鈴木邦男(一水会顧問)

片方の翼しか持ってないような偏った存在ではない


 この原稿に向かっている前の晩、猪野健治さんにお会いした。ヤクザや右翼を題材に、日本の戦後史を見事に描いた稀代のジャーナリストであり作家だ。文京区で行われた小さな集会で私が話をしたのだが、なんと客席にいらした。ビックリした。わざわざ春日部市から来たと仰る。嬉しかった。光栄だった。

 よく世間では、私の肩書に新右翼と書かれる。実は、こう命名したのが猪野さんだ。今までの右翼と違って、<言論>で闘う右翼だという意味で、野村秋介さんや私たちのことを「新右翼」と呼んだ。

 新右翼の代表的存在と言われる野村秋介さんだが、でも当の野村さん自身は、「右翼は差別用語だ」と嫌っていた。自分たちは片方の翼しか持ってないような偏った存在ではない。自分たちの主張こそ、王道であり、日本の真ん中なのだという思いだった。

 そのことを表すのが、野村さんが唱えた「YP体制打倒」というスローガンだ。それまでの右翼の看板は「反共」だった。ロシア革命により最初の共産主義国家が生まれ、その後、続々と東欧やアジアで革命が起こっていた。今の若い人たちには想像もつかないだろうが、第2次大戦後の世界は東西対立の時代だった。資本主義・自由主義の西側諸国と、共産主義・社会主義諸国の東側諸国だ。

 だから日本の戦後右翼は、第一の敵が共産主義であり、それゆえの反共だった。でも、僕は何となくしっくりと感じてはいなかった。僕が右翼の学生運動に一生懸命だったころは、左翼や全共闘の連中は「安保体制打倒」がスローガンだった。それに対して反共というのでは、(当時全共闘がよく使ったこと言葉だが)主体性がないように思ったのだ。

3月13日、モスクワでロシア下院のナルイシキン議長と会談する鳩山由紀夫元首相(中央)と「一水会」の木村三浩代表(共同)
 その疑問に答えたのが、野村さんが作った「YP体制打倒」という言葉だった。Yとはヤルタ会談、Pとはポツダム宣言のことだ。ポツダム宣言といえば、先日、安倍首相が共産党の志位委員長の質問に答えて「つまびらかに読んでいない」と答弁したのが記憶に新しい。おいおい、待ってくれよ。安倍首相は、戦後レジュームからの脱却を唱えていたはずだ。その戦後レジュームを決定づけたのがポツダム宣言なのに、それをよく知らないとは、しかもそれを公言するとは、あいた口がふさがらないとはこのことだ。

 閑話休題。本稿への編集者からの注文の一つに、「右翼・左翼という分類が現代も亡くならない理由、悪影響」について書け、というのがあった。

 なくならない理由、それはレッテル貼りをすれば、安心できるからだろう。それこそ「つまびらかに」知らなくても、レッテルが貼ってあれば、その人の言うことや本を読まなくても、わかった気になれる。例えば、戦後の右翼は親米だが、新右翼は反米だ。だから、一水会の木村三浩代表がウクライナに行って、現地の生の報告をしても、「なんせあの人は反米だからな」と決めつけて、真面目に話を聞こうとしない。鳩山由紀夫元首相の発言も「あの人は宇宙人だから」と耳を傾けない。自分がちゃんと勉強しなくても、レッテルを貼ってしまえば、安心できる。

 ちゃんと勉強してくれればわかってもらえると思うが、一水会や新右翼は反米なのではない。対米自立なのだ。だから、ほとんどの右翼が、体制擁護の立場から原発推進を支持する中で、我々は、反原発を掲げている。

新右翼の更なる進化形として


 今、「一水会や新右翼は」とうっかり書いてしまったが、実は、一水会は、新右翼という自己規定をやめた。えっ、ウソだろ! と思う方は、ホームページを覗いてほしい。「一水会独自活動宣言」という文章が、平成27年5月22日付で発表されている。

 宣言のきっかけは、木村代表が鳩山氏とともにクリミヤを訪問した一連の言動が、戦後右翼のイメージを傷つけると右翼陣営から批判されたことにあるが、それはある意味では、私たちを新しい道へいざなう導きの糸ともなった。

 一つは現実へのコミットの仕方である。私は拙い文章を綴ったり、インタビューを受けたり、大勢の前で話をすると言った、諸々の言論活動をもって旨とし、木村代表は、一水会を軸に、政治家や運動家との連携を模索して、グローバルな運動展開を推進している。

 このグローバルということは、新しい道へのキーワードの一つだと思っている。その表れが、2010年に東京で開いた「世界平和をもたらす愛国者の集い」だ。フランスから国民戦線のジャン=マリー・ル・ペン党首(当時)ら欧州の愛国政党の代表が来てくれた。イラク戦争の前に、数次にわたりバクダッドなどを訪問したこともあるし、今回のクリミヤだけでなく、木村代表の精力的な東欧やロシア歴訪なども、新しい道を象徴する活動だと自負している。

 思えば、中国革命の父・孫文を支援した頭山満、インドやフィリピンの独立運動を援助した内田良平の両氏ら、戦前の日本の右翼は汎アジア主義だ。その目配りは、国際的なものだったと言える。

 いまは右翼の主要な言論人の一人と思われている三島由紀夫だって、愛国心という言葉には嫌悪を示していた。自決(昭和45年)の2年前に朝日新聞に、「愛国心 官製のいやなことば 日本は『大和魂』で十分」という文章を寄稿している。一部を引用してみよう。

 「この言葉には官製のにおいがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい」

 「もし愛国心が国境のところで終るものならば、それぞれの国の愛国心は、人類普遍の感情に基づくものでなく」

 私も全く同感だ。日本を愛するという気持ちは、自明のこととして心の中に持っていればいい。声高に「俺は愛国者」だと言う輩に、本当の愛国者はいない。愛国者ということで、正義は我にありと居丈高になり、意に沿わない人に対しては「非国民」とか「朝鮮人」とかのレッテル貼りをしたがる(私も、「コーブ」を上映した映画館の前で、上映反対には反対とピケを張っていたら、「鈴木邦男は北朝鮮に帰れ!」とマイクでがなり立てられたことがある)。

 自分の家族や故郷、友人・知人を愛して、自然に国を愛する気持ちが生まれるのだ。その気持ちには右も左もない。元赤軍派議長の塩見孝也さんのように、愛国心という言葉を使うのが口惜しいのか「パトリシズム」(愛郷心と訳すのか?)とかたくなに呼ぶ人もいるが、それはそれ。心根の部分は同じだと信じている。

 さて、そんなわけで、これからも右左というレッテル貼りに煩わされることなく、微力ながら、日々、言論活動を続けていきたい。