2015年1月17日、阪神大震災から20年を迎え、来年3月11日には東日本大震災から5年となる。この20年間、両大震災をはじめ、各地で地震、風水害が頻発した。東日本大震災以降2度にわたって改正された災害対策基本法は、戦後に国や行政主体で構築してきた防災体制の限界を示し、住民自身が地域で協力し合い「自ら命を守る」取り組みの必要性を強調する。そこで「日本人の国民性と自然災害」をテーマに、寺田寅彦随筆選「天災と日本人」(角川文庫)をまとめた宗教学者の山折哲雄さんに寄稿してもらい、2回に分けて紹介する。(産経新聞編集委員 北村理)

自然に抗わず、知恵を蓄え


 「天災は忘れた頃にやってくる」-。今では誰でも知っている言葉だ。大災害がおこるたびに人々の記憶によみがえる。いろんなメディアが注意を喚起する。

 阪神・淡路を襲った大地震も「忘れたころ」やって来た。それから16年後の3・11にも「忘れたころ」、今度は、大地震と大津波が東北地方を襲った。

宗教学者の山折哲雄さん
 ところがわれわれは今日、その東北を痛打した災害の記憶すら忘れはじめているのではないか。いろんな場面で「忘れるな」「記憶せよ」の声があがりはじめているにもかかわらず…。

 「忘れるな」「忘れるな」と声に出しながら、心のうちでは「忘れたい」「忘れよう」と思っているのかもしれない。

 忘れていなければ、いつも通りの平穏な暮らしをつづけていくことなど、とてもおぼつかない。そう考えているのだろう。

 以前、ベルリンに行ったときのことだ。壁が崩れて、冷戦体制が終わってまもなくのころだった。かつてのユダヤ人居住地域につれていかれて驚いた。

 歩道の石畳のすきまに太いくぎを打ちつけ、頭の部分を表面に突き出す形にしていたからだ。不注意に歩けば、けつまずく。大けがをしかねない。

 ユダヤ人に対する差別と虐待の歴史を忘れてはならないと警告し反省を迫るための装置だった。

 忘却を許さないとするドイツ人の強固な意志をみせつけられて、たじろぐような思いをしたのである。

 それにくらべると「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉のあいまいさというか、融通無碍(ゆうずうむげ)さに、あらためて気がつく。

 というのも、そこからは「忘れるなかれ」という非難のメッセージはきこえてこないからだ。忘れやすい日本人の性格への配慮のようなものすら感じられる。

寺田寅彦(高知県立文学館提供)
 「天災は忘れた頃にやってくる」は地震学者の寺田寅彦がいった言葉だといわれてきた。だが、著作のどこをみても出てこないと指摘したのは弟子の「雪博士」といわれた中谷宇吉郎だった。

 ただ、寅彦の「天災と国防」というエッセーにそれと同じことがいわれているので、寅彦の造語とされるようになったのだろうともいっている。

 そのあたりのことも、さきのドイツ人流の明確なものいいとは異なっているといっていいだろう。

 寺田寅彦は最晩年になって「日本人の自然観」(昭和10年)という注目すべき文章を書きのこした。その中で、二つの重要なことをいっている。

 第一が、日本列島の自然は地震の頻発にみられるようにきわめて不安定で、怖(おそ)ろしい顔をしているという指摘である。

 太古の昔からつき合ってきた自然の脅威といっているのであるが、そのため「天然の無常」という感覚がわれわれの五臓六腑にしみこむようになった。

 その自覚が、われわれの死生観を育むようになったのではないか。それは「忘れる」「忘れない」という水準をはるかに超える意識だったように、私には思われるのである。

 第二に、日本の学問は、そのような厳父のごとき自然の脅威を前にして、首を垂れ、それに反抗したり、克服したりするような、西欧流の攻撃的な考え方を抑制してきた。

 むしろ、自然に随順する姿勢を保って、防災のための知恵を蓄積してきたといっている。寺田寅彦がもし生きていたら、この地震大国の日本列島に40基以上の原発をつくることについて、どのような態度を示しただろうかと考えざるをえないのである。