安倍宏行(Japan In-depth 編集長)

 「フジテレビ」「視聴率」と検索すると、ネット上のまとめサイトに「視聴率の下落が止まらないフジテレビ」と題して、如何にフジテレビの番組の視聴率が悪いか、報道からドラマ、バラエティまで関連ニュースがずらっと並んでいる。こうしたまとめサイトはSNSでさらに拡散され、ネガティブな印象がじわじわ拡大する、という意味で非常にやっかいだ。雑誌もこぞって特集を組み、「フジテレビ凋落」などの見出しが躍っている。かつて視聴率3冠王の名をほしいままにした同局だが、一体なぜこのような状況に陥ってしまったのだろうか?

上を慮る風土


 テレビは番組が命。クリエイティブでいい番組を作るためには制作現場に大幅に権限委譲しなければならない。元気がよかった時のフジテレビは現場が強かった。自分たちが面白いと思うものを思う存分制作することができる自由な風土があった。筆者が中途入社でフジテレビに来たのが1992年。いくら職務経験者採用といっても報道はずぶの素人、それなのに入社して3か月目にはもうマイクを握っていた。記事の書き方やリポートの仕方を誰かが教えてくれるでもなく、見よう見まねでがむしゃらに出稿していたが、当時のフジテレビはどんどんやれ!という雰囲気が現場を支配していてめちゃくちゃ活気があった。報道の現場では特ダネをとってきた取材部が番組側にこれをオンエアしろ、と詰め寄ることもざら、時には大声で言い争いになることも日常茶飯事だったが、いいニュース番組を作るんだ、という点では一致していたと思う。

 しかし、高視聴率が定着してくると、冒険しなくなるのが常。何もフジテレビに限ったことではないのかもしれないが、いつしか「面白くなければテレビじゃない」というスローガンが色褪せてきた。一つの大きな原因として、現場への上層部の介入があったと私は見ている。モノ作りの現場に上が介入してくると現場の士気が下がる。現場を支えているのはほとんどが制作会社の社員である。フジテレビの社員はプロデューサーやPD(プログラムディレクター)、ディレクターらごく一部だ。こうしたテレビ局の社員は番組の企画をしっかり練って予算を最適配分し、外部スタッフの士気を高めることが仕事である。社員と外部スタッフが一体となり、思い切り自由に番組を作る環境が必要不可欠なのだ。そこにキャスティングや番組の内容について上層部が口を出し始めたら現場は混乱する。外部スタッフと上層部の間に挟まれた中堅社員は次第に上層部に気を遣うようになり、この企画だと横やりが入るかもしれない、このキャスティングはNGに違いない、とどんどん慮るようになるものだ。これでは面白い番組ができるわけがない。

 テレビ朝日は看板番組の「報道ステーション」のコメンテーターに反安倍政権を標榜する元経産省官僚の古賀茂明氏をコメンテーターに起用、番組降板にあたって物議を醸したのは記憶に新しいが、いいか悪いかは別にして、フジテレビだったら古賀氏を番組に出すなどという決断は絶対に出来ないだろう。そんなことをしたら上に怒られる、と最初から自主規制してしまうからだ。鼻から冒険をしない、リスクを取ろうとしない現場にしてしまったのは上層部の責任だというのは簡単だが、唯々諾々とそれを受け入れてきた中堅社員の責任も重いと思う。