安全保障では「いますぐそこにある危機」とはみなされないからである。人民元帝国が不可避とみれば、米国は日本を置き去りにして中国と組むだろう。

 中国の人民元戦略がなぜ日本にとっての脅威になるのか、ひとことで言えば、それは中国の対アジア外交・軍事戦略を担うからである。

 歴史を振り返れば、人民元を発行する中国人民銀行は人民解放軍と同様、1949年10月1日の中華人民共和国建国に先だって創立された。

 日中戦争当時、日本軍の軍票や汪兆銘の親日政権が発行する銀行券は信用度において、蒋介石の国民党政府の通貨「法幣」にかなわなかった。法幣は英米の支援を受けて精巧につくられていた。日本軍は法幣を持たないと物資の調達に事欠く始末で戦線を拡大せざるをえなくなり、泥沼にはまってしまった。

 ところが、蒋介石政権は日本敗退後、法幣を乱発して悪性インフレを引き起こし、住民に見放された。共産党が支配する解放区には高度の教育を受けた金融界などの高度な人材が腐敗した国民党政府を見限って集まり、規律ある発券銀行制度を整備した。共産党勢力は十年以上をかけて人民弊(人民元)を全土に浸透させ、国共内戦に勝利したのだが、言わば通貨戦争での勝利が大きな要因になった。

 通貨、人民元は、建国後も中国国内でしか通用しないローカル通貨に長く甘んじてきた。その国際通貨化を党が最初に打ち出したのは1993年、党第14期中央委員会第三回総会まで遡る。このときの「人民元を逐次兌換可能な通貨にする」という決議は、党官僚や人民銀行首脳部に延々と引き継がれてきた。その仕上げを目論むのが習近平総書記である。

まずは戦略物資入手


 2008年9月のリーマン・ショックが起きると、中国は人民元を国際通貨の一角にしようと国際通貨基金(IMF)に働きかけ始めた。IMFはドル、ユーロ、円、英ポンドの四大国際通貨を合成した帳簿上だけの通貨「SDR」(特別引き出し権)を発行している。

 SDRを構成する通貨はいつでもSDRを通じて他の通貨に交換できるので、世界の通貨当局や中央銀行が準備資産として組み込む。すると、世界の企業や金融機関も安心してその通貨で決済するので、SDR構成通貨は世界で通用する。そうなると、SDR構成通貨を発行する国は、お札を刷りさえすれば何でも買えるようになる。

 ドルはその国際通貨中の国際通貨を意味する基軸通貨だが、原油など戦略資源や金融商品がドル建てで取引されているので、各国はドルを尺度にした外国為替取引をせざるをえない。ドイツやフランスは第二の基軸通貨を狙って、欧州共通通貨ユーロを創設した。中東産油国は一時、ユーロ建てで原油を売ろうとしたが、イラクのサダム・フセインがその先鞭を付けたところ、大量破壊兵器疑惑の大義名分で米軍によって放逐された。民家の庭に掘った穴からサダムが引きずり出されたとき、手にしていたのは逃走用資金の100ドルの札束だった。サウジアラビアなど周辺産油国は、ユーロ建て取引を口にしなくなった。

 中国が目指すのは、まずは人民元で戦略物資を入手することだ。ロシアやイランなど中東産油国に対して、人民元による原油代金決済を働き掛けている。人民元が国際通貨として認定されれば、産油国も受け入れやすくなるだろう。

新シルクロード経済圏


 そればかりではない。地政学的に繋がるアジア各国に人民元が浸透すれば、中国外交の影響力は絶大になる。刷った人民元資金で、インフラ整備の名のもとに中国の軍艦が寄港できる港湾の建設や、石油パイプラインも敷設できる。人民解放軍を送り込める鉄道が敷設、延長される。中国製品の輸入が急増しているカンボジア、ラオス、ベトナム、タイ、ミャンマーなどは人民元を必要とするので、中国資本の進出を歓迎せざるをえない。

 その結果、いまのところアジアの中国国境付近に留まっている人民元経済圏がアジア全域に広がるだろう。

 すると、アジアにおける日本の影響力は衰退し、企業や銀行は円に代わって人民元で決済せざるをえなくなる。対中依存を強めた国相手との外交で、日本は劣勢に立たされるようになる。

 中国が人民元をSDR構成通貨にしようとする企みはいま、AIIBと同様、習近平総書記の主唱による「新シルクロード経済圏」構想と同時に進行している。そのエリアは産油国のロシア、中東から、華人が支配する東南アジア、中国依存の度合が強い韓国、台湾と広大なエリアに広がる。

 インド、パキスタンなど南アジア、カザフスタンなど中央アジア、さらに東アフリカや欧州の一部にも人民元が浸透して行くだろう。この経済圏建設の柱は、アジア全域を含むユーラシア大陸から中東・東アフリカを結ぶインフラ整備「一帯一路」のネットワークで、その建設資金をAIIBが受け持つというわけである。

 AIIBの資金調達問題についてはのちほど詳述するが、資金源に人民元を使えるようすれば中国の主導性はますます強化されるので、ともかく人民元を国際通貨の座に押し上げなければならない。そのための北京のロビイングはいま、たけなわだ。

 3月23日、ちょうど世界各国が相次いでAIIB参加を表明している最中に、中国の李克強首相は訪中していたラガルドIMF専務理事と北京で会談した。

 新華社通信によると、首相は国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨に人民元を採用するよう、専務理事に申し入れた。首相はラガルド氏に対し、人民元による資本取引への取り組みを加速し、国内個人の海外投資や外国の機関投資家の中国資本市場への投資を支援する仕組みをさらに整える意向を示した。

 さらに、人民元がSDR構成通貨に採用されることで、金融の安定維持や、中国の資本市場および金融分野の開放促進に向け、中国が国際社会で積極的な役割を担うことを期待していると語ったという。その前日にはやはり、93年の人民元国際化決議遵守を自身の政治的信条とする周小川人民銀行総裁がラガルド氏に会って、人民元のSDR通貨化で熱弁を振るった。