不謹慎な動画を投稿し続け、これまで何度も警察から厳重注意を受けていた15歳の少年が、浅草神社の三社祭でドローンを飛ばすとの発言をインターネット上に投稿したとして、5月21日、威力業務妨害容疑で逮捕されました。彼をここまで暴走させたものは何なのでしょう。やや専門的な考察を含みますが、近年の少年単独で行われた事件に普遍的に指摘できる点も多々あり、その一部を記したいと思います。彼自身が「ニコニコ生放送」で中継した動画やツイッターが大量に残っており、私はかなりの時間を割いてそれらを見ました。

 ノエル少年は、誰の目にも奇異に映る「ファッション」を貫いていました。マスクが常に眼鏡の下、鼻を覆う部分にあります。その「定位置」からずり落ちないように、あるいは喋りやすいようにマスクを半分に折り畳んでいますが、口の部分はよく見えるのでプライバシー保持には役立っていません。自宅からの配信で全裸と思われる(立ち上がった時には下半身にバスタオルを巻いていた)ものがありましたが、画面に映り込んだ背景は「そのまま」で、いかにも無防備です。外見上の彼独特の「こだわり」とは乖離している感を覚えるのですが、それは他者からどのように見られているかという視点が欠落しているために生じています。鋭い視線は関心事に固定され、緩やかな動きを見せておらず、視野の狭い特徴もうかがえます。

 私たちは一般に、程度の差はあれ、他者の眼差しを気にします。そして「変」に思われないよう工夫をしています。逆に気にしすぎることで悩みが深まる人が多くいるのも実際ですが。

 他者の視点で自分を顧みることが苦手な点は、彼の様々な言動によく表れています。ニコニコ生放送では視聴者との間でリアルタイムのやりとりができますが、画面に流れるコメントに過敏に反応し、目に留まった質問には躊躇なく答えてしまうのです。そこに冷静な判断がバイパスしているようには見えません。その結果、プライバシーを自ら曝すことになってしまいました。家族との「けんか」も生中継され、これは家族にとって大迷惑だったでしょう。川崎市で起きた上村遼太君殺害事件の被疑少年の自宅前、上村君の葬儀の生中継をはじめ、他人の迷惑や気持ちへの配慮がうかがえないことは、自己保全ができないという側面と裏腹であると理解することが必要です。

 警察との揉め事、「ニコニコ動画」を運営するドワンゴへの苦情申し立て等の動画から、年齢を考慮して一定水準以上の言語能力を有していると考えられます。しかし自分が15歳の少年であるという認識が足りません。立場を顧みず、自分の言い分の正しさに固執し、相手の諭しの隙を突くような外形的理屈、いわゆる屁理屈で攻撃を畳みかけます。彼の用いる言葉にバリエーションの豊かさが感じられません。警察官に対し、「警察手帳の提示が義務づけられています」、「これは任意ですか? (任意なら)拒否します」、「ドローン禁止と明記してないじゃないですか!」、「痛い、痛い、ぼく今、警察に誘拐されています!」等と、限られた言葉を連呼しています。

 話は一旦飛びますが、ニコニコ動画の配信が生中継であることは、「何が起こるかわからない」という魅力を視聴者に与える効果があります。また、普段から格差社会に対して不信を抱いている人にとっては、権力の象徴に果敢に立ち向かうノエル少年に感情移入し、応援しながら見守るという状況にもなります。自分では実行できない分を彼に託し、生中継を続けてほしいという期待から、「囲い」(資金提供者)と呼ばれる人たちが現れてきます。彼は大口の囲いを「超越者」と呼ぶなどして、その人たちの特権意識を刺激し、また囲い同士で支援額を競わせるようにしたとの報道も見受けますが、そこまで計画的に行ったようには思えません。仮にそうだとすれば、別の大人の入れ知恵があったのかもしれません。いずれにしても、生動画配信のフィールドで一部の大人が彼を「神」のように奉り、ノエル少年の自己万能感は肥大していきました。彼自身、「神の子」、「ノエル」と刻まれたグッズ等も作成し、それを購入する人も現れました。これは、彼は深いコンプレックスを抱えていることを物語ります。反動形成としてネット配信の世界で「神」というヒーローになってしまったのですが、その過程で視聴者との相互作用が不可欠だったということです。