潮匡人(評論家・拓殖大学客員教授)


 「自衛隊はどれくらい強いのか」――よく聞かれる質問だ。拙著『常識としての軍事学』(中公新書ラクレ)は一章を割いてその点を論じた。その後『自衛隊はどこまで強いのか』(講談社+α新書)と題した共著も上梓した。以下それらの要点を簡潔に述べよう。

 そもそも軍隊が強いか、弱いかを計る指標とは何か。普通の日本語で言うなら、それは「戦力」である。では戦力とは何か。

 周知のように、日本国憲法9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記する。昭和28年11月12日、衆議院予算委員会で吉田茂首相がこう答弁した。

 「軍隊という定義にもよりますが、これにいわゆる戦力がないことは明らかであります」

 その後の「戦力なき軍隊」「戦力なき自衛隊」という表現はここから生まれた。

 自衛隊は発足直後から、総定員数25万に増員され、兵力で見る限り、現在の規模にほぼ匹敵していた。それは誰の目にも明らかな「戦力」だった。霞が関と永田町でしか通用しない政府見解は脇に置き、世界に通用する軍事学の観点から、自衛隊の戦力を検証しよう。

 そもそも戦力は、どのような要素(ファクター)によって構成されるか。

 誰もが考え付く要素は、兵器の量であろう。同様に、兵員の数も重要である。以上の要素だけでカウントすれば、陸上自衛隊と航空自衛隊は弱いが、海上自衛隊は強いという結論になる。

 だが、それはあり得ない。航空自衛隊の戦力は誰がどう計算しても、世界有数のレベルにある。つまり、単純に兵器や兵員数を足し算しても、戦力を計算したことにはならない。

 軍事学の世界では、戦力の構成要素を有形的要素と無形的要素に分けて説明する。分かりやすく言えば、前者が目に見える要素、後者は目に見えない要素となる。

 戦力の有形的要素とは「兵力量の多寡及び物の質と量で物理的力として作用する」もので、具体的には「編制、装備、施設、各種兵器の威力・性能・数量等、殺傷力、破壊力、機動力、抗堪性等」。私は現役自衛官時代、そう教育された。

 他方、戦力の無形的要素とは「部隊を構成する個人及び集団の心身両面の能力。精神力、指揮の優劣、規律・士気の状態、訓練の成否、団結心等をいう」。どれも目に見えない、つまり数値化しにくい要素である。数値化しやすい兵力量などの有形的要素と違い、いずれも兵器ではなく、それを扱う人間に関する要素だからであろう。

 以上の他にも、戦力を構成する無形的要素がある。例えば、戦略ないし戦術。これらの重要性は、あまたの戦史が証している。

 軍隊(自衛隊)の行動を律する法的根拠も大事な戦力要素である。戦後長らく論議すらタブー視されてきた「有事法制」はこの問題であった。今国会で審議されている「平和安全法制」がこれに当たる。つまり法案の成否は、自衛隊の戦力を左右する。

 その国の経済力や外交力を含む総合的な国力も、戦力を構成する無形的要素と言える。いざというとき、どれくらい戦費(防衛費)を調達できるか、あるいは、外国の港湾や飛行場を利用できるか、などは総合的な戦力を発揮する重要な要素である。
陸上自衛隊中部方面隊戦車射撃競技会で対戦車榴弾を放つ74式戦車=滋賀県高島市の饗庭野演習場

 最後にもう一つ、国民の闘う気概も挙げておきたい。私に言わせれば、これこそが、最終的な勝敗を決する要素となる。

 さて、以上の構成要素をもとに、どう戦力を計算すればよいのだろうか。

 見たように、戦力の計算式は、単なる足し算ではない。では、いかなる計算式なのか。

《戦力とは、各構成要素を掛け合わせた総積である》――私はそう考える。

 つまり、戦力は足し算の総和ではなく、掛け算の総積である。この公式はとくに航空戦力の世界で最も顕著に現れる。陸海空の統合が進む現代戦では、陸上戦力や海上戦力にも当てはまると言えよう。

 冒頭に「戦力なき自衛隊」の経緯を紹介した。あえてポレミック(論争的)に言えば、吉田茂の答弁は的を射ていたのかも知れない。なぜなら、自衛隊の場合、戦力を構成する重要な要素がいくつも欠落しているからだ。

 そもそも自衛隊は憲法上に根拠を持たない。「交戦権」(憲法9条)はもちろん、部隊の行動を律する交戦規定(ROE)もない。

 自衛隊は海外で武力行使ができない。今後、平和安全法制が成立しても、湾岸戦争に自衛隊は参加できない。対1S1L(イスラム国)作戦の後方支援すらしない(安倍総理会見)。海上警備行動を発令しても、中国の軍艦に武器を使用できないなど、武器使用や武力行使の要件が厳しく制限されている。法案成立後もその要件は世界一厳しい。

 その程度の法案なのに「戦争法案」と呼ばれ、「憲法違反」と断罪される。

 果たして、日本国民に戦う気概があるだろうか。戦後日本を覆うパシフィズム(反戦平和主義)の呪縛は解けていない。そもそも政府自ら「戦力はない」と明言しているのだ。公式には、日本に「防衛力」はあっても「戦力」はない。

 上記のとおり、戦力の計算式は構成要素の総積である。有形、無形の様々な要素を掛け合わせた総積が戦力である。

 自衛隊は「イージスMD艦」など世界最新鋭の装備(兵器)を多数保有している。オスプレイやグローバルホークも導入する。だが同時に、ROE(交戦規定)や国民の戦う気概など、欠落した要素もある。それをあえて数値化すれば、結果はゼロ。ゼロに何をどう掛け合わせても、その答えはゼロのままだ。

 もとより自衛官を侮蔑しているのではない。ただ一般の読者には、こう申し上げたい。

「自衛隊はどれくらい強いのか」――あなた自身が、そう疑問に思っていた事実自体が問題だと。

 こう考えてみてほしい。たとえば「米軍がどれくらい強いのか」と疑問に思うアメリカ人がいるだろうか。米軍人の階級構成を知らないアメリカ人がいるだろうか。

 他方、自衛官の階級構成を正しく答えられる国民は少ない。東日本大震災の活躍もあり、昔よりは理解が進んだが、いまなお世界標準に達していない。自国の軍隊が「どれくらい強いのか」を大半の国民が知らないのは戦後日本だけであろう。

 蛇足ながら、自衛隊の主力装備はほとんどが米国製である。日米の装備や技術は「一体化」しており、今後さらに一体化が進む。ゆえに自衛隊単独の「戦力」を議論しても実益は乏しい。

 強固な日米同盟と、日本国民の理解が自衛隊の戦力を担保する。今後どんな法整備を図ろうと、それなくして自衛隊は動けない。だが、それさえあれば、自衛隊は戦える。