「左翼試験」に通っていない私


 20代前半の頃、2年くらい右翼団体に入っていて、やめた。

 そうして30代前半で、格差や貧困問題に取り組み、取材するようになったら今度は「左傾化した」と言われるようになった。

 よって、とりあえず自分のことを「左翼」と自称してみると、元赤軍派のオッサンに、「マルクスも読んでないくせに何が左翼だ!」と怒られた。

 右翼の時は「右翼です」と言っても誰にも否定されなかったのに、左翼に「なる」にはどうやらなんらかのハードルをクリアしなければならないようである。で、私はその「左翼試験」に通っていないらしいので、以来、人から「左翼」と言われても「いや、元赤軍派のバリバリ左翼な人に左翼認定されなかったので左翼じゃないっす」と答えるようにしている。

 右翼と左翼、あなたはその違いを明確に答えられるだろうか?

 以前、『右翼と左翼はどう違う?』(河出文庫)という本を、いわゆる「右翼」「左翼」と言われる人たちに取材して出版した。その本を読んだ読者からの手紙の中でもっとも驚いた感想は、中学生の女の子からのものだった。

 「私はこの本で、右翼と左翼をずっと勘違いしていたことがわかりました。これまで私は、右翼のことを『元気がある状態』、左翼のことを『元気がない状態』だと思っていました」

 どうやら彼女はネットで「ヘサヨ」とか「このウヨが!」などの言葉に触れるうち、文脈的にそう理解していたようなのである。

「頑張れば報われる」に騙された


 さて、ではなぜ私が右翼団体に入ったり、左翼と言われるようになったりしているかについてだが、自分なりに整理してみると、もっとも根本にあるのは「生きづらい世の中(と自分)」という問題である。

 97年、22歳で右翼団体に入った時、私は北海道から単身上京して4年目の高卒フリーターだった。バブルはとっくに崩壊。世の中は、知らないうちに「就職氷河期」ということになっていた。飲食店のバイト先では「時給が高い日本人より時給が安くて働き者の韓国人と取り替えたい」なんて普通に言われた。90年代なかば、おそらく戦後の日本で初めて「若者が外国人労働者化する」事態が起きていた。自分の身に何が起きているのか、よくわからなかった。だけど、国際的な最低賃金競争の最底辺にいる自分のライバルはどう考えても外国人労働者で、彼らと自分を差別化するものは、「日本人であること」しかなかった。

 当時の私は、いつも苛立っていた。貧乏だし、バイトはすぐクビになるし、将来の見通しはまったく立たないし、こんな生活からの脱出方法はわからないし、その上これらすべてが「自己責任」と言われるし。

 それまでの人生で、「頑張れば報われる」という言葉を嫌というほど聞かされてきた。とにかく歯を食いしばって受験戦争に勝ち残り、人を蹴落としまくっていい学校、いい大学、いい会社に入ることが人生最大の目標であり「幸せ」への近道である、と。そうして頑張ってきた自分たちが社会に出る頃、「バブルが崩壊したので、『頑張れば報われる』という言葉は嘘になりました」と梯子が外された。

 騙された。教育に、大人たちに嘘をつかれた。そう思った。右翼団体に入る2年前の95年に起きたふたつの事件も、そんな思いを補強した。95年1月、阪神淡路を襲った大震災。私は戦後日本の繁栄が、一夜にして瓦礫の山となるのを目撃した。テレビで。その2ヶ月後、オウム真理教によって地下鉄にサリンが撒かれた。私は戦後日本を下支えしてきた価値観そのものが崩壊するのを見た。テレビで。物質主義、拝金主義を否定するオウムの登場を受け、大人たちは「戦後日本の教育、戦後日本の価値観が間違っていたのではないか」なんてしたり顔で議論していた。テレビで。

 そうだ。私は間違った教育を受け、間違った価値観の中で生きてきたからこんなにも生きづらいのだ。私の目の前には、まるで焼け野原のような光景が広がっていた。だけど、その焼け野原は、「安定層」には見えないのだ。これまでのすべての価値観が通用しない時代に突入したのだと思った。だって、頑張ったところでたかが「就職」すらできないのだ。早く、早く「正しい」価値観を、「新しい」価値観を探さなくては。焦燥の中、思った。

 そうして行ったのが、右翼、左翼と言われる人たちの集会だった。彼らの思想も左右の違いすらもわからなかったけれど、「右翼や左翼と呼ばれる人々は政治や世の中に怒っているらしい」ということだけは漠然と知っていた。

本気で「愛国」に傾いた偉いオッサンたち


 最初に行った左翼の集会は、専門用語ばかりで何を言ってるんだかさっぱりわからなかった。次に行った右翼の集会は、ものすごくわかりやすかった。「お前らが生きづらいのは、すべてアメリカと戦後民主主義が悪いのだ!」。なんのことだかさっぱりわからなかったけれど、私は生まれて初めて「生きづらいのはお前のせいじゃない」と免責された。それまでやめられなかったリストカットがその日から、ぴったり止まった。私はこれを「右翼療法」と呼んでいる。そうして「教育に嘘をつかれた」という心の隙間に「教科書で教えてくれない靖国史観」がすんなり入り込んできた。

 最初の頃は、楽しかった。大学にも入れず、企業社会からは排除され、地域社会も友達もなく、どこにも居場所がなかった私は、「国家」に鮮やかに包摂された。時給1000円程度の使い捨て労働力でしかなかった私は「憂国の志士」として団体内で熱烈に必要とされた。

 だけど、2年でやめた。きっかけはいろいろある。

 右翼団体に入った翌年の98年、小林よしのりの「戦争論」が出版された。大東亜戦争を肯定的に描き、特攻隊を勇敢に描くその漫画は、若者たちを熱狂させた。周りの友人たちも熱烈にハマっていた。「国家に命がけで必要とされる特攻隊」に憧れる「マトモな必要のされ方をしていないフリーター」の友人たちを見て、なんとなく、醒めていく自分がいた。

 そんな頃、「新しい歴史教科書を作る会」が出てきたり、国旗国歌法が成立したりした。世の中が本気で「右傾化」していくのを肌で感じていた。私はそれを、なぜだか喜べなかった。強烈な違和感だけがあった。自分のような社会の日陰者が、世の中へのアンチテーゼのように「愛国」と叫ぶことに意味があるのだと思っていた。それなのに、なんだか「偉いオッサン」たちが本気で「愛国」に傾く姿に、気持ちは急速に醒めていった。

 ちょうどその頃、右翼内で「憲法」に関するディベートがあり、憲法前文を初めてちゃんと読んだ。それまで団体から言われるがままに「押しつけ憲法反対」とか言いながら、私はちゃんと憲法を読んでいなかったのだ。そうして初めて読んだ憲法前文に、右翼のくせにうっかり感動してしまった。戦争への痛切な悔いや、日本だけじゃなく世界を見据えた理想が描かれたこの憲法を、なんで右翼の人は否定してるんだろ? 素朴に思った。そうして99年、私は右翼団体をやめた。