藤江直人(ノンフィクションライター)

サッカーを愛する女の子を増やしたい


 4年に一度のFIFA女子ワールドカップが、カナダを舞台に開幕した。連覇を目指す日本女子代表なでしこジャパンの初戦は日本時間9日。バンクーバーのBCプレイス・スタジアムでスイス女子代表と対峙するイレブンのなかに、MF澤穂希(INAC神戸レオネッサ)は間違いなく名前を連ねる。

 そして、キックオフを告げるホイッスルが鳴り響いた瞬間に、男女を通じて世界初の偉業となる「6大会連続のワールドカップ出場」を達成。日本サッカー史上においても同じく男女を通じて初めてとなる「国際Aマッチ200試合出場」に到達する。

 15歳3カ月で日本代表デビューを果たし、いきなり4ゴールをあげる活躍を演じたのが1993年12月。実に20年以上にわたって第一線でまばゆい輝きを放ち続ける存在は、サッカーという垣根を飛び越えて、スポーツ界全体を見渡しても稀有といっていい。

 今年9月に37歳となる澤は、これまでに幾度となく報じられてきた「代表引退」あるいは「現役引退」を決めるポイントについてこう言及してきた。

 「心と体が一致しなければ、多分そこで終わりなのかなと思います」

 レギュラーシーズンを首位で折り返した今シーズンのなでしこリーグで、澤は全9試合で先発フル出場を続けている。けがと背中合わせという競技の性質と年齢を考慮して、練習前後のマッサージ時間をほかの選手の2倍とするなど、「体」のケアには細心の注意を払ってきた。

 となると、澤を前人未到の領域へと踏み込ませている最大の理由は「心」となる。そして、モチベーションを高いレベルで維持させた一つ目の要因としてあげられるのが、日本女子サッカー界の黎明期を支えた先輩たちから託されたバトンの重さだ。

 いまでこそ待遇は改善されたが、澤がデビューした当時の日本代表は遠征すれば大部屋に雑魚寝は当たり前で、遠征費の半分を自己負担するケースも少なくなかった。所属チームの練習開始時間は決まって夜。選手のほとんどが昼間に仕事を抱えていたからだ。

 それでも、サッカーが大好き、女子サッカーをメジャーにしたいという一心でボールを追い続けた先輩たちが築いた土台の上で、澤は多感な十代を駆け抜けた。そして、副キャプテンに指名された19歳のときにバトンに託された思いと夢の重さに気がついた。

 澤の言葉で、いまでも忘れられないものがある。

「他には何も望みません。だから、今日だけは勝たせてください」

 2004年4月24日。アテネオリンピックの出場権をかけた北朝鮮女子代表戦のキックオフを数時間後に控えた日本代表は、散歩の途中で熊野神社に立ち寄って必勝を祈願した。負ければその瞬間にオリンピックへの道が閉ざされる、まさに生きるか死ぬかの大一番だった。

 悲壮な祈りを捧げた澤の右ひざには、包帯が痛々しく巻かれていた。半月板の損傷。プレーできる状態にはほど遠かったが、患部に痛み止めの注射を打ち、座薬までも服用して国立競技場のピッチに立った。

 選手生命をかけて強行出場しなければいけない理由があった。当時の国内女子リーグはバブル経済崩壊の余波を受けて撤退チームが続出するなど、縮小の一途をたどっていた。ここでシドニー大会に続いてオリンピック出場を逃せば、日本女子サッカーの灯そのものが消えてしまう。

 バトンを握る澤の覚悟はキックオフ直後、ボールをもつ北朝鮮の選手を吹っ飛ばしたワンプレーとともに仲間たちに伝わる。果たして、試合は3対0で日本が快勝。健気に、ひたむきに戦う彼女たちの姿に日本サッカー協会幹部が胸を打たれ、愛称「なでしこジャパン」が公募されるきっかけとなった。

 そのアテネはベスト8、北京オリンピックはベスト4と一歩ずつ、確実に階段を上がり、オリンピックと並ぶワールドカップで悲願の頂点に立った。個人として得点王と大会MVPに輝き、世界最高の選手に贈られるバロンドールも手にした。

ロンドン五輪のメダルセレモニーに手をつないで登場、銀メダルのなでしこジャパン。(左から)宮間あや、川澄奈穂美、沢穂希、大野忍、矢野喬子=2012年8月10日、ウェンブリー競技場(撮影・山田俊介)
 翌2012年のロンドンオリンピックでは、男子を含めて最高位となる銀メダルも獲得。一人のアスリートとして望むものはほとんど手に入れた。キャプテンを継いだMF宮間あや(岡山湯郷Belle)へバトンを託しかけている状況だが、自身に課された使命をまだ完遂していないという思いも強いのだろう。

 世界女王として凱旋帰国した4年前に、澤はこんな要望を公言している。

 「サッカーを愛する女の子をもっと、もっと増やしていきたい。いまの女の子は、中学校に進学するとサッカーができる環境がなかなかない。そういうところにもっと力を入れていただければ嬉しい」

 日本人で初めてバロンドールを受賞し、男子のリオネル・メッシ(バルセロナ)と並んで、晴れ着姿でスポットライトを浴びた直後にはこうも語っている。

 「日本人でも、と言ったらあれですけど、不可能はないということを証明できたことで、大勢の子どもたちに夢をもっていただければと思います」

 残念ながら、日本の女子サッカー界を取り巻く状況と歪な形のピラミッドは、大きく改善されずにいま現在に至っている。約1年ぶりの復帰戦となった、先月24日のニュージーランド女子代表との壮行試合。先発フル出場を果たし、決勝点となる代表通算83得点目をマークした試合後に澤はこう語っている。

 「みんなに声をかけるのもそうですけど、ボールを奪うときに体を張ってスライディングするとか、得点をとるとか、私としてはそうやって背中で見せることが役割だと思っています」

 背中を介してメッセージを発信する相手は、ワールドカップを戦う仲間だけではない。次のなでしこを担う世代。未来を夢見るサッカー少女たち。サッカーに興味を抱き始める子どもたち。そして、日本サッカー界全体へ。伝道師であることを自覚しているからこそ、澤のモチベーションは萎えることはない。