室谷克実(評論家)

 国を背負っている人間も、国を取り巻く状況が日に日に悪化して、個人的にも追いつめられると、突如として(俗な言葉でいうと『切れて』だろうか)思い詰めていた本音を吐く。韓国外交省「高官」の「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前ではないか」との発言は、朴槿恵(パク・クネ)大統領の「恨み1000年」発言以来の“ヒット作”だ。日本国は、この本音発言を100年は忘れてはなるまい。

 重大人物の重大発言も、記憶そのものの脳内劣化や、自己都合的な短縮化、さらには、ネットメディアの拡大に伴う「情報取り扱い」の粗雑さが重なり、変容していく。

 最近、「田中角栄(元首相)が“刎頚(ふんけい)の友”と呼んだ小佐野賢治(=国際興業グループ創業者)は…」との文章を読んで、そう思った。田中が“刎頚の友”と呼んだのは入内島金一(=角栄が上京し勤め始めたときの会社の先輩)であり、小佐野ではなかった。

 ある新聞には「朴大統領は『歴史を忘れた民族に未来はない』と言い…」との記述があった。「歴史を忘れた民族に…」は、そもそも独立運動家、申采浩(シン・チェホ)の言葉とされ、サッカー場の横断幕に登場して有名になった。朴大統領がそれを述べたとしても、引用発言だ。いや、引用して述べたこともないのではないか。

 外国の重要人物の重要発言は、丁寧に取り扱われるべきだ。それを伝える1次マスコミは、特派員のコメントなどどうでもいいから、カギ括弧の中を丁寧に伝えるべきだと思う。

会談を前に握手する岸田外相(左)と韓国の尹炳世外相=3月21日、ソウルの韓国外務省(共同)
 さて、問題の韓国外交省「高官」の発言だ。日本では共同、時事両通信社が、韓国の通信社である聯合ニュースの報道を引用して伝えたが、唯一のソースである聯合の原文を私が直訳すると、こうなる。

 「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前ではないのか、何回しても関係ない」(と強調した)。

 私の韓国語理解では、後段の「何回しても関係ない」とは、「これまでに何回謝罪したかなんて問題ではない」というニュアンスであり、前段の「100回しても当たり前」を補っている。つまり、永遠に謝り続けろと言っているのだ。

 つい最近までの流れを見れば、以下のようになる。

 ▽韓国「謝罪しろ」
 ▽日本「すでに謝罪した」
 ▽韓国「していない。謝罪しろ」
 ▽日本「国交交渉当時の椎名悦三郎外相も…全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に対しても…金泳三(キム・ヨンサム)大統領に対しても…村山談話でも…」

 実際には、韓国人記者との懇談の席では「コウモリ外交=日和見外交」批判論議に続き、米国首脳部に台頭する「韓国疲労論」をめぐるやりとりがあったのだろう。ここで「何回しても関係ない」「加害者というものは…」が出たのだ。

 「加害者と被害者という歴史的な立場は1000年の歴史が流れても変わらない」(朴大統領)、「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前」(高官)-見事な対句をなすではないか。が、日本人からすると“もう付き合い切れない人たち”としかならないだろう。

むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。